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ライター今泉愛子のブログです
努力に必要なもの

11月半ばくらいから、ランニングを再開しました。

走っているといろんなことを思い出します。

それは、体に対する自分の感覚です。

やっぱりわたしにとって大事なのはコンディショニング。

それがないと勝てない。

というかそもそも走れない。

 

走っているとき、つねに自分の身体を観察します。

調子がいい、悪い、体の軽さ、重さ、今日はどれくらい追い込めそうか。

 

走り始めて早々にわかったのは、わたしは体力がないということ。

二日続けて走ると、二日目は体がすっきりしない。

二十四時間では疲労が取れないみたい。

二日続けて走れないってどういうこと?

と自分でも思ったけれど、、、まあしゃあない。

 

体重は、一ヶ月くらいで45kgに落ちました。

何もダイエットはしていないのに。

わたしって、やっぱり走るときは45kgなんだと思った。

 

食べ過ぎても走れない。

ご飯が特にダメ。

四時間あけても体が重い。

 

そんなことを色々研究?したことが、

競技人生を振り返るきっかけになりました。

 

やっぱり練習をガンガンできるタイプではなかったと思ったし、

高校、大学時代は、ちょっと太り過ぎだったかな。

 

これまで走ろうと思わなかったのは「走ることが好き」ではなかったから。

わたしは、基本「勝つことが好き」でした。

あ、また感じ悪いこと言ってる・・・。

 

レースが好き、勝つために努力するのが好き、

絶対的な勝ちたいって欲望を圧倒的なパワーで注ぎ込むのが好き。

 

つねに走ることには目的があって、

中学時代は日本一だったし、高校時代後半はなんとしてでも取り返そう、だった。

 

だからそのためには、どう走ればいいかを考える。

走らない方がよければ走らない。

 

毎日走ることにこだわる気はないし、

1日の走行距離、月間の走行距離にこだわる気なんてまったくない。

 

だけど、苦しさは回避しない。それが勝つための苦しさなら全部受け入れる。

最後の最後まで苦しみ抜くことを選ぶ。

 

以前、織田道子さんと練習について話をしていた時に、

「丁寧」という言葉を、織田さんが使って、ああ一緒だ、と思いました。

 

わたしも陸上に関してだけは、とても丁寧です。

うちの家族が聞くと、きっと吹き出すと思う。

今のわたしの暮らしにハナから存在していない言葉。

 

ところが、走ることになると丁寧なんだな。

丁寧で緻密。

 

わたしは、水分代謝がうまくなくて、

汗をかかないし、トイレに行く回数もめっちゃ少ない。

なので、水を飲みすぎると、てきめん体調が悪くなります。

 

国体前の夏は、1日に飲む水の量をものすごく意識しました。

飲み過ぎては絶対ダメ。

特に寝る前。

毎日自分がどれくらいの水を飲んでいるかは絶えず気にしていました。

あの頃はペットボトルなんてなかったけれど、

確かポカリの1リットルの容器はあった。

あれに白湯を入れておいて、毎日家でどれくらい水を飲むかは考えていた。

 

レースについては、もうずっとシミュレーションしていました。

わたしは、レース展開について誰かから指示されたことがなくて、

だから何も考えていませんでした(そこはちょっとダメだったかも)。

わたしの理想は、イーブンで走って、みんなが勝手に落ちていくこと。

スパートとかそういうのめんどくさい。

 

だけど、自分の身体を、レース本番で一番動く状態に持っていくにはどうすればいいかについては

ずっと考えていました。

いま思えば、イメージトレーニング?

身体をしっかり動かすこと、気持ちを高ぶらせること。

 

具体的に何がどうってことではない、

コール場所から、スタートラインに立つまでの自分の状態をものすごくイメージする。

何度も何度も、自分がどういう状態になるのが理想かを想像する。

集中すること。身体をリラックスさせること。

 

全日本中学選手権の時は、緊張で舞い上がってしまった。

あれは、あの時だから勝てたけど、あれだとダメ。

気持ちは高ぶらせて、だけど身体はきちんと動く状態にして、

呼吸も楽にして、肩の力を抜いて。

そんなことをずっとイメージしていました。

 

ランナー時代のわたしがしていたことって、

全部、勝つための努力で、楽しく走るためじゃない。

楽しく走るってのことの意味がわからない、というか楽しくなくていいから。

勝ちさえすればそれでいいから。

 

日常生活の中で、うっかり足を挫く、なんてことは絶対に起きなかったと思う。

あの頃のわたしには。

それくらい注意深く暮らしてた。

 

レース前にどこかが痛むとか、体がすっきりしないとか、そういうことも起こり得ない。

そういう可能性を、とにかく丁寧に丁寧に潰すから。

気持ちで負けるなんてことも、絶対にない。

自分が掴もうとするものを明確に意識しているから。

 

努力に酔う人っている。

恍惚としてしまう。

でも、目的のための努力だと、気持ちよくなってしまった時点であかんと思う。

もっとストイックよ。

 

実はわたし、子育て中、めっちゃ教育ママでした。

あるとき、ふとうちってなんも財産がない(だんなさん、ごめんね)と気づき、

子どもたちも、走るの速くないし、芸術的な才能もなさそうってことにも気づき。

とりあえず、学歴はつけとかないとまずい。

ってことになり、せっせと世話をしました。

 

受験勉強は、陸上と同じでした。

ある意味、受験の方が、陸上より素質を問わない。

とにかく、丁寧に緻密に勉強を続けていくこと。手を抜かない。

解けなかった問題は必ず復習する。一度でダメなら二度三度やる。

必要な勉強と必要でない勉強を、シビアに分けていく。

不要なことは先生の指示であっても無視する。

 

そして最後は、メンタル。

絶対に諦めないってことを、自分にわからせておく。

不安をのさばらせない。

安易に楽観的に「なんとかなる」なんて思ってはダメ。

そんなの絶対になんとかならないから。

 

ただ、わたしのこういう法則に、しっかり従ってくれたのは次男で、

長男は、自力だったかも。

わたしの提案は、ほぼ聞き入れてくれなかったので、、、

 

でもわたしの競技経験があったから、彼らの受験がうまくいったという面はある。

これを、これからは仕事に活かしたいなあ。

もうちょっと稼げるようになりたい。悲願。

 

確定申告の準備をしていて、自分の年収が判明し、泣きたくなったのであった。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:09 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
恋でも愛でもない心地いいもの

自分的に、たびたびトピックにしたい出来事があって、

やっぱり「映画を一人で見るのかどうか」問題も大きいと思われます。

2005年の日記。もはやホラー。

 

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大学生のころ、「昨日映画に行ってね」とボーイフレンドに話したらば怒られた。

なんで俺を誘わないんだってことで。
わたしは、映画はひとりで観るのが好き。

でも、あなたのことは、映画を観に行ったことを話す相手としてとても大切に思ってる、と言いたかったが、

「ああ、ごめんね」と言って終わりにしてしまった。

そういうことって、言えば通じるんだろうか。

一緒に海外旅行、と言っても、それはたとえばパリに飛ぶ。

そのまま私はイタリアへ、彼はイギリスへ。何日かそれぞれが遊んだあとパリに集合して、

一緒に2、3泊、みたいなのが、わたしは好き。やったことないけど。

 

基本的にボーイフレンドの過去も現在もあまり気にならない。
どんな女性と付き合っていたのと聞いたり詮索したり、一切なし。

今日誰と会ったの、どうしてたの、ともあまり聞かない。
でも、一緒においしいご飯を食べる時間の幸せな気分は大好き。

同い年の男友達と話をしていたら

「やっぱ同世代の女ってある程度考えができているから、扱いにくいんだよね」と言う。
30歳前後くらいの女の子が付き合いやすいとか。
でもわたしは高校生くらいから、こんな感じ。
年を取ったからではなくて。

 

一緒にいられることがなんとなく幸せで、なんとなく満たされるような、

ゆるくて温かな関係。
ありそうでないもの。
恋でも愛でもない心地よいもの。
幸せになりたいなんて考えたことはないけれど、

好きなひとには私がいなくても幸せでいてほしい、

と願うこともやっぱりそれはエゴなのかな。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:03 | life | comments(2) | trackbacks(0) |