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ライター今泉愛子のブログです
勝負する女
 アンリミテッド/コム デ ギャルソン
清水早苗、NHK番組制作班編
平凡社
5775円

この本は、ずいぶんと前に読んで、
やっぱり川久保玲はすごい!と感心したのでした。

先日、山本耀司さんの本を読んだのを機に
書棚から取り出しました。

川久保さんは、雇われデザイナーではないんですよね。
デザイナーであるのと同時に経営者でもある。
今は知らないのですが、コム・デ・ギャルソンという会社、
10年くらい前は、広報という業務に対して
あまり積極的ではなかったように記憶しています。
服がすべて。
そういう考えであると当時お聞きした記憶があります。
(今はわからないのですが)

この本は、川久保玲さん自身と、
周囲の人たちの川久保玲さんに対するコメントで成り立っています。

カール・ラガーフェルドは言います。
 川久保はそこに現れて、私たちのゲームの秩序を乱したんです。
 まるで違ったものを提案したんですよ。

川久保玲は言います。
 そのとき自分がきれいだなと思ったことをやったにすぎないのです。
 ただそれに対して、たくさんの反発を受けました。

 結果的には、それが次のもの作りをするための刺激になりました。
 ああそうですか、わかりました、皆さんの思うきれいなものを作
 りましょう、とはまさか思いませんから。なんでわからないんで
 すかと、むしろ居直りました。

この本に登場する、川久保さんの言葉には、怒りがみなぎっているんです。
どの言葉にも、川久保さんのパワーを感じる。
ずっと戦い続けてきた人なんですね。

アーティストというと、ちょっと浮世離れしているようなイメージも
あるんです。自由、わがまま、というんでしょうか。
金勘定とは無関係に、自由にのびのびと作りたいものを作る、
というようなイメージ。

でも社会で成功している人・・・つまり仕事として成立させている人は、
そんなことはないですね。
彼女は経営者としてもじつにしっかりしています。
服を作り続けていたいなら、自分で経営するのが一番なんです。
だって「ビジネス」に巻き込まれずに、作りたいものが作れるから。
経営やビジネスに関する言葉もなかなか鋭いんですよね。

年初に朝日新聞で、川久保玲さんのインタビューが掲載されたとか。
残念。読んでません。

本は買えば読めますので。
ちょっと高いんですが、いい本です。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 14:35 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
孤独との付き合い方
 海の仙人
絲山秋子
新潮文庫
380円

上手い!
もうそれしか言うことがない。

登場人物にも無駄がなく、それぞれの役割を果たしてしるんです。
脇役も脇役としての役割をきっちり。
だから破綻がない。

すぐにテレビドラマにできるような小説もありますよね。
それを悪いというつもりはまったくなくて、
それはそれなのですが、
この作品は、小説でしか表現できない世界、と思います。

おもな登場人物は、5人。
銀座のデパートを退職して、敦賀に移り住んだ主人公。
デパート時代の同僚2人と
主人公が敦賀で出会った女性
そして、神様のファンタジー。

主人公が仕事をやめたのは、宝くじで3億円が当たったから。
でも、それが違和感なく受け入れられる。
偶然と必然をうまくあわせられるのも絲山さんの力量でしょう。

彼は、偶然海で出会った女性と付き合うようになります。
そして女性は、水戸に転勤になります。
付いてこないかと誘う女性。断る主人公。
主人公は、他人を必要としていないように見えます。
孤独です。
でも孤独って誰もが抱えているものなんですよね。
その孤独に悲しみの気配があるか、ないか。
孤独の悲しみを知っている人は、人の孤独を尊重する。
そのあたりの微妙な感じをすごくうまく描き分けていて。

神様のファンタジーも、見える人には見える。
見えない人には見えない。
見えていたのに、見えなくなることもある。

その基準もまた絶妙。
わたしもその基準をうまく言葉にはできません。
できないけど、納得はするんです。
ひっかからない。

こういう絶妙さを表現するのって、小説が一番適している気がする。
それを証明しちゃう絲山さんに拍手です。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:06 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
大地震に備えて
 首都圏直下型地震のシミュレーションがマスコミを賑わしています。
ああなる、こうなる、そうなったら、と喧しい。
これは、先日紹介した『ショック・ドクトリン』の構図に近いものがあります。
ショック・ドクトリンとは、「大惨事につけ込んで実施される
過激な市場原理主義」です。

大惨事は起きていませんから、ちょっと違いますが、
「大惨事が来る」と恐怖感を煽ることで、
正常な思考を少しだけそらせる。
そこで増税!ってのは、ありそうなパターンですね。

だけど日本では、過激な市場原理主義って、あまり流行らない気がします。
民間に、そこまでリーダーシップのある人がいないからでしょうか。
そこまで腹黒くないからでしょうか。
自分たちだけが儲かればいいという考えがあまりないのでしょうか。

『ショック・ドクトリン』を読んでいると、
過激な市場原理主義者たちの考えるいい社会って、
徹底した弱肉強食であることがわかります。
人の気持ちも人の都合もどうでもいい。自分が第一。
それを全員がやれば(つまり全員が自分第一で考えれば)、
まったく不公平じゃないでしょ、というわけです。
そういう人とやりあう場合、こちらが相手の都合に配慮していたら
当然ダメなわけで。

私たちも「もしかしたら大地震がまた来るかもしれないし、
増税はやむを得ないかな」なんて考えてしまうのは、
政府の思うつぼなのかしら。

でも、政府は、民間企業ではなく、私たちのことを第一に
考えてくれているはずだ、という信頼感のある社会っていいですよね。

あまりに、目を光らせるのも疲れるし、信頼しすぎるのも危ないし。
そういう中途半端な立ち位置をまずは自覚することが大切。
佐々木俊尚さんの『当事者の時代』からの受け売りっぽいまとめでした。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:03 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
ベリーダンスパーティ
 

横森理香さんが主宰する、シークレットロータスで、
ベリーダンスを習っております。
先週末、そこのパーティで、プロのダンサーのダンスを見ました。

ダンサーは、サマンヨルでも活躍していた、TANISHQさん。
いやあもう、すごいです。
どうやったらあんなに自在な動きができるんでしょう。

私の場合、「ベリーダンスやってる」と言うと、
ほぼ全員から「え?」とけげんそうにされます。
たぶんベリーダンスをやるように見えないんですよね・・・。

私自身、Graziaで取材した横森さんの「ベリーダンスはからだにいいよー!』
という言葉に、ひょいっと乗っかり、そのまま来たという感じ。

でも世間の「え、ベリーダンス?」的反応に不審を感じ、
YouTubeで映像をみたところ、ぎょ! 
私が目指しているのって、こういう世界だったの?
とびっくりしたのが最近のこと。

というわけで、プロのダンスが目の前で見れるというこのパーティに
出席したのでした。
いやあ、本当に妖艶ですばらしかった。

「踊り子」というのは、ミサイルを発射した国にもいるようですし、
静御前もそうだったんですかね。
男の権力者の脇に控えている存在なのでしょうか。

ベリーダンスもそういう方向で見られることの多いダンスです。
でも私が感じるのは、
「男にこびる」ダンスというよりも
「女であることを悦ぶ」ダンスですね。
祭りで踊ったりするイメージ。
人に見せるよりも前に自分自身が楽しむ。
だから女同士で踊るのもすごく楽しいです。
踊っていると、からだだけでなく、頭も心も
どんどんほぐれてゆきます。

これからもがんばろうっと。


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:42 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
ヨウジヤマモト3
 MY DEAR BOMB
山本耀司、満田愛
岩波書店
2940円

もうこれで最後にしますね。

コレクションについて。
>わたしの場合、単純に「こんなもの作ったんだけど、見てくれる?」というのが
>基本的な発想
だそうです。

世界中からファッションピープルが集まって、
自分が全エネルギーを費やした作品を見ていく。
その緊張感は想像できないですね。

耀司さんは言うんです。

>自分がいかにダメか、それを眺める感受性があるかどうか、
そこが勝負なのだと思う。ダメなときは、ダメでよい。
今回はダメだったよね、というメッセージさえあればよいのだ。

これがずっと勝負し続ける人の言葉なんだな、と思いました。
勝負は一回ではないですから。
コレクションを発表するデザイナーのなかには、
自分のすばらしさに恍惚とする人もいるでしょう。
逆に、打ちひしがれる人もいるかもしれない。
どれだけ喝采を浴びても満足できない人もいるし、
どれだけブーイングを浴びても満足できる人もいる。

「それを眺める感受性」というのは、
すごく言い得た言葉だなあと思います。
「眺める」んですよね。
自分と切り離すような感覚でしょうか。

自分がいかにダメか。
それは何かを生み出す仕事をしている人なら誰もが抱く感情ですよね。
時にそれにつぶされそうになります。
人からどれだけほめられようと、自分で自分がほめられない。
そんな日もあります。

それを眺める感受性があるかどうか。そこが勝負。
なるほどな、と思いました。

完璧なものなんて、この世には存在しないでしょう。
だとしたら、失敗し続ける覚悟を持つこと。
それが挑戦するという意味なのかもしれません。

この本には、山本耀司さんのすべてが詰まっています。
衣装デザインを担当した、北野映画への言及もなかなか興味深く、
充実の一冊です。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:37 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヨウジヤマモト2
 MY DEAR BOMB
山本耀司、満田愛
岩波書店
2940円

続きです。
耀司さんは、アクセサリーが嫌いなんだそうです。
>アクセサリーには「共犯者」という意味があるのだそうだ。
とあります。

共犯者。
耀司さんは、坂口安吾『風と光と二十の私と』の一節を引用します。

>牛乳屋の落第生が悪さをした場面で、
「子供のやることには必ず裏側に悲しい意味があるので、
決して表面の事柄だけで判断してはいけないものだ」として、
一言だけこう言い聞かせるところがある。
「これからは人をそそのかして物を盗ませたりしちゃいけないよ。
どうしても悪いことをせずにいられなかったら、人を使わずに、
自分一人でやれ。善いことも悪いことも自分一人でやるんだ」


自分一人で。
共犯者は必要ないということですね。

>何事も本来は価値のないものなのだという、諦め、割りきり、
 そういった潔い賢さがあって、その上で遊ぶ感覚が欲しい。

潔い賢さ。
いい言葉だなあと思いました。

自分をよりよく見せたいという気持ちは、誰にもありますよね。
でも「自分は何ほどのものでもない」という自覚がベースにあるかどうかで
違うんだと思います。

10本の指すべてに指輪をはめて、胸元にも耳にも
装飾品を光らせている人を見ると、痛々しく感じる時がありますね。
「そんなに自分に自信がないのかな?」って。

ご本人は、まったくそう思っていないと思うんです。
でもその痛々しさは、もしかすると自分のコンプレックスと
向き合わないまま共犯者を求めているからかも。
自分自身の未熟さを自覚したうえで「だけど自分一人でやるしかない」と
決意すること。
そこから、潔い賢さは生まれてくるのかな。

この本の完成度の高さは、もちろん耀司さんのすばらしさが
一番ですが、共著者としてクレジットされている満田愛さんの
お力もあるのでしょうか。

あともう1回書きます。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:59 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヨウジヤマモト
女よ、一生、女でいてくれ。女を売りにしたり、誰かの奥さんになったり、
キャリア・ウーマンになったり、そんな肩書きに生きるのではなく、
女よ、ずっと女でいてくれ。

MY DEAR BOMB
山本耀司、満田愛
岩波書店
2940円

書店で見つけた時、立ち読み防止のカバーがかかっていて、
中身が確かめられませんでした。
値段も高いし、デザイナーの本って外れるときは外れる気もして、
一瞬迷ったのですが、ええい!と購入。
大正解でした。
もしかすると今年のベスト本になるかも、くらいの満足度です。

冒頭に引用したのは、本書の一節です。
この本では、言葉によって、デザイナー山本耀司を表現しています。
彼がデザインした服の背景には、女への愛、母への想いがあるんですね。

山本耀司さんのお母さんは歌舞伎町で洋装店を営んでいたそうです。

>歌舞伎町という街は、いかに男を誘惑するかを仕事にしている女たちで溢れていた。
>それがわたしの小学生の頃の女性というものの思い出だったから、男のための、
>ただかわいいだけのお人形さんだけは絶対に作るまい、と心に決めていた。

お父さんは、耀司さんが1歳の時に出征し、そのまま戻ってこなかったそうです。
お母さんは、ある日から喪服のような黒い服しか着なくなったとか。

彼のデザインする1着の服にどれだけの物語が込められているのか。
綴られた詩のような文章を、一文字ずつしっかりと胸に刻みながら読みました。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:28 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
喜びと哀しみの間から見つかる何か
 
昨夜は、松田美由紀さんと太田恵資さん、坂本弘道さんによる、
朗読を中心にしたパフォーマンスを見てきました。

美由紀さんの朗読は、扶桑社から出ている『子宮の言葉』から。
30歳のとき、優作さんが亡くなられた後に、書かれた作品です。

わたしは、昨年下北沢のLady Jane で 開催された初回も見に行ったんです。
すごく感動して、帰りにさっそく『子宮の言葉』を購入しました。

基本、わたしは目で文字を追うことが大好きなのですが、
耳から言葉が入ってくる朗読には、また違う魅力があります。

情報が入ってくるスピードは、当然読む方が速いです。
その分、言葉と戯れる時間が少ない。
頭で理解する感じなんですよね。
でも耳で聞く言葉は心で受け止める感じ。

20代という、女優として働き盛りの時期を、
妻として、母として生きた美由紀さんは、
3人の子どもに恵まれ、
そして夫を失います。

この本を書いた時、美由紀さんにはどんな時間が流れていたんだろう。
そんなことを想いながら、言葉を聞いていると、
美由紀さんと対話しているような、自分と対話しているような、
不思議な気持ちになります。

満ち足りた気持ちのなかにある、ちょっとしたほころび。
絶望のなかにある、かすかな光。

30歳の美由紀さんが抱えていた
不安と希望、喜びと哀しみ。
それを表す言葉を、さらにバイオリンとチェロの響きが盛り上げて。

そうとう完成度の高いパフォーマンスだと思います。

次は5月にあるそうです。
お楽しみに!!

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:22 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
米国はもう稼げません
大停滞
タイラー・コーエン
NTT出版
1680円

お次はこちら。
今をときめく、タイラー・コーエンです。

こちらも昨年の話題の書ですが、
彼の主張については賛否両論ありますね。

端的に言ってしまえば、
もう米国経済は大きな成長を望めませんね。さてどうしますか。
というお話です。
なるべく緻密な論を知りたい方にはお勧めしないし、
今のアメリカ経済の状態をさくっと知りたい方にはお勧めします。

タイラー・コーエンは、これまでのような経済成長モデルを踏襲することは
不可能です、と言っています。

産業の世界でイノベーションが起きると、人々の生活は豊かになります。
車が誕生すれば、人や物の交流がうまれます。
ハイビジョンテレビができれば、より豊かな映像ライフが送れます。
インターネットの発達もそうでした。

車の誕生は、雇用を生みました。工場にはたくさんの労働者が必要だったんです。
一方で、人は「車」を、お金を払って手に入れました。
車メーカーは、たっぷり儲けられたんですね。

こうして経済は回っていたわけですが、
インターネットって、
雇用をたくさん生み出すわけでなし(むしろ減らすことの方が多い)、
提供側が儲けることだってけっこう難しい(積極的にお金を払おうとしない利用者が多い)。

タイラー・コーエンは、「容易に収穫できる果実」という言葉を使って、
3つの経済成長要因を説明します。
ひとつは、先に書いたイノベーション。
ほかに、無償の土地、未教育の賢い子どもたちをあげています。
無償の土地というのは、アメリカ大陸です。
アメリカ大陸にやってきた入植者たちは、そこから大きな経済発展を築きました。
未教育の賢い子どもたち、というのは、子どもたちが適切な教育を受けることで、
経済発展に貢献できる大人になることができる、というわけです。

ところがそうした「容易に収穫できる果実」は、もはやないに等しい。
イノベーションは、大して収益を上げないし、
無償の土地なんてもうない。
子どもたちの教育は行き渡ってしまった。
さてどうしましょうか。

というようなお話です。

これを昨日書いた『ショック・ドクトリン』とつなげると
ちょっと怖い。
もう稼げない、と悟った米国が次に打ってくる手は、
他国で稼ぐこと・・・だったらどうしましょう。

ところで、昨日書いたことにも似ていますが、
こういう本を読んでいると、
経済って、発展しなくちゃいけないのかな。
お金って、儲けなくちゃいけないのかな。
って思います。

グローバリズムって、私が感じるところでは、
築30年の木造平屋に住むよりも、
最新セキュリティシステムを備えたタワーマンションに住む方が
幸せに決まってるじゃん!
と、言われているようなところがあって。

いや、それ誰の幸せよ?
大きなお世話じゃん!
みたいなね。

しかもそのタワーマンションを売ってるのが、多国籍企業だったりして、
国内企業はほとんど儲かっていなかったりすると、
脱力じゃないですか。

グローバリズム反対!ってことでもないんですけれども、
全面的に賛成とは言い切れません。
佐々木俊尚さんおっしゃるところの
「グレーな領域」から眺めていたいテーマですね。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:52 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
そんなに儲けたいの?
ショック・ドクトリン
ナオミ・クライン著
岩波書店
上巻・下巻 各2,625円

 日本で出版されたのは昨年ですが、
米国では2007年に出版された本で、とても話題になったとか。
たしかに衝撃的な内容です。

でもタイトルがわかりづらいですね。
ショック・ドクトリンとは、
「惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される
過激な市場原理主義改革のこと」だそうです。

「大惨事につけこむ」ってどういうことでしょう。
たとえば、911ですね。
あれによって、米国民はテロを脅威と強く意識するようになりました。
そこで、テロ対策に莫大なお金をかけることになります。
当然、それに対応する企業は大儲けします。

それは「必要なことだから仕方ない」と思うかもしれません。
でも、企業があらかじめその機会を探っていたとしたら?
自分たちの都合のいい演出が加えられていたとしたら?

この本のベースになっているのは、
ミルトン・フリードマンが提唱する、新自由主義への疑念です。
新自由主義とは、市場原理主義とも言いますが、
小さな政府・・・要するに、どんどん政府の力を小さくして、
民間にゆだねましょう。
自由な価格競争をするのが、経済にとっては一番いいのです、
という考え方ですね。

これ、日本でもしきりにいわれました。
国鉄も電電公社も民営化しました。
そのあたりまではそう悪くはなかったのかも。

でもこの本に出てくる、世界の「ショック・ドクトリン」の例を
読んでいると、相当びびりますよ。

たとえば、スマトラ沖地震。
大惨事後の復興が民間主導で進んだ場合どうなるか。
スリランカの海岸線に登場したのは、観光客が楽しめる高級リゾートでした。
地元の漁民は、家も仕事場も同時に失ったわけです。

その地域から上がる「売り上げ」は、そのほうが多いかもしれません。
小さな漁船で、魚を釣って生活したところで、
そう大したお金にはなりません。
海外の金持ち客をよんだ方が、売り上げは立ちます。
でも、それが本当に正解なの?ってことです。

金儲けが悪いとはいいません。
でも、金儲けに走りだすと、本質はどんどんゆがめられる。

海岸沿いに漁民が住んで、漁業をやるより、
観光客をよんだ方が外貨も獲得できるし、海岸線はきれいだし、
いいことづくめでしょう? と言われても、すんなり「うん」と言えません。
地元のひとたちの幸せを犠牲にして成り立つ、新自由主義って、
どうなの?

もちろんケースバイケースではあるんです。
古い体制を打破しなくてはならない場面もあるとは思います。
でも経済効率を最優先しなくてもいいと思う。
だってそもそも、なんでそんなに儲けなくちゃいけないの?

自由な競争によって、大手のスーパーが地方にたくさん進出して、
誰が儲けたの? 
大手企業じゃん!
みたいな話です。
もちろん地元の人にとっては、豊富な品揃えも魅力でしょうし、
いいものが安く手に入ったりする場面も増えたのかもしれません。
でも「儲け」最優先の企業は、儲からなくなったらとっとと撤退します。
それでいいの?

わたしが興味深かったのは、終章に描かれた、各国の動きです。
こうした米国式新自由主義に反発する国もたくさん出てきてるんです。

たとえば、ブラジルは、IMFとの融資協定を更新しないことに決めたとか。
自国にとってプラスになるとは思えないからです。

ボリビアは、世界銀行の仲裁裁判所からの脱退を発表。
モラレス大統領はこう言います。
「世界中のどの国の政府も裁判に勝った試しはない。
勝つのはいつも多国籍企業の方だ」

小さな政府を標榜した新自由主義は、自由な競争を促進して、
大きな企業を育てたということでしょうか。
と考えると、TPPも要注意な気がしてきます。

世界中から垣根をなくして、一番得するのは、いったい誰なんでしょう。
そもそも「得する」という考え方がおかしい気がしますよね。
そんなに儲けてどうするんだ!

Amazonで、すばらしい書評が公開されておりますので、
興味のある方はそちらもぜひ。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 17:54 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |