人は変化を嫌います。
ご近所とうまくいかなくても、引っ越しするよりそこで我慢しがちだし、転職も躊躇する人が多い。
仕事や家事にしても、同じやり方を好みます。
同じであれば、結果がだいたい読めるから、安心感がありますよね。
外部環境だけではなく、自分自身の内面に対しても変化を嫌います。
自分を変えたくない。反省したくない。
何があっても「自分が悪い」とは思いたくない。
連続陽樹誘拐殺人事件の犯人で死刑になった宮崎勤の取調室でのやり取りを記録した、安永英樹著『肉声 宮崎勤 30年の取調室』(文藝春秋)という本を読んだ時、人は基本的に反省や後悔はしない生き物なんだと思いました。
彼の言葉は、あまりに軽かった。
大きな罪を犯した場合、それに見合う反省や後悔なんて、なかなかできるものではない。
重すぎます。
そこまで人間のメンタルは強くない。
この本を読む限り、宮崎は、自身の罪に向き合うことができていませんでした。
殺人に対してだけではなく、妹を殴ったとか、万引きをしたことがあるとか、そういうことに対しても反省するという態度ではなかったです。
それは彼が特殊だからではなく、人間が本来もっているもののように思えました。
反省とは、ものすごく心に負荷がかかります。
その負荷にどれくらい耐えられるか。
負荷をかけすぎて、病んでしまう人もいますが、本来なら人は、病む前に回避する防衛本能をもっています。
つまり、反省することをやめる。
何かがうまくいかなくても、本質的に反省できる人は案外、少ないです。
だましたほうとだまされたほう、どちらが悪いと聞かれれば、たいていだました方だと言うのは、それが他人事の場合。
自分がだました側だとしたら、「いや、信じるとは思っていなかった」と言い訳します。
いじめもそう。
いじめる側は大なり小なり「相手が悪い」と思っているので、何かが起きてもあまり反省しません。
会社で、ある人が部下をいじめたとします。部下はつらくて会社を辞めた。
でもその人は自分が原因だと思わないようにします。
「弱いやつだ」「逃げるのか」程度で自分の内面を整理する。
かように反省することは、難しい。
だから、夫であれ子供であれ、友人知人であれ、相手に「反省してほしい」というのはエゴでしかありません。
で、自分はどうするか。
私もご多分に漏れず、反省しません。
自分に都合のいい理屈を引っ張り出して、納得しようとします。
ランニングもそうですし、仕事もそうです。
失敗のパターンというのは、だいたいどの人にもあるような気がします。
恋愛などでは、わりと顕著ではないでしょうか。
あるいは友人関係とかね。
それは反省しないから。
ランニングでいうと、私は二足の草鞋を履くことが多いんです。
高校時代は、とにかく学業との両立を顧問からかなり言われました。
「文武両道」というレッテルにぴったりだったんでしょうかね。役回りとして。
今は、仕事との両立です。
これがめっちゃ大きなテーマ。
私は、こういう状況を、自分の運命的なもののように考えていました。
いつの間にかそういう状況になっている。
わたしが選んだわけではない。
だって仕方ないじゃん、仕事だし。
これって最強の言い訳です。
だから反省しない。
「だって忙しいんだから」
以上終わり。
でも、そんなふうに反省がないから成長しないんですよね。
自分にとっての「当たり前」にも実は、反省する要素があります。
そこに気がつくかどうか。
わたしもやっぱり本気で仕事のやり方を変えていかないといけません。
これは、仕事のためでもあります。
忙しいと言いつつ、だらだらしていることもあるんです。
たとえば、今。汗。
もっと先取りしながらやろう。
生産性を上げよう。
厳しく反省して、自分に負荷をかけながら、前に進もう。
adidasでかわいいソックスを買いました。
テンション上がります。