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ライター今泉愛子のブログです
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心をコントロールしない
 ケルトを巡る旅 神話と伝説の地
河合隼雄
講談社α文庫
740円

妖精への興味を突き詰めると、ケルトに行き着きます。
わたしにとっては、根っこは同じ、というか。
ケルト文化は、キリスト教以前のヨーロッパに、わりと広い範囲で
根付いていました。
キリスト教というのは、宗教のグローバリゼーションというか、
がつがつと世界に広まったイメージがあります。
広まりやすさを持った宗教だったのでしょうね。
キリストという主が存在し、聖書があり。
ケルト文化は、組織的なものではなく、教義もなく、
自然と結びつきながら、広く、ゆるく、人々が信じてきたものだと思います。
キリスト教と比べれば、論理的でないかもしれません。

河合先生はこの本で、こう書いています。

人間は、はるか昔から思考し、試行錯誤を繰り返しながら生きてきた。
近代に入ると、人間が自然を支配し操作して、
自分の欲することを実現してゆくという傾向が急激に強くなる。
それを極限まで押し進めていった国がアメリカだろう。

自然というのは、必ずしも人間に優しい存在ではありません。
「自然に癒される」のは自然のごく一部分を指しているだけ。
自然は、時に地震や大雨、干ばつなどを起こして、
人に理不尽な想いを残します。
どんなにがんばっても、自然にはかなわない。
どんなに懸命に育てても、台風が来ると稲はやられてしまう。
時に人の命すら飲み込みます。
それが昔の人たちにどれくらいのダメージを与えたか。

河合先生も書いている通り、
科学の発展は、自然を克服しようとしたところにあります。

ところがケルト文化は、自然を、無謀さ、尊大さ、理不尽さも
含めて受け止めるものです。
支配しようとはしません。
わたしは、ケルト文化のそこがすごく好きなんです。

多くの宗教は、どこか排他的な部分があるように思います。
自分たちの宗教を大切に思うあまり、ほかの宗教の存在をうまく認められないような。
私自身が既存の宗教に深く入り込めないのは、その部分です。

ケルトというと、マニアックな面もありますが、
わたしは、この本で河合さんが語っているくらいの、緩くて穏やかなケルトが好き。
地域だ遺跡だ、習慣だ神話だ、と具体的なことを調べ上げる気は
ぜんぜんありません。
でも何となく心の支えになる。

この本では、河合先生がケルトの遺跡を訪れたり、ドルイドとよばれる神官に会ったり、
魔女に会ったりしています。
「魔女がいるんだ〜!」と騒ぎ立てるスタンスではありません。
「本当かウソか」を見極める学者的スタンスでもありません。

魔女を信じたい人がいること。
魔女を自称する人がいること。
そこにどんな背景があり、人の心が魔女を通じて何を求めているかを
河合先生は丁寧に解説します。

ケルトにはお話もたくさん残されています。
人がなぜ物語を求めるか。
それは、昨日書いた「異界もの」にも通じる面があると思うんです。

小川洋子さんの『薬指の標本』に出てくる標本室。
さまざまな人が「標本にしてほしい」と持ってくる物たちは、
人が閉じ込めてしまいたい想い、なのかもしれません。
それはすごく大切なものかもしれないし、
もしかすると忘れてしまいたいものかもしれません。
でも標本にすることで、人は自分の心に決着をつけることができる。

人の心を人はコントロールできません。
他人の心だけではありません。自分の心もコントロールできません。
どうしようもなく人を恨んでしまったり、
怒りがわいてきたり。
でもそれが「自然」というものなんですよね。

支配するのではなく、理解したい。

心理学者の河合先生が、ケルトに興味を持たれたのも
必然だったのかな、と思います。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 14:27 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
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