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ライター今泉愛子のブログです
石巻訪問5
 震災直後は、わたしもずいぶんと動揺しました。
わたしの周囲には、文章を書く仕事をしている人が多いのですが、
書けなくなった、とおっしゃる方も多かったです。

企業のサイトには、
「このたびの東日本大震災でお亡くなりになられた方々に
心よりお悔やみ申し上げますとともに、
被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます」

 というような文言が多く掲載されていましたが、
個人のブログや、新聞、雑誌などのエッセイにも、こうした文章を載せる方が
多くいらっしゃいました。
じつはあれに、ものすごく違和感がありました。

毎日作ったお弁当を紹介するブログで、なぜそんな挨拶が必要なのか・・・。
新卒採用についての意見を述べる前に、なぜ?

「わたしは、ちゃんと良識のある人間なんですよ」ということを表明しておかないと、
いけないの? なぜ?

それとこれとはまったく別の話です。
「型」だけを守って、自分が安心したいのでしょうか。
そうじゃなくて、それはそれ、これはこれ。
震災について、気持ちの整理なんてそう簡単にはできません。
災害では、生への優先順位がない。
その人がいい人かどうかなんてこととは一切無関係に飲み込まれてしまう。
結論が出ないまま、ずっと抱えていかなくてはいけないんだと思います。

と、ブログが書けなくなったわたしが批判する資格はないですね。はい。
私ももっと強く行こうと思います


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 18:19 | 東日本大震災 | comments(0) | trackbacks(0) |
石巻訪問4
 

家のなかに残されたピアノ。


週末ごとににぎわっていた市民のサッカー場が墓地に。

言葉が見つかりません。





posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 18:10 | 東日本大震災 | comments(0) | trackbacks(0) |
石巻訪問3
 あまりに時間がとびすぎてしまい、どう再開しようかと悩んでおりました・・・。
そもそもなぜ途切れたかというと、わたしがどういう立場から書くのか、
要するに、わたしのような部外者が、のん気なトーンで書いていいのか、
と思ってしまったからです。

でもじゃあ誰なら書いていいわけ?と。
べつに資格が必要なわけではないんですよね。
見えない何かを恐れることはやめようと思います。

で、石巻。
正直、記憶も薄れております。
現状と違っているのは当然のこと。
でも当時の記録として書いておくとします。

これは、石巻漁港近くです。
このあたりには、缶詰工場があったようです。
正面に倒れているのは、看板代わりだった、巨大缶詰。
このあたりはガス、水道、電気も完全にストップ。
雇用も相当奪われただろうと思いました。



産業がない限り、そこで生活を立て直すことは難しい。

日本製紙の石巻工場では、煙の出ない煙突から、
「がんばろう日本」と描かれたのぼりがはためいていました。


日本製紙は、現在は生産再開しているとか。
よかった。

ところで、この頃、仙台に行こうと決めて、ホテルを探したのですが、
本当に、どこを探してもなく、結局白石市のビジネスホテルに宿泊しました。

聞くところによると、ホテルは、震災以来どこも連続満室。
5連泊プランや30連泊プランなんてのもたくさんありましたが、
震災後すぐに半年先、1年先まで予約が入ったそうです。
もし人手が足りないようなら、他地区から応援を頼むのではなく、
多少経験がなくても、地元の人を雇ってほしい。
パートタイムなど地元の人が働きやすいような形で、
雇用を創ってもらえるといいな、と思いました。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 16:58 | 東日本大震災 | comments(0) | trackbacks(0) |
石巻訪問2
 今回、旧友が車で連れて行ってくれた石巻。
私が立ち寄ったのは、おもに南浜地区とその周辺ですので、
記事は、そこで感じたことになります。

情報というのは、どうしたって偏りますよね。
発信するのも受信するのも人であるなら、バイアスがかかるのはどうしようもない。
私は、今回ボランティアとしてでもなく、
新聞社を訪れたり、誰かを介して誰かを紹介してもらったり、
というようなこともなく、現地を訪れたのは、
まずはゼロから始めたい、という気持ちがあったから。

この先は、ボランティアに関わるもよし、もっと「伝えること」に重きをおくもよし、
あるいは「聞くこと」に活路を見出すもよし、だと思っています。

まずは今回のレポートを進めていきますね。





写真がブレているのが幸いして(泣)、お名前が見えませんが、これは「こいのぼり」で知られる
兵庫県の加東市の小学生が送ったもの。ひとつひとつ名前とメッセージが書いてあります。
石巻市役所に飾ってありました。

市役所も懸命にやっていますよね。
じつは、出発前に「石巻ダメだ情報」がけっこう入ってきていました。
twitterとかblogとか・・・。
でも、それを言っちゃおしまいよ、みたいな話も多い。
ゆっくり温かく見守るのだって、私は「支援」になると思う。

ある公務員の方の、奥さんとお子さんの葬儀がようやく週末に営まれたと聞きました。
それくらい時間がなかったということなんです。
自分のことより、公のこと。
ある公務員の方のお話を聞けたのですが、そうした気持ちが徹底しているように感じました。
ただ「どうしていいのかが見えない」面はあると思います。
それはもう、首相官邸からしてそうなので・・・
ま、あそこのことはさておき、地域で公的な仕事についている方々のこと、
私は応援したいなと思います。

今回は希望編です。


キャベツ!
ここは、津波がどっぷり届いた地域なんです。
でも、こうして育っています!
言葉にならない希望を感じます。

報道系もいいのですが、こういうほっこり系も、なんかいいですよね
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:46 | 東日本大震災 | comments(0) | trackbacks(0) |
石巻訪問
 6月25日石巻に行ってきました。
瓦礫はまだまだ残ってはいるものの、着実に復興に向かっているようでした。
主要な道路は、車線が確保され、順調に走れました。


この道路に立ったとき、もう町は動き出しているんだと思いました。
打ちひしがれて、途方にくれた感じはしませんでした。

写真は、被害が大きかった南浜地区。見渡す限り平地です。
避難するときは、荷物は最低限で、なるべく車を使わずに、とはよく言われることですが、
この広々とした地区で、赤ん坊やお年寄りを連れて、高台まで歩いて避難するのは、
とても難しいことだろうと思いました。
この写真の左側が、門脇地区。その裏手に小高い山がありますが、
これね、道のある山なんかじゃないです。
場所によってはロッククライミングになります。

釜谷地区にある大川小が、児童108人のうち34人しか生存が確認されていないと
報道されています。地震後30分くらい校庭で待機させていたとか。
私自身、石巻に行くまでは、校長先生の判断は正しかったのか?と
考えたりもしていましたが、小学校の裏にあった山は、
もしかすると、とても人が登れるような優しいものではなかったのかもしれません。
岩肌がむき出しになったような山をところどころで見ましたから・・・。
住民まで逃げ込んでくるくらいの場所に小学校があったとしたら、
その先の逃げ場は「ほぼない」状態に近かったのではないか、と思いました。

南浜地区の避難所になっていた、門脇小は、創立137年という歴史ある小学校。
50年前のチリ地震による津波もここには到達しなかったそうです。


津波に加えて火災が起き、小学校はこのような状態になってしまいましたが、
児童たちは、裏山に避難し、死者または行方不明者は7人。
これらの児童のほとんどは、保護者が迎えに来た子たちだそうです。
この話はよく耳にします。

たとえば、どこかの小学校では、保護者がうちの子と、近くの○○くんも一緒に
と親切心で連れ帰り、保護者と児童2名が亡くなったという事例もあると聞きました。

避難マニュアルに、
「保護者が迎えに来ても状況によっては、児童を渡さない」という項目を加えようという
動きもあるようです。

何日かにわけて随時レポートしていきますね。

今回の予習本はこちらでした。
『東日本大震災・石巻の人たちの50日間 ふたたび、ここから』
このタイトルは、いいですよね。

東日本大震災復興構想会議の
復興への提言〜悲惨のなかの希望〜 はセンスなさすぎでしょう。
たしかに、当初の光景は、悲惨だったのかもしれない。
でも、それは内側にいた人が、状況を伝える言葉であって、
外にいる人が使う言葉ではないです。
それを使うなら、おたくの党の状況なんじゃないかしら・・・。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:36 | 東日本大震災 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分で判断すること
地震であれこれ考えましたが、ひとつ書いておこうと思ったのは、
タイトルにもあるように、自分で判断すること、です。

地震が発生し、東京では、交通機関が乱れました。
ちょうど午後3時前でしたから、学校で被災した子どもも多かったと思います。
心配になりますよね。
わかります。本当によくわかります。

息子たちが通っていた小学校では、緊急時は、保護者が迎えに行かなくてはなりません。
仕事を持っていると、すぐに学校に向かえないことも多く、
けっこう大変ですが、子どもたちの安全を考えれば仕方がないですよね。

次男は、遠方の私立中学に通っています。
学校から帰れなくなってしまった生徒も多かったみたい。

あの状況で、車で迎えに行った保護者の方もいらしたようです。
もちろん、お子さんの状況によっては、学校側もそのほうが助かる、という
場合はあると思うので、すべてを否定するわけではありません。

でも、あの学校、恐らく耐震性はOKだろう、という頑丈そうな建物です。
学校側から、子どもたちは無事です、というアナウンスも
サイトに出ていました。
交通機関の回復を待つ、という判断もできるわけです。
道路は大混雑、という状況で、車で迎えに行けば、
さらに混雑を加速させることになります。
緊急車両の通行を妨げることにもつながります。

そこでどうするか。
判断するのは、自分なんですよね。
行かない判断もしていいわけです。

翌日の土曜日、学校が休みなのかどうかと、
問い合わせる保護者の方もいたみたい。
学校が「休校にします」と言わなきゃ、子どもを休ませられない?
いやいや。親が判断してもよいわけです。
学校に判断を預けなくていい場合もあるんです。

台風などのときもそうですよね。
学校が休校にしなかった。
→地震がまた起きた。
→「学校が休校にしなかったのが悪い」
ではないのです。

地震がまた来るかどうかなんて、わかりません。
電車が途中で止まるかどうかもわかりません。
自分で判断するしかないの。
「今日は、安全にまだ確信がもてない。休ませよう」と
自分が判断してもよいんです。
自分たちの安全は、自分たちで確保しましょうね。


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 14:59 | 東日本大震災 | comments(2) | trackbacks(0) |