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ライター今泉愛子のブログです
iMac購入
 深い意味もなく、突然iMacを購入しました。
今さら、な感じもあります。
特段、Mac派なわけではなく、
ジョブズの神話にうっとりしたわけでもありません。
単純に、さわってみたかったのと、すっきりデザインが気に入っていたんです。
キーボードが小さいのがいいなあと。

それで、今、じつはある本の紹介の記事を書いていたのですが、
なんと、消えた!!
マジでって感じの、アップルくんですね・・・。

しばらく放置して、戻ったら、消えていたんです。
そんなことがあるの?
という感じの時間切れアウトです。

このPCのどこかにあるのかもしれませんが、
探せたら今日中にアップします。
見つからなかったら、また書きます(泣)
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:44 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
私の心をしばるもの
手放す生き方
〜タイの森の僧侶に学ぶ「気づき」の瞑想実践

アーチャン・チャー 著
ジャック・コーンフィールド、ボール・ブレイター編
星飛雄馬、花輪陽子、花輪敏行訳
2940円(サンガ)

タイトルに惹かれますね。

この本は、テーラワーダ仏教を代表する僧侶のひとり、アーチャン・チャーさんの
法話をまとめたもの。
ところどころ専門用語が入るので、スラスラとは読めない部分もあります。
巻末の用語辞典を見るもよし、読みとばすもよし、です。

わたしもこのところ、わりとシンプルに生きています。
だけど、執着を捨てる、ということがよくわからなかったんです。

服や本などもけっこう処分しましたし、
必要ないものはほしくない。
贅沢にも、昔ほど魅力を感じない。

だけれども、こうなりたい、ああなりたい。
あれが欲しい、これが食べたい。
みたいな欲望を否定されてしまうと、ちょっと辛い・・・。
だって、それが自分の意欲のもとだったり、
楽しさのもとだったり、するわけですから。

でもこの本を読んでいて、気づいたのは、
自分の気持ちに正直になりましょう、ということ。
たとえば、おいしいものを食べて、「おいしい!」とうれしくなることは
いいことなんです。

でも、その食べ物に執着してしまうと、途端に人の心は重くなります。
場合によっては濁ります。
なぜなら、それが欲しい、また食べたいという欲に振り回されてしまうから。
たとえば、本当は行きたくない友人の家に、それがあると知ると
行きたくなります。
誘われると、のこのこと行っちゃうかもしれません。
あれ? それ、本当にやりたいことだっけ? 
その食べ物への執着が、ひとの心をゆがめているんですよね。

今の仕事、やめたい! 
でも、今の生活は維持したいからやめられない。
なんてのも執着の果てに、自分の気持ちに正直になれていないってことです。

でもでもでも。
執着を捨てたら、人生どうなっちゃうのよ。
収入は得られるの?
生活していけるの?

思いますよね。思う思う。
その答えはもちろん本にはありません。

でも、世の中はうまくできているから、
何かで食べていけるんだと思うんです。

これ、まったく根拠のない意見です。
でもそういう根拠のないことを信じてみてもいいんじゃないかな。

手放すのは執着だけではありません。
恐れや不安も手放す。
試験に落ちたらどうしよう。彼に振られたらどうしよう。
太ったらどうしよう。更年期障害がきたらどうしよう(あ、リアル)。
そんな時は、自分が本当は何を恐れているのかと
考えてみる。

試験に落ちたら、人から馬鹿にされる?
彼氏がいなくなったら、自分はどう生きていけばいいかがわからなくなる? 
要するに、休みの日が暇になってしまうのが怖いってこと?
休みの日は、本当にデートしかすることはない?
ほかにやりたいことは、本当にないの?

とまあ、ゆったりとした気持ちになって考えてみるといいんですね。
本書は、瞑想についても書いてあります。
具体的な方法を示す、というよりも、概念的ではありますが、
なるほどね、と思います。

自分の心をフラットにする。
執着からも不安や恐れからも自由になる。
すばらしい世界です。
が、「心の平安を得たい」と強く願うことは、執着でもあるわけです。

心の平安は行き着く先であって、求めるものではない。
んー難しい。
難しいけれど、難しいなりの気づきが得られる、1冊です。

自由な心って、自分のほしいものをほしいと言える心ではないんだろうな。
もっと軽くて心地いいものだと思う。

※画像が消えてしまいました。
 見つかったらまた貼り付けますね。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 13:41 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
エロ本の何が悪い
佐野洋子対談集 人生のきほん
西原理恵子/リリー・フランキー
講談社
1470円

佐野さんは、すごく面白いのですが、
今日は西原さんの話を。

西原さんが仕事を始めたのはムサビ(武蔵野美術大学)時代。
エロ本のカットを描いていたそうです。
ヘタだったけれども、とにかく安くて早いを
モットーにひたすら描いていた、とか。

西原さんはもともと画家志望だったのですが、
大学受験前の予備校やムサビで才能のある人たちを見て、
とても画家ではやっていけないだろう、と思ったとか。

せっせとエロ本のカット描きを続けていたある日、
ページがあいたからなんか描かない? と言われて
漫画を描いて、認められた、と。

自分の才能の限界を知るのってすごく大切なんですね。
仕事柄、たくさんの「有名人」にお会いしますが、
「自分は何でもできる。無敵だ」なんて人はいません。
皆、何がしかの挫折体験はある。
でもそれをどう生かすか。

大学で、エロ本のカット描きをやってる、なんて言ったら、
きっと馬鹿にする人も多かったんじゃないかなあ。
でも西原さんは、身の丈で勝負して、勝ち上がっていった。

挑戦しないと、限界はわからない。
限界がわからないから、自分が何に向いているかもわからない。
挑戦して負けても、それで限界を知ることができたなら儲けものです。
西原さんの場合は、あの独特の作風が生まれた。

AKBだって、「歌」でも「踊り」でも、韓国アイドルたちにかなわない。
でも、1番になれないからこそ、自分たちの勝負ポイントが明確になる。

挑戦しないで、
「わたし、西原理恵子と大学で同級生だったの。
わたしのほうが断然うまかったけどね」
と言い続けるような人生もあります。

画家としてはやっていけない、と判断して、
次にチャレンジするのも、
画家になれたかもしれないのにと思いながら、
ふわふわ過ごすのも、
どちらもありです。
どんな人生を選ぶかは自分次第ってことなんだなあ。

この本は、母と娘の話、人生の話、お金の話、仕事の話と
かなりお得な内容で、わたしの永久保存版です。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:08 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
あなたが決めて
このサイトは、登録(無料)しないと読めないのかな?
飛べなかったらごめんなさいね。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120223/228752/?mlp

記事タイトルは 占い師による「決済代行」
毎週金曜日にアップされる小田嶋隆さんのコラムです。

占い師による決済代行をしてもらっているのは・・・オセロの中島さんです。

占い師をなぜ頼るのか。
それは、決断を代行してくれるから。

仕事をやめたいんです、と相談に行く。
「やめないほうがいいわよ。とにかく春までには我慢しなさい」
と言われる。

よし、春まではがんばるぞ。
と決心する。
そのとおりにする。

この場合、やめる/やめない という判断において、
自分で責任を取らなくていいんですね。

だって、○○先生が言ったんだから、意味があるはず。
と自分を鼓舞しちゃう。

で、春までがんばる。折れる。
先生のところに行く。
「よくがんばったわね。もう十分よ。ゆっくりしなさい」

マインドコントロールのいっちょあがり。
ってなもんです。

小田嶋さんは、デパートの地下食料品売場で
アルバイトしたことがあるそうですが、
お客さんから、「おいしい?」ってよく聞かれたんだそうです。

そう言われた売り子が、「今日のはいまいちです」とか
「それは好き好きです」なんて答えるワケがありません。

その問いかけって、正確な解答を求めているわけじゃない。
何をしてほしいのか。

要するに、「買う」という決断をしてほしいんですね。
「今日売場で、おいしいってすすめられたから、買った」というふうにしたい。
されたがっている。
誰かに背中を押して欲しいのだ。

と小田嶋さんは分析しています。

ううむ〜。
占い師も、あいまいな表現をする人よりも
「こうしなさい」の人のほうがきっと人気が高い。

やっかいなのは、「占いに行くと決めたのは私なんだから」とか
思っている場合。
コントロールされていることに気付けなくなってどつぼにはまる・・・。

まあこれは過度な例ですが、
自分で自分の選択に責任を取りたくない、
他人に決めてもらいたい、
という場面はけっこうあるかも。

気をつけましょー。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 13:51 | - | comments(4) | trackbacks(0) |
妖精に会いに行く
 フィンランド・森の精霊と旅をする

もともと海よりも山が好きで、沖縄よりも北海道が好きなので、
この世界には惹かれます。
昨夏のフィンランド旅行の前に購入しました。
何しに行くの? と聞かれ、「妖精に会いに行くの!」という
メルヘンな返事をして友人たちを煙にまいていたわたし・・・。
もともと、土着信仰みたいなのに興味があるんです。
アニミズムというのかしら。

フィンランドでは、樹が人々を護ってきたんですね。
自分の樹を持ち、うれしいこと、悲しいこと、つらいことがあると
その樹のところに行って打ち明ける、という人たちもいれば、
松の幹に、イニシャルと生年、没年を刻む「カルシッコ」という風習を持つ人たちも。

ところが、ヨーロッパではこうした土着信仰を蹴散らしていくのが
キリスト教なんですよね。
それっていわゆる宗教界のグローバリズムという感じですかね。
ケルトもキリスト教に追いやられたようなところがあります。

土着信仰って、誰かえらい指導者がいるわけではない。
年長者の言い伝え、的なものです。
極端な権力主義もなければ、マニュアルもない。
そういうところがいいんです。

この本はフィンランドの写真家が、フィンランドに残る、森や樹木との
古くからの付き合い方を取材し、写真と文章で1冊にまとめたもの。
原題は『Puiden kansa』、英題は『Tree People』ですね。 
若干不思議な世界なので、
深読みしなくてもいいと思うんです。
わたしも1ページ目から順にがっつりと読み通したわけではありません。
写真を見たり、たまに文章を読んだりしながら、
ああこういう文化がフィンランドにもあるんだなあ。ほっ。
というような・・・。

そんなフィンランドに行って、私も森に入りました。
そこには幻想的な世界が広がっているはずでした。
心が洗われるような体験をするはずでした。

しかしひとり旅です。誰もいません。
森に入る、酔狂な趣味は現代フィンランド人も
あまり持ち合わせていないみたい。
するとですね、精霊を戯れるような余裕が持てない。
不安で不安で・・・。森にいてもちっとも落ち着かない。
道に迷ったらどうしよう。盗賊が出たらどうしよう。へびを見たらどうしよう。
落とし穴とかあったらどうしよう。
人の気配がないことが、あんなに恐怖を誘うなんて知らなかった。

管理されたロッジの庭を散歩するのがもっともほっとすることに
気付いた、へたれ自然派・・・。
現実ってそんなもんです

でもケルトも含め、ちょっと勉強してみたい気のする
今日この頃です。

ちなみにこの本は、NHKの「世界里山紀行 フィンランド・森・妖精」
という番組にもなったとか。
その映像も見てみたいなあ・・・。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:16 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
ほめられたい2

呪いの時代
内田樹(新潮社)
 
ひっぱってます。

>「呪い」がこれほどまでに瀰漫(びまん)したのは、
>人々が自尊感情に満たされることを過剰に求め始めたからです。

と内田樹さんは、書いています。
この言葉が、私にとってはまさしく膝を打つものだったんです。

じつは先日かいた「ほめられたい」も、この流れの話がしたかったのです。
自尊感情に満たされることを過剰に求める傾向というのに、
すごく興味があって。

優秀な人のなかに、たまに感じるのが、
「ほめられたい」という欲求。
ほめられていないと不安になるような傾向、というか。

仕事柄、たくさんの「立派な」ひととお会いする機会があります。
何かを成し遂げているひとって、さほどほめられたい欲求を感じません。

作家さんも学者さんや女優さんも、
何人もインタビューしてきました。
「ほめられたい」傾向の強弱は、人それぞれなのですが、
大きな山を制しているひとは、さほどほめられたい欲求はない気がします。
むしろ小さな山を制している人のほうが、そういう飢えがある。

たとえて言うなら、大企業の社長にはあまり感じないけど、
中小企業の社長には感じることが多い。
※ビジネスマンはあまり取材したことがないので、これはたとえです。

会社のなかにいるだけなら、自分の自尊感情は満たされる。
でも、日経新聞から「私の履歴書」に出ませんかというお誘いはこない。
そこで自尊感情が屈折してしまう・・・。

ネットで、激しく暴れまわるひとたちが、
学歴はそれなりに高いのに、社会的に認められていない人だったりするのと
近いのかなあ。

自尊感情というのは、どうしてこう暴走するようになったのか。
人と比べすぎるんでしょうか。
子どものころ「きみには無限の可能性がある!」と
鼓舞され続けたからでしょうか。
ネットなどで成功している人の情報がはいりすぎるんでしょうか。

いろいろ考えられますね。
内田さんの本って、こんなふうに考える「タネ」をくれるところが好きなんです。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:40 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
呪いの言葉を聞き流す


昨日の深夜2時から、TOKYO FMで、高城剛さんの番組がありました。
これは、通常の放送枠にはない番組で、もちろんスポンサーもなし。
高城さんがゲストを交えて、自由にトークする番組です。
番組名は「高城剛の未来研究所」だったかな。
前回というのは、昨年の夏。半年ぶりの放送です。

わたくし、早寝早起きを身上としておりますが、
これはがんばって聞きました。
(こういう情報は昨日書くべきですね・・・反省)

それで、今日はわたしが高城さんを、お!と思ったきかっけの記事をご紹介します。
GQのサイトにあります。
直接とばせなくて申し訳ないのですが、ここをクリックしていただくと、
下のほうにINTERVIEW のコーナーがあります。
そこに「高城剛のハイパーなシングルライフ」というタイトルがあります。

http://gqjapan.jp/category/NewsAndBusiness/

わたし、基本的にこれまで、興味を持つのって、いかにも硬派で
世間ずれしていないタイプだったんです。
ちょっと不器用ぽいような。

しかし高城さんは、ポジティブ全開! 
見ようによっては、ちゃらい感じ・・・。
私も興味、関心が変わったんだなあ。

高城さんも、
昨日書いたような「呪いの言葉」みたいなのを人から
投げつけられている人なんですよね。

内田さんは、人が気軽に呪いの言葉を吐く事態を「憂慮」して、
著書では、そういう人たちについて考察しています。
それはそれですごく興味深いのだけれど、
高城さんの「気にしない」感じもまたよくて。

マスコミの高城さんに対するスタンスって
「あやしい」「なんか気に食わない」
という感じですが、ご本人は「ま、そんなもんかな」と。

そんな高城さんの軽快な雰囲気を、インタビュアーの吉田豪さんが
見事に再現しています。

高城さんの軽やかさ、しなやかさ、見習いたいなあ。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:47 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
人はなぜ、他人を悪く言いたがるのか
呪いの時代
内田樹
新潮社
1470円

内田さんの本は、けっこう読んでいます。
ブログもチェックしています。

だけど「呪い」という言葉を内田さんが使うことが、
すごく意外でした。
知性とは、逆にあるものののように思ったんです。
ところが、呪いが時代を覆っているというわけです。

本書の冒頭で書かれているのは、学会での一場面。
ある学者の発表のあとの質疑応答の時間に出される質問の多くは、
その内容についてではなく、「○○の論文を読んだことはあるか?」
「○○について言及していないのはなぜか?」という追及。

内田さんはそれを、どうして人は自分が知っていることを高く評価し、
知らないことを低く評価するのか、と述べます。

それが学会に多く見られた現象だったのが、今はネットでも散見されます。
何か意見を言うと、すぐに反論が寄せられる。
その反論は、先に挙げた学者たちと同様に、
「○○も知らないで、○○について語るな」というような、言論を封殺するような口ぶり。

何かを語るとき、そのすべてを知らないと語ってはいけないのか?
でも「すべてを理解する」ことは可能なのか?

広告業界を非難した場合、必ず寄せられるのは、広告業界をよく知らないで。
シングル女性が、子どもがグリーン車で騒ぐのが迷惑、なんて語った時に、
「子育てをしたことのない人に苦労はわからない」とかえしたり。

でも、子育てについて語っていいのは経験者だけってことはないはずだし、
広告業界を知らない人が、広告業界を語ってはいけないってことはない。

ではなぜそういう物言いをしてしまうのか。
相手の気持ちをなえさせるのに、すごく効果的だからです。
これが呪いの言葉。
こうした呪いの言葉で相手を制することで、自分自身は守られるんですよね。
わたしは、間違っていない、と。

でもそれは、回りまわって自分に呪いをかけている、ということですよ、と
内田さんは説きます。

わたしも、いろいろな場で、
「創造」へのリスペクトが、足りないな、と感じることがあります。
音楽にしろ小説にしろ、写真や絵画や映画だって、料理や服だって、
批判することはすごく簡単なんです。

内田さんも書いているのですが、
小説を書いてみたら、自分がいかに下手くそかがわかる。
だから自分自身を守りたいひとは、自分で書かないで、
書いたものを批判する。
批判することで、自分の力を誇示する。
相手が黙れば黙るほど、自分の力が大きくなっていくような気がする。

もちろん、誰もが小説を書けるわけではないので、
書けない人は批判するな、と言いたいわけではないんですよね。
ただ、小説を書くことへの挑戦をして成功したから、作品が生まれた、
ということを認めたうえで、批判しないとダメだと思うんですよね。

産経新聞で、石原千秋さんがやっている文芸時評が好きで
毎回楽しみに読んでいます。
前回、角田光代さんのルポルタージュについて述べていらっしゃいました。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120129/bks12012909170000-n2.htm

かなり厳しいですが、これが批評かな、と私なりに理解しました。
石原さんの角田さんへの愛も感じます。
誰も、こういうことを言ってくれないものです。
これは呪いじゃないと思うんです。
すべての批評が呪いになるわけではない。

先日紹介した、山下達郎さんの記事にもありました。
http://www.asakyu.com/column/?id=1037

>できることなら、今の若い人にはそういう周囲の雑音に負けないで
>仕事をして欲しいと思っていますが、
>残念なことに、今はそれがとても難しい時代です。

達郎さんはこの記事のなかで、度を越した批判は、文化自体をも曇らせていくものです。
と述べています。

人に呪いをかけない。
じつはわたしもたまに呪ってしまう・・・つまりワルクチをいってしまう
ことがあるんですが、そういうときは、一歩ひいて、
私は何が言いたいんだろう?と考えてみます。
たいていの場合は、うらやましいんです。相手のことが。

自分にかけた呪いを解く方法は、ぜひ本を読んでみてくださいね。

※野田秀樹さんのTHE BEEのチケットにはずれました(泣)。
 で、自分が前回かいた記事を読んでいたら、ところどころ「野田」が「和田」になってる!!
 受験のカリスマ和田秀樹さんとごっちゃになってるんでしょう(号泣)。
 基本、あとで書き直したくなっても直さないことにしているんですが、
 さすがにこれは修正します。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:21 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
どうして私は、母を愛せないのだろう。
放蕩記
村山由佳
集英社

タイトルは、帯にあった言葉です。
衝撃的ですね。

私たち世代(ぐっと長く見積もって30代から50代)の母親って、
娘を「しつけなくては」という意識がすごく強かったように思います。

ほめるなんて言語道断で、あなたのここがダメ、あそこがダメと
重箱をひっくりかえして裏までつつく感じ・・・。
もちろん優しいお母さんも存在したとは思いますが。

先日、電車のなかで「それは、お母さんの味がした」という
キャッチコピーを見たんです。
うわ、まずそーと反射的に思ったら、ホットココアの宣伝で、
ああ、これは甘いとかあったかいという意味だったのか・・・と納得したわたし。

放蕩記、これは母と娘の物語です。
半自伝的小説とあるとおり、夏帆は、小説家です。
冒頭がうまいんです。
離れて暮らす母に会いに行って、イライラさせられる夏帆。

母親の、娘なら何を言っても許される、という無神経な感じが
じつにリアル。
このるお母さんは、夏帆が幼いころから、
ほめるときは言葉を惜しまずどんどんほめる。
それなのに、けなすときは一瞬にしてぺしゃんこに潰す。
しつけじゃなくて、調教だった、と夏帆は回想します。

うんうん。
どんどん引き込まれます。

夏帆は、離婚するんですが、前の夫との関係が、
母との関係のようだったのでは? と女友達から指摘されるんです。

これはねー。
どきっとしますでしょう。
人間関係って、パターンがありますよね。
わかりやすいところで言えば、男女。
自分の好きなタイプ、というのは、好きなパターンの人間関係を築ける人
と言えるかも。
女性に対して、いばりたい男性は、いばれる女性を選ぶ。
それはもしかすると、自分が母親に対してとっていた態度で、
そのパターンが一番安心できる、のかもしれません。

夏帆は、その夫と別れるんですが、そこから・・・すみません、話は飛びますが、
現実の村山さんは大飛躍するわけなんですよね。

それを知っているだけに、またこの小説がものすごく面白く読めるんです。
ハマります。

自分にも当てはめられるし、村山さんにもあてはめられるし、
とにかく読みながら、たくさんの小さな物語を生み出せるんですよ。自分が。
頭のなかがぐるぐると回転する感じ。

夏帆は、母との関係をどんなふうに消化していくのでしょうか。
ぜひ読んでみてください。

そうそう。
このお母さんとお父さんの関西弁もいいんです。
田辺聖子さんの関西弁って、若干、東京の人に遠慮している感じがするんです。
実際の言葉とはちょっと変えているような。
ところが、この両親のばりばりの関西弁は、遠慮もくそもあらへん。
って感じで。うまいわあ、と関西人も納得でした。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 17:18 | 母と娘 | comments(0) | trackbacks(0) |
おすすめ書店
今日はおすすめの書店を。
といっても個人的なお気に入り店です。
文芸、カルチャー、実用などが充実しているってことになるんだと思います。

何と言ってもベスト1は、新宿のジュンク堂。
わたしの年間書籍代の60%くらいは占めていると思う。

何と言っても本がたくさんあるところが好きなのですが、
イスもあるし、検索機もあるので、遠慮なくずっと本探しができるんです。
これってありがたい。
 わたしはもう勢いがつくととまらずずっと本を選んでいて、軽く1万円オーバー。
するともれなくカフェのドリンク券がついてきます。

ところが、こちらはなんと3月末で閉店だとか!!がーん冷や汗(あ、これ死語?)

新宿には、紀伊国屋書店があるのですが、
わたしはなぜかここで本を買ったことがほとんどありません。
人が多すぎるのかなあ。
南口にも店舗があるのですが、なぜかどうも居心地がよくない。
理由はまったくわかりません。

駅から近いところでは、ブックファーストのルミネ店。
ここはもともと青山ブックセンターだったんです。
今も棚にはその面影が残っていて、ビジュアル系の本が多めにあります。

新宿西口にも、ブックファーストがあるのですが、
あそこは、スペースがいくつかに分かれていて、
それぞれで会計を済ませなくてはならないところが難点。
棚の雰囲気とか、フロアの構成とかいいんですけどね。

ジュンク堂は、池袋にもあります。もしかすると池袋のほうが大きいのかも。
ですが、駅から若干遠いのと、検索機が少ないので、ちょっと不便。
カフェは、外光が入ってくつろげるのですが。

池袋だと、リブロに行くことが多いかな。

渋谷では、東急百貨店にある、MARUZEN&ジュンク堂が広いのですが、
こちらも駅から遠い。
で、よく行くのは、啓文堂です。

井の頭線の駅の近くにあります。
ここは選書がいいと思います。
この広さなのに行くと必ず欲しくなるような本がある。
文庫、新書は若干弱いかもしれませんが、文芸(外国文学含む)、
カルチャー、実用あたりはすごくよいと思います。
 
銀座だと、教文館。
じつは以前あるミュージシャンがインタビューで「ぼくは、CDより断然本を買ってます。
家にいるときも音楽を聴く時間より本を読んでいる時間のほうが長いです」と
おっしゃったことがあって。
どんな本を読んでいるんですか?と聞いたら、
これがまあ私の全然知らない本ばかり。
読んでみたらどれもすごく面白い。
あ、負けた。
と。
彼がよく行くのが教文館でした。
 
あの独特のゆるゆるとした雰囲気がいいんですよね。
ここもいい本が並んでいます。店員さんたちも本への愛がある感じ。

東京駅だと、丸善。フロアの構成が画一的でなくて落ち着きます。
ここもカフェがあったり、文房具があったりといい感じです。

そういえば、かつて私はABC(青山ブックセンター)ラバーだったのですが、
最近行ってないですね。
単純に表参道に行かなくなったことが大きいのですが、本の好みも変わったのかも。
 前は、ゆるい本が好きだったんです。
「わたしの好きな本」みたいなタイトルの、なんでしょ、あまり主張のないような。
装丁もクウネル系な感じで。
でも最近はそれだと物足りない。
そういう嗜好も反映しているのかもなあ。
ABCという文化の香りにも酔ってたんでしょうね。
とはいえ、また通う日が来ることもあるかも。
 
電子書籍に反対する立場ではありませんが、
書店という空間は、消えないでほしいです。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:03 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |