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ライター今泉愛子のブログです
小泉今日子『小泉放談』宝島社 人生は、何を語るかよりも何を語らないか

小泉放談』は、小泉今日子さんと25人の女性との対談を一冊にまとめたもの。

小泉さんが50歳を迎えるにあたって、先輩女性たちに「50歳ってどうでしたか?」と聞く。

キョンキョンは同級生ですから、わたしにとってもドンピシャな内容です。

 

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読んでいて思ったのは、人は何を語るかよりも、何を語らないかで決まるんだな、ということです。

苦労したこと。努力したこと。輝かしい成果。

つい語りたくなるものですし、親しい相手になら、なおさらわかってほしいと思います。

だけど語って何になるのか。

 

例えば、これまでの苦労。

子どもの頃、貧乏で体操服も買ってもらえなかった。

20代の時に夫と死別して、以来1人で子育てをしてきた。

30代でガンを患った。

 

そんな話を他人にすれば、相手はなんとも言えない顔をして黙り込みます。

その沈黙が快感になってしまうことがある。

会う人会う人に「ねえ、わたしの話を聞いて」と語ってしまう人もいます。

 

「あなたはずっと健康でしょう? わたしはガンを患ったのよ。あの頃どんなに惨めだったか。

わたしの気持ちなんてわからないでしょう?」

と言われても、相手からするとおっしゃる通り、としか言えません。

 

人は他人から、同情してもらいたい。すごいと思ってもらいたいと思うものですが、

それはただのエゴだし、言ってしまえば単に過去のことです。

過去が自分を作っている、とも言えるけど、そんなの「今」を見れば十分なわけで。

過去の栄光を、あるいは苦労や努力を「今」語りたくなるということは、

今の自分がそれを欲しているということ。
今ではなく過去に、自分を見出そうとしているのです。

 

印象に残ったのは、吉本ばななさん、樹木希林さん、美輪明宏さんの項でしょうか。

自分の人生をしっかり自分で背負って生きてきた人たち。

 

「今日子さんと私は、ジャンルは違っても、

極端に言うと、精神的レイプみたいな目にいっぱい遭ってきている。

お互いにそれについて話し合うことは、たぶんこれから先もないけど、

「とんでもなかったよね」ということを心の中で感じ合えてて、それがあって今がある。

そのことにおいて、すごく安心できる存在なんです」

吉本ばななさん。

 

誰もが理不尽な経験をしたことがある。

その大きさ、受け入れにくさ、許しがたさは、人それぞれ。

だけど、たいていの人はそれを黙って乗り越えます。

 

一方で、新婚時代のだんなさんの不義理を、いまだに呪文のように唱えて糾弾する人もいます。

子どものころの母親との確執をいまだに乗り越えられない人もいます(わたしだ!)。

 

苦労は勲章なんかじゃない。

それを黙って乗り越えていく潔さがカッコよく生きる秘訣なのだと思ったのでした。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:08 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
村山由佳『嘘 Love Lies』 〜 正解のない世界で生きるということ

最近かなり本を読んでいます。

 

『嘘 Love Lies』

村山由佳

新潮社

 

仲良し四人組の中学生たちの人生は、ある夏の悲惨な事件をきっかけに、大きく揺らぐ。

平凡な人生と別れを告げ、大きな渦の中に巻き込まれていく。

恋愛も友情も親子関係も、正解なんてない。

そういう正解のない世界を描くのに、小説はもっとも適していると思いました。

 

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村山さんが上手いと思うのは、そもそも事件が起こる前から、

「仲良し四人組」は、ただ無邪気にじゃれあっていただけではないところ。

互いを嫉妬したり、疑ったりもしていたんですよね。

それが普通だし、それをしっかり書けるのが上手い作家さんですよね。

 

最近なんでもわかりやすさを求めます。

小説だって、ある事件をきっかけに、関係が突然変わったと書いた方がわかりやすい。

 

だけど現実はそうじゃない。

あらゆる感情と理性がせめぎ合って、そこに偶然が加わって、ドロドロのぐちゃぐちゃ。

そこで、自分はなにを信じて、なにをするのか。

必死で模索しながら、自分を確立していく。

14歳だった中学生は、34歳になってどう変わったのか。なにが変わらなかったのか。

 

先日、小泉今日子さんが豊原功補さんとの恋愛を宣言して、

この人は、本当に覚悟の決まった人だと感動しました。

 

タイミングもまたすごい。

大手事務所バーニングから独立すると、もうマスコミから守ってもらえない。

もともと小泉さんはそんなに頼ってはいなかったでしょうけど、それにしても。

 

批判はすべて受けて立ちますよ、というあの強さ。あの孤独。

自分が本当に守りたいものは、なんなのか。

誰と、なにを、わかりあいたいのか。

 

この小説に登場する4人は、まだ小泉さんほどの強さはないけれど、

それでも揺らいで揺らいで揺らぎながら、なんとか生きていこうとしている。

事件をきっかけに、正解なんてどこにもない世界に放り込まれて、
もう「理想」を追うことも許されない。

だけど溺れそうになりながら、ただひたむきに生きている。

人はそうやって少しずつ覚悟を決めていく。

あるいは、何かを諦めていく。

 

人となるべく触れ合わず、おとなしくひっそりと生きていこうとする人もいるし、

何かを恨んだり、憎んだり、あるいはずっと迷い続けている人もいるし、

「なぜ」にとらわれたまま老いていく人だって多い。

登場人物では亮平がそうかもしれない。

人生に優劣なんてないし、それぞれの人生には期待と不安と諦めとが詰まっていて、

そこでなににフォーカスするか。

いつ、どのタイミングで、どんな感情が沸いてくるかはわからない。

わからないなりに、なんとか生きていくことの面白さを感じさせてくれた小説でした。

 

わたし自身は、このブログで、自意識過剰ぶりをあまりに発揮しすぎていて、

恥ずかしいことこの上ないのですが、

だけどそこを通らないと、先に進めない気がしていてせっせと書いています。

 

だけどたぶん、この自意識過剰ぶりもそろそろ終わり。

競技のこと、母のこと、わたしの葛藤。

そういうのを全部飲み込める日が、なんとなく近づいているような気がします。

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:19 | 書評 | comments(2) | trackbacks(0) |
クローゼットがはちきれそうなのに着る服がない! 「洋服を買わない」チャレンジ開始

30代から40代にかけて、服を買いまくっていた時期があります。

毎月10万円以上使っていたのではないかな。

買い物依存症の一歩手前だったと思います。

いや、立派な買い物依存症だったのかもしれませんね。

 

買った服を紙袋に入れたまま放置することもありました。

買うときは、あんなに高揚しているのに、

買った瞬間に、その服への興味が薄れるんです。

帰宅するころにはもう完全にどうでもよくなっている。

そんな服を着るはずがありませんショック

 

だけど、別の服を見ると、また買ってしまう。

その服が、自分を夢の世界に連れて行ってくれるような気がしていたのでしょう。

 

仕事が忙しく子育ても大変で、さらに当時のわたしは自分に全く自信がなくて。

そんなストレスやらコンプレックスを、服を買うことで晴らしていたのかもしれません。

 

私の場合、どこかシビアなところもあるので、経済的な破綻はしません。

ローンやリボ払いを利用することもないです。

だけど、十分狂っていたと思います。

 

40代に入ってからはだいぶ落ち着いていたのですが、

なんとなく、今も服を上手に買えません。

昨年は、遅まきながらファストファッションに目覚め、

安いからとつい安易に買ってしまう状況でもあります。

 

そんな時に出会ったのが、松尾たいこさんの

『クローゼットがはちきれそうなのに着る服がない! そんな私が、1年間洋服を買わないチャレンジをしてわかったこと』

であります。タイトルが長いです(汗)。

でもそのまんまの内容です。

 

松尾さんは、とっても素敵な色使いのイラストを描く方です。

グイグイと自己主張するのではなくて、繊細でシャイで、それでいて芯になるものを持っていらして、

どことなく陰の部分もあって、そういうどこかちょっとでこぼこな感じのするところが人としてとても魅力、

とわたしは思っていました。

 

どこか自分と似たところを感じるのです。

弱さの質がちょっと近い、、、のかもしれません。

そんなことを言うと、松尾さんに失礼かもしれませんが。

 

だけど松尾さんはとってもお洒落さんなので、私とは持っている量も買う量もまったく違います。

なんだけど、ついうっかり買いすぎるところは、同じ。

 

「ちょっとしたパーティにも便利です」と店員さんから言われる、とつい買ってしまう。

いい接客をする店員さんに出会うと、つい買ってしまう。

いつもの自分とテイストが違っていても、似合っていると思えば買ってしまう。

それな!という感じです。

 

さらに、実はシンプルが好き、というのも同じ。

私も物が捨てられないタイプではまったくなくて、部屋はわりかしスッキリしています。

断捨離もたぶん得意な方。

靴やバッグはお気に入りを買うと、それをとことん使い倒します。

なので量は持っていません。

なんだけど、なぜか服だけがダメ。

 

ということで、今年の目標は節約でもあるし、私もこのチャレンジをやってみることにしました。

本には「まず100日」とあります。そこから少しずつ延長して一年続けた。

私はもともとそんなに買わないから100日くらいでは意味がない気がするので、

ひとまず8月末までにしようと思います。

松尾さんは「例外」ルールを設けていらっしゃいますが、私は例外なし。

小物(アクセサリーやバッグ、シューズ)も買わない。

ランニング関係もほぼ揃ったし、買わない

(もしかするとスパイクは買うかもしれません)。

 

で、迷っていたのが、青山の「Drawer」で見た緑のセーターを

最後に買うかどうかです。

素敵なセーターで、一目で「上質」とわかる感じ。

あの風格は、やはりファストファッションでは手に入りません。

 

わたしは仕事柄、偉い人、素敵な人、有名人にお会いすることも多いので、

それなりの服も必要です。

最後にそれを買っておくことには十分意味がある。

という気もしました。

 

だけどこれ、30%オフなのに、42000円もするんです。

昔のわたしならそれでも買ったと思いますが、今回は踏ん切りがつかない。

なんとなく気持ちがもうそこにないんでしょうね。

いいや。買わない。

このまま「買わない」チャレンジ開始です。

 

松尾さんのブログ「軽やかHAPPY LIFE!旅するように暮らす私とファッションと」はこちら

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:15 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
亀山早苗『復讐手帳』 〜 憎しみの向かう場所

亀山早苗さんの『復讐手帖』が面白いんです。

と教えてくれた人がいて、その女性は、美人で頭が良くて性格も良くて、優しい旦那さんがいて、

というすべて持って生まれたような人。

復讐という言葉が似合わない。

 

なぜ彼女がその本を読んだのか。

そんな興味から読み始めました。

 

この本は、女性が男性にした「復讐」の実話録です。

正直なところ、読み飛ばした部分もかなりあります。

やっぱり復讐ってめんどくさいしょんぼり

 

「いたずら」みたいな復讐もたくさん出てくるんです。

寝ている間に男性器に落書きをしたとかそういうのです。

そこはまったく面白いとも思えず、というか、勝手にやってくれって感じですが、

やっぱりこの本を買ったからには、読みたいのはもっとドロドロの復讐劇ですよね。

 

わたしがこの本を読んで感じた「復讐」のポイントをまとめますと以下のようになります。

 

ポイント1

女性が復讐を決意するのは、別れの理不尽さによるものである。

 

ポイント2

女性が復讐の際に狙うのは、相手の社会的地位である。

 

ポイント3

女性は、かつて愛した男が、自分の復讐によってボロボロになったとしても

まったく罪の意識を感じない。

 

男性から二股をかけられていて、もう1人の女性が妊娠したから別れてくれ、という例がありました。

3人とも社内です。この点で男性の脇が甘いのですが、この男性は彼女の復讐によって、会社を辞めざるを得なくなります。

ちなみに、もう1人の妊娠話は嘘。男性はたぶんダマされたのではないでしょうか。

しかも復讐した女性は、自分の被害を盛っています。

「二度妊娠して中絶した」と彼の上司に密告した。

 

この男性、いつも絶対妊娠しないように注意を払っていたそうです。

女性が逆上したのは、あんなに注意深い彼が、あの女には注意を怠ったのか、という怒りじゃないでしょうか。

彼女は、妊娠したことももちろん中絶したこともないのに、シャーシャーと被害をでっち上げてしまう。

すごいです。

 

 

結局は、心の問題だと思いました。

男たちよ、嘘がバレたら「ごめん」と言おう。

それだけで済んだのに、という話も多いです。

 

よく言われることですが、男性は女性を「愛がなくても抱ける」。

好きよりもやりたい気持ちが勝るから、「好き」を簡単にでっち上げることができるんです。

「好きだよ」と言っときゃ問題ないだろうとばかりに、安易に愛をささやく。

 

だけど女性は、男性のその心理をわかりたくない。

「彼はわたしのことが好き」だと信じたい。

そういう幻想がないと、行為に及べない。

だから、昨日自分の部屋に来た男性が、週末に妻と一緒に買い物に出かけたりしていると憤慨する。

彼が二股をかけらていた女が妊娠したと聞いて逆上する。

「軽い浮気」ならいいんです。でもわたしよりも愛されている女がいることが許せない。

ここに深くて暗い河があるのだと思いました。

 

女性が男性の社会的地位を狙うところは要するに、

男性という「社会的な生き物」を、社会から抹殺したいということですよね。

 

男性を男性たらしめているのは、社会です。

仕事で認められることが何より大事ですし、家庭での「良き夫」という顔を必要とする人もいます。

女性を女性たらしめているのは、愛です。世間から「愛人」と後ろ指さされようと何も問題がない。

たった1人の男の愛だけで、女は十分幸せなんです。

そのことを、男は永遠に理解しない。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:07 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
高石宏輔『声をかける』 〜 触れ合うことでわかること

声をかける

高石宏輔

晶文社

 

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昨年最後に読んだのがこの本。

端的にいうと、ナンパ日記なんです。

25歳の男性が、六本木のクラブで、渋谷のセンター街で、新宿南口の雑踏で、

ひたすら女の子に声をかける。

 

男性は、ナンパを自分に課しています。

何かを克服するために。

求めているのは、愛ではないし、女性の肉体でもなくて、ただ生きている証が欲しい。

社長秘書、裕福な人妻、看護婦、SM嬢、大学院生、美容部員。

様々な職業の女性をものにするたびに、自分の欠損が埋まっていくような気がする。

 

学校や職場での恋愛は、互いのことがわかっているからこそ始まる。

等身大の自分でいられる安心感。

 

ナンパで知り合った相手は、互いの情報がまったくないところから始まる。

こういう時、女性を動かすのは「こう見られたい」という願望。

「わたしって実はマジメなの」

「意外と尽くすタイプなんだよね」

「好きな人としかしないよ」

それをしっかり受け止めると、女の子は安心して身を委ねてくれる。

 

「本当のわたし」というのは、本当のわたしではなくて、こう見られたいわたし。

初対面の相手だからこそ「本当のわたし」を演じることができる。

刹那的な逢瀬だからこその濃密さ。

 

男性は、一度限りの関係にするわけではありません。

街で「声をかける」ことは続けながらも、お付き合いを継続する。

女の子は、回を重ねるごとにつまらない女になっていく。

演じていた「本当のわたし」が、崩れ始めるから。

 

自分のことをわかって欲しい、という想いは、誰もが抱えている。

だけどどうしたって、わかってもらえないことも知っている。

そんな時、どう折り合いをつけるのか。

 

「誰もあなたのお母さんにはなれないのよ」

ある女性が、男性にささやいた言葉。

わかってほしい。受け止めてほしい。優しくしてほしい。

どれくらい求めれば、欲しいものは得られるのか。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:54 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
柚木麻子『BUTTER』 男に尽くすことが女の幸せなの?
柚木 麻子
新潮社
¥ 1,728
(2017-04-21)

BUTTER

柚木麻子

新潮社

 

中学時代に800mで全国優勝したとき、母がため息交じりで私に言ったのは、

「これでもうええ家にお嫁にいかれへんわ」でした。

スポーツで活躍した女の子は、男の子に敬遠されるということ?

 

東京にある国立の四年制大学に合格した時も、

母が心配したのは、嫁のもらい手がなくなるということ。

母の希望は、神戸の短大でした。

 

私の競技について理解がありません。

勉強もできすぎない方がいい。

 

母にとっての女の幸せは、いい家の男性と結婚すること。

そのためには、目立ってはダメ、スポーツも勉強もできてはダメ。

黙って男に尽くす、それが一番。

 

対する私は、中学生の頃から男子にモテることに関心がありませんでした。

ちょっと無理っぽい。

男子にモテるって、それは、男子が「ティッシュ!」と言った時に、

さっとさし出すような女子です。

なんで私がそんなことせなあかんねん。

 

偉そうにしてはダメ、いつもニコニコ、

私なんて、と謙遜しつつ、男を立てる。

そんな面倒くさいことは、わたしには難しい。

 

たった1人に愛されればそれでいい。

だけどその1人はどうしたら見つかるの?

そんな不安を抱えつつも「尽くす」ことには違和感がありました。

もちろん揺れることはあります。

絶対「尽くすなんてイヤ!」というわけでもないんです。

だけど、何か不自由。

 

わたしが相手に求めるのは、一緒にいて楽しいこと。

相手に提供できるのも、楽しさくらい。

だけど、精一杯大好きでいるから。

ずっとニコニコしているから。

 

この小説に登場するのは、結婚詐欺の末、男性3人を殺害したとされる、カジマナこと梶井真奈子。

デブでブスな彼女が、資産家の、だけど孤独な男性たちに料理を作ってもてなす。

男性たちは、財産を差し出し、そして、命を落とす。

 

これは実際にあった事件をモチーフにしています。

だけど、細部はかなり異なります。

アマゾンレビューでも、直木賞の選評(落選しました)でも、

事件の追跡が不十分、とされていますが、違う、そうじゃなくて、

この小説のテーマは、ジェンダー。

わたしはそう読みました。

そしてとても面白かった! 今年のわたしのベスト小説だと思います。

 

主人公は、この事件を追いかけた週刊誌記者の町田里佳。

それと、里佳の友人の伶子の女としての生き方と、

その周囲にいる男たちの生き方がじっくりと描かれた小説です。

 

女性には、マネージャータイプとプレイヤータイプがいると思うのですが、

社会的には、マネージャー的な立ち居振る舞いを求められることが多い。

専業主婦という仕組みがまさにそうです。

せっせと夫のお世話をして、疲れを癒して、翌日また会社に送り出すことを日常業務とする。

 

これをビジネスとしてやろうとしたのが、カジマナです。

引っかかった男性たちは、散々世話になったにもかかわらず、

カジマナに感謝の気持ちがありません。

ブスでデブなのに我慢してやったのに、的態度。

そういう騙され方は、男性にとって最悪なのかもしれません。

 

でも、それって彼女を自分より一段低いところに置いているということ。

だから安心できる。

 

伶子は美人広報としてバリバリ仕事をしていた人ですが、

結婚したのは、いまひとつ冴えない感じの亮介さん。

亮介さんには「なぜ伶子みたいな女が俺を?」という疑問が結婚後も横たわっています。

男性側のそのコンプレックスが、2人の関係を少しずつきしませていきます。

 

マネージャー役の女性を必要としない男性もいます。

それが篠井さん。

自分のことは自分でできるし、女性に世話をしてもらおうとは思っていない。

 

多忙な里佳が彼氏の誠に、珍しく料理を作ってあげた時、誠はうろたえます。

結婚を急かされていると誤解したのでしょうか。

 

結婚に、人生の相棒を求めるのか、それともお世話してもらうことを求めるのか。

もちろん二者択一ではないです。

 

かくいうわたしも、わが家の家事の8割、9割は担っています。

子どもたちが幼かった頃は、自分のことなんてそっちのけでした。

夫はほとんど助けてくれなかったです。

だけど、それは便宜上そうしてきただけで、夫に遠慮していた結果ではありません。

自分を押さえつけていないし、夫とわたしの間に、上下関係なんてないです。

というよりも、上下関係は時によって変わります。

わたしが生意気なことを言う時もあれば、

夫が威張ることもあります。

 

これを専業主婦の友人に話すと「愛ちゃんは仕事をしているから」と言われることがあります。

でも、違うよ。

専業主婦でも、心は自由でいられると思う。

男より優れていてはダメとか、男は立ててあげないととか、思い込みすぎてるんじゃないかな。

そうすることで、だんなさんを囲い込もうとしているだけじゃないかな。

あるいは、この人にはわたしがついていなくては、と思わされているだけじゃないかな。

 

現実に、昭和の猛烈サラリーマンを支えてきたのは、専業主婦たちです。

日本の経済を、間接的に女性たちも支えたし、制度も専業主婦を優遇していました。

 

でもあれは、経済成長があった時代のことで、男たちはどんどん出世しました。

途中で出世街道を外れても、お給料が減ることはなく、妻をがっかりさせることはありませんでした。

妻からすると、支えがいがあったんです。

でも最近は、社会もちょっと違ってきています。

 

尽くすことと愛することは、違う。

カジマナの何が歪んでいるかというと、

愛情という心のやりとりにまったく関心がないところです。

男たちは、カジマナをどこか下に見ていましたが、

カジマナも男たちを、下に見ています。

これで満足でしょ?って。

 

里佳と玲子は、そしてそれぞれの彼氏や夫は、

少しずつ自分を縛っていた枷(かせ)を外していきます。

 

やっぱり大切なのは、愛、だと思う。

何かの役割で自分を縛るのではなくて、

のびのびと「大好き!」と言える心。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:24 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
カフカを愛した女性

『カフカはなぜ自殺しなかったのか? 弱いからこそわかること』

頭木弘樹/春秋社

 

カフカは『変身』『城』などで知られる作家です。

チェコのプラハで生まれて、小説はドイツ語で書いていました。

 

この本によると、カフカには長年付き合った彼女がいました。

フェリーツェと言います。

 

二人が出会った時、カフカは29歳、フェリーツェは24歳でした。

カフカは想像がつくかと思いますが、本当にめんどくさい男。

ウジウジしていて、ああでもないこうでもないと言ってばかりで何も決断しないし、

迷ってばかり、悩んでばかり。

 

二人の付き合いはもっぱら手紙でした。

カフカは当然、マメに手紙を書きます。

フェリーツェは普通の女性ですから、文章も短いし、時に返事が遅れる。

するとカフカは不安になる。

返事をくれ、とまた手紙を書く。

 

そんなめんどくさい男でええのか、と思うのですが、

フェリーツェという女性は、受け入れるんです。

揺るぎがない。

 

山あり谷ありでなんと五年も彼らは付き合い、

そして、最後は、別れます。

 

フェリーツェは「わたしはあなたを見捨てない」と言うのですが、

カフカは「あなたの犠牲を受け入れるわけにはいかない。

自分の罪の重さをこれ以上増やすことは全く考えていない。

自分は決して結婚しないだろう。

あなたとも、他の誰とも」と語り、二人は別れます。

 

彼女と最後の朝、

ぼくは泣いたよ。

子供の頃から今までに流した涙より、

もっとたくさんの涙が出たよ。

 

1917年のことでした。

フェリーツェはその後、別の男性と結婚し二人の子供に恵まれます。

カフカは1924年に亡くなります。

 

第二次世界大戦前、フェリーツェはナチスから逃れるため

家族とともにスイスへ亡命し、アメリカへ渡ります。

カフカと同じく、彼女もユダヤ人でした。

 

戦乱の中でも彼女のそばを片時も離れなかったのは、カフカからの手紙でした。

若き日のカフカがせっせとしたためた五百通以上の手紙。

それをずっと持ち続けていた。

 

アメリカで夫が亡くなり、女手一つで二人の子供を育てなくてはならなくなり、

彼女は、手紙を手放す決心をします。

それを売ったのです。

カフカはその頃、有名になっていました。

その決意があったから、カフカの手紙は世に残されたのだと思います。

 

ユダヤ人の彼女がナチスから逃れるために亡命する時ですら、

手紙を手にしていた。

その時、すでにカフカが亡くなって何年も経っていたのに。

 

恋愛が損得で語られることがありますが、

そんなこと言うたら、あかんよ。

 

きっとフェリーツェは、あんなにも懸命に自分を想ってくれた

カフカの心を支えに生きていたんだと思います。

 

フェリーツェは、もともと有能な女性で仕事もしっかりこなしていました。

扱いにくいこじらせ系男子で、生活力もないし、病弱だし、メンタルも弱いカフカの

どこに惹かれたのでしょう。

 

カフカの愛は、フェリーツェのことを本当に思っていたか。

マメにフェリーツェの健康を心配したり、フェリーツェの暮らしぶりを気にしたり、

そんなことをしていたか。

そんなはずがありません。

彼はいつだって自分の悩みで手一杯です。

だけど、ふとした言葉から、フェリーツェという女性をどう見ているかがわかる。

 

フェリーツェは幼い頃、家族から日常的にDV被害にあっていたそうです。

それをカフカに打ち明けます。

カフカの返信はこう。

 

うまく説明できないのですが、

誰かがあなたを殴ることができたなんて、

いくら当時は幼い女の子であったにしても、

ぼくにはふにおちませんでした。

 

この人、何もわかってくれない、と思ってはダメ。

そういうことではない。

カフカにとってのフェリーツェは、女神なんです。

あまりに輝かしい存在。そこに一分の疑いもない。

だから、彼女を殴ることができる人がいるということ自体が信じがたい。

「大変だったんだね」と慰められるより、何万倍もうれしい言葉なんじゃないかな。

 

そうやって自分を肯定し続けてくれたカフカを、

フェリーツェは愛し続けた。

 

最近たまに20代後半に付き合った男性に、結婚を迫る女性の話を聞きます。

私はあなたに二十代の一番いい時期を捧げたとかなんとか。

その見返りが欲しい、というわけです。

そんなんやめなはれ。

色恋は、損得ちゃいまっせ。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:35 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
児童書でポジティブを学ぶ
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
¥ 3,024

いま、仕事で児童書や絵本をあれこれ読んでいます。
長くつ下のピッピも取り出してきました。

私は小学生の頃、リンド・グレーンのやかまし村シリーズが大好きでした。
あの平和な子どもたちの暮らしぶりに心が和んだんですよね。

リンド・グレーンの代表作と言えば、長くつ下のピッピですが、
ピッピだけはどうしても好きになれませんでした。

ピッピは、おてんばです。学校にもいっていません。
いわゆる「マナー」もなっていない。

そういう「ダメ」な子を、私は断じて認めませんでした。
そういう子が許されているという状況が、とても腹立たしかったんです。
どうして許されるの? とイライラしていたことを覚えています。

おばQも嫌いでした。
図々しくておっちょこちょいなのに、
なぜか失敗しても許されることが不満だったのです。

そのことを思い出して、あの頃の自分は、愛に飢えていたのだろうか、
と思ってしまいました。
とにかくよく叱られていたんですよね。
だからいつも必死で、愛されるために、
​愛されるような振る舞いを身に付けていたのだと思います。

子どもが無邪気だなんて、ウソ。
子どもの頃の私は、ものすごく大人に媚びていました。
今のほうが断然、自由で無邪気です。

『長くつ下のピッピ』を読んでいると、
ピッピは、なんて自由で強い子なんだろうと思います。
子どものくせに、自由には責任が伴うこともちゃんとわかってる。

冷静に考えれば、恨み言のひとつも言いたくなるような状況ですよね。
だって、親がいないんです。
ご飯を作ってくれる人も、心配してくれる人もいない。
それでも、いつも楽しいことを考えている。
理不尽なことにはNOと言い、
人の悪口を言うおばさんにはさりげなく注意する。

スーパーポジティブとは、まさにこのことだなあ。
ピッピの面白さに、今になって気付きました。

ピッピは、ぜひこのローレン・チャイルドバージョンを読んでほしいです。
菱木先生の翻訳が素晴らしい。

ラスト、私は読むたびに涙がでそうになります。
私も、ピッピのような強さが欲しい。
本気で憧れます。
 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 21:39 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
自我の葛藤に興味がない
村上春樹さんが、いま発売中の「MONKEY」で、
川上未映子さんのインタビューに答えておられます。
かなりの時間をかけて行われたインタビューのようで、
すごく読み応えがあります。

このインタビューのなかで、春樹さんが「自我」について語っています。

春樹さんの小説に嫌悪感をもつ人たちの話を聞くと、
登場人物のナルシシズムを受け入れられない、気持ち悪いというような意見をよく耳にします。
自分の内面について、あれこれ、ウジウジ言っているように思えるんですよね。
私は、そのウジウジ感が好きで読んでしまうのですが、
それが、イヤだ、と思う人の気もちもよくわかります。
合わない人には合わない。

ところが、春樹さん、このインタビューで、
「僕は、いわゆる私小説作家が書いているような、
日常的な自我の葛藤みたいなのを読むのが好きじゃないんです。
自分自身のそう言うことに対しても、あまり深く考えたりしない」

わたし、長年のファンとして、えー! と思ってしまいました。
わたしはこれまでずっと、春樹さんの小説のなかにある、
”自我の葛藤”的なところが好きだったんです。

自分は何者なのか。
人を愛するってどういうことなのか。
そんなことを延々と悩んでいるような主人公たちを
愛していたのです。
ファンとしては、かなり打ちのめされるような話ですよ。

続いて
「何かで腹が立ったり、落ち込んだり、不快な気持ちになったり、
悩んだり、そういうことってもちろん僕自身にもあるんだけど、
それについて考えたりすることに興味がない」

あらまあ!
わたしは、てっきりそれについて考えた結果が小説になっていると思っていました。

ここからは、春樹さんの話題から離れますが、
この「自我」の扱いって、面白いと思います。

私がある人を取材したときに、年齢を聞いて怒られたことがあります。
その女性は、「年齢にこだわらない生き方をしている」とのことでした。
それは、いいんです。
でも「聞かれて怒る」というのは、
ご本人が年齢にこだわってるってことではないかと思いました。

というのは、年齢って、誰にでもある、かなり一般的なことで、
取材で、お名前と、職業や年齢を聞くのは、基本事項の確認程度の意味しかありません。
主婦雑誌の取材だとしたら、結婚しているかどうか、子どもがいるかどうか、なども
聞きますね。
それは何も、個人的な興味で聞いているわけではありません。
属性が知りたいだけ。

こういうときに必要以上にビクビク、あるいはイライラする人は、
「自分」に対して過敏なのだなあということ。
自分が思うほど、他人は、あなたのことを気にしていないんです。

年齢を誌面に出す(つまり読者にとっての)意味は、
どういう人なのか、大体の感じを知りたいということ。

「おでんは、どの具が好きですか?」
「ぎょうざ巻きです!」(今泉愛子 25歳OL)

とあれば、最近の若い人は、ぎょうざ巻きが好物なの? と思うし、

「ぎょうざ巻きです!」(今泉愛子 65歳主婦)

とあれば、え、この人、どこの出身の人だろう。この年齢でぎょうざ巻きが
好きって変わってるなー、と思うかも。

要は、「今泉愛子」に興味がある人はほとんどいなくて、
25歳か65歳かで、そこから想像できる情報に違いがある。
だから必要なのです。

なのに、「年齢」という言葉に、過敏になってしまう。

これは、たとえば、「結婚」や「子ども」に対する問いかけでも同様です。

お子さんは? と聞かれて、
「生まれなかったんじゃないの。別に不妊治療とかもやってないし。
私たちは、欲しくない。子どもはいらないって選択を夫婦でしたの」
と、一気に話してしまう。
聞いた相手は「いや、そこまで知りたかったわけじゃないんだけど」みたいな。
その過剰さの裏にあるのは、やはり、自我の主張なのかしらと思います。

「私は、こうである」ということに、こだわりすぎる。
私は、年齢を気にしない人なの。

私は、子どもはいらないと思っているの。なぜなら・・・。

こんなふうに考えるなんて、やっぱり私は、自分を愛せていないんじゃないかしら。
そもそも私の生い立ちが・・・。

「私って何?」という答えのない問いに振り回されると、
現実の暮らしが回りにくくなります。
ちょっとしたことが気になったり、時に傷ついたり。

だから、春樹さんが、「落ち込んだり、悩んだりすることもあるけど、
それについて考えたりすることに興味がない」と
言い切っているのは、爽快です。
それだよ、それ!

何か不運が襲ったときに、
「私が、こんな不幸な目にあることの意味は何だろう?」
と考えてしまうときがあります。
というのは、一部の思想家は、
「不幸な目にあうことにも意味があるんですよ」と教えるから。

輝かしい未来のためには(あなたの成長のためには)、
不幸も必要なのです。
と教える。

そういうふうに、気持ちに折り合いをつけるやり方も
あるとは思うのですが、
私自身は、もやもやすること自体に意味がないと、思っています。
不幸にも幸福にもさしたる理由はない。

すべては「たまたま」。
なので、そこにこだわりすぎず、目の前のことを処理していくのがいいですね。
立ち止まらずに。

なぜ? どうして?
と立ち止まっても、それで人生がよくなることは、ほとんどないです。
それよりは、トイレ掃除でもして、気持ちを切り替えて、
未来をみつめたほうがいい。

そのためには、自分が一番何をしたいかを考えること。
難しいのだけど、それを考えるしかない。

春樹さんは、小説に人生を賭けているのだと思います。
その「小説」というものを、見つけられたことは、実にうらやましい話。

多くの人は、自分が何をしたいかが見えてこなくて、悶々としてしまう。
ようやく見えてきても、
「あれもダメ」「これもダメ」となってしまう。

でもそこで、自分の自分に対するダメダメ攻撃に負けずに、突き詰めれば何か見つかると思います。
1年、2年、いやもっと長くかかるかもしれないけれど。

その突き詰めて行く過程で、とにかく「ダメダメ攻撃」を交わしつづけることが
むつかしい。
そこが挫折ポイントかも。

「作家になりたい。でも小説なんて書けない」
絶対無理。
でもなにかきっかけがあれば書けるはず。
だいたい村上春樹だって、ちょっと運がよかっただけ。
私に足りないのは運だよ。
ああ、やっぱり無理だ〜。

こういう人がいたとします。
客観的に見れば、
「そもそも、なぜ作家になりたいの?」
「無理でしょ」
とわかりますが、本人はいたって真剣。
自分に必要なのは、きっかけ。運。
努力とか才能とかではない。
そして、自意識がひねくれる一方。

自分にこだわりすぎる人は、
自分の未熟さ、能力のなさを認めることが苦手です。
自分にこだわるってことは、
自分を高みに置きたいということだから。

自分なんて、どんどん変化するものだし、
そこまでこだわるほどのものでもありません。
もっと自分から自由になったほうがいい。
カッコよく言えば、自我を解き放つ。

そうすることで見えてくるものは、たくさんあると思います。

 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:13 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
「お金」って、何だろう?


「お金」って、何だろう?
僕らはいつまで「円」を使い続けるのか?
山形浩生・岡田斗司夫FREEex
光文社新書

読んでいて「がはは!」と笑ってしまう本でした。
面白かった。
そもそも対談本が好きなんです。

1章、2章あたりは、経済学をわかりやすく論じていて、
まさにいつまで「円」を使い続けるのかって話もあったのですが、
3章では、2章までに論じて来た経済学の原理は、そもそも経済は成長しつづけるもの、
という前提があって成り立つもの。
今後はそういうわけにはいかないんじゃないの?
ってところで、山形さんがこう言います。

少し前までは、「中国のの農村には貧乏人がいくらでもいるから、あと30年は経済発展できる」
と言われていました。ところが、安い賃金でこき使える農村の貧乏人は思ったほどいなかった。
「一人っ子政策による都会暮らしのワガママな連中しかいないのかよ!」というわけで、
中国政府もすごく困っているところです。
今の世界では、「よりよい暮らしをしたい貧乏人」が貴重な資源になりつつあります。

なるほど!
経済成長というのは、貧乏人が「車買いたい」「家が欲しい」と頑張って働いた結果、
消費が牽引されて、経済が動く。
企業だって、彼らが低賃金で懸命に働いてくれて、おまけに稼いだお金でモノを
買ってくれるとなると、ウハウハです。
その状態を「搾取だ!」という人もいますが、
彼ら自身が「あれが欲しい」という欲望に突き動かされている限りは、
彼らだってそこそこハッピーです。

ところがところが。
「貧乏人が貧乏なままでいいや」と開き直ってしまうとどうなるか。

これは、いまの先進国が共通して抱える問題なのかもしれません。

山形さんは発展途上国への支援活動もなさっているそうですが、
それがいろいろと難しい。
援助する側の期待になかなか応えてくれないそうです。

「いい暮らしがしたいから頑張る」というロジックを持たない人たちを
いくら励ましたところで、頑張らない。
単位あたりの耕作量を増やす取り組みをすると、
半分の面積の畑しか耕さなくなる。
学校を作ったところで、給食を食べるために来ている子たちばかりだと
教育水準は上がらない。
いろいろと難しいわけです。

とはいえ、国家間の経済格差は着実に埋まっているし、
それがゆえ戦争は減っている・・・のだけれど、
テロは減らない。てかむしろ増えてる?

これがまた「金持ちに憧れる貧乏人」の変容にあるわけですね。
貧乏人が「いいなあ。お金のある生活がオレもしたいなあ」と頑張っている分には
経済が成長し、格差は埋まっていく方向に調整されていった。
ところが、最近のテロというのを起こしているのは
「リア充に憧れる金持ち」だと(←これ、わたしの解釈です)。
「不公平だよ!」「なんであいつらそんなに楽しそうなんだよ!」と。

山形さんの話によると、最近のテロリストは意外と金持ち。
「金持ちが大学に行って、変な思想にかぶれて、ガールフレンドもいなくて暇だったりすると、
テロリストになりやすいらしい」

格差がせばまってきたのは事実でしょうけれども
逆にそうなってきたことで「細かい格差」が気になるようになってしまったって
ことなのかもなあ。

格差の大きかった社会では、身の丈に合った幸せがあったのに、
格差がせばまった社会では、「せっかく大学まで行ったのに、アイツリア充、オレニート」という
ことがどんどん起きているのでしょうか。

この「大学に行ったのに」という人たちは、ブルーカラーとして働くことに抵抗がある。
会社員(正社員)はラクして稼いでいるように見えてしまうんですね。
そこで「働かない」選択肢をとる。

岡田さんが言います。

最近の日本の若い人たちが求めるのは「楽」で「楽しい」ことですね。
「より豊か」には魅力を感じてくれません。
経済的な格差を埋めるためには、働き者を増やす必要があるけど、
みんな働き者にはなりたくないんです。

岡田さんは以前から、社会を支える「貨幣経済」モデルに変わるものとして
「評価経済」というのを提案しておられます。
それはとても面白い取り組みなのですが、

個人的には、いま日本の経済を停滞させているのは、
「いかにラクするか」を競い合うような空気なのだなあと思った次第。

なるほどなるほど。
「働いたら負け」という価値観があるんですね。
週に50時間働いてそこそこリッチになるより、
働かないで引きこもっているほうがトクじゃね? みたいな。

ううむ〜。
面白いですね。
そこにどんな未来があるんでしょうか・・・。
個人的には、そういう変化を、いいとも悪いとも思いませんでした。

と言いつつ、私は「金持ちに憧れる貧乏人」的立ち位置で働き続けようと思います。
私は、そのほうが楽しいですからね。
お金持ちのリア充的生活より、労働者的リア充が好きなんです。

その立ち位置でいる限りは70歳過ぎても仕事あるんじゃないかしら。
なんてったって世界の希少資源ですし。
個人的には明るい未来展望が持てた本でした楽しい
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:14 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |