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ライター今泉愛子のブログです
フィンランドひとり旅5
 フィンランドから帰ってきて、まずやったのが、
twitterとfacebookをやめることでした。
あれも知りたいこれも知りたいとネット上をウロウロしていることが、
なんだかすごく心貧しい感じがしたんです。
ちょうだい、ちょうだい、もっとちょうだいって。
その頃は「え、知らないの?」と人から言われることを
すごく恐れてたんですよね。
自分だけが乗り遅れるような恐怖。
「え、知らないの?」と言われたら、
「うん、知らない」と答えればいいだけなのに。

知っていることにどんな意味があるのか。
誰かの意見を読んだだけで自分が賢くなるのか。
全然そんなことはないのに、賢くなった気になってしまうんですよね。

賢さってなんでしょう。
わたしは、不安に支配されないことだと思いました。
賢さというか、聡明さかな。
「嫌われたらどうしよう」
「仕事がなくなったらどうしよう」
「間に合わなかったらどうしよう」
そんなことばかり考えていたら、前に進めません。
もっと気持ちをシンプルにしないと。

都市型生活で欲望に振り回されると、執着が生まれ、
バランスを崩すこともわかりました。
「あれが欲しい」と思うと、気持ちがすごく高揚するんです。
ショップ巡りもすごく楽しいし、「これください」という瞬間は、
もう最高にアドレナリン放出状態です。うっとりします。
でもそれってかなり「自分に酔ってる」感じ。
素敵なお洋服を買う自分、そのお洋服を来て素敵なレストランに通う自分、
そこで美味しい料理を楽しむ自分。
「わたし最高」みたいな感じなんですよね。
それを続けていると、日々の営みがすごくおろそかになる。
脱いだ靴を揃える、みたいなことが、面倒くさくなるんです。

銀座で寿司を食べ、青山でお洋服を買い、西麻布のバーで酒を飲み、
なんて生活をずっと楽しんでたつもりだったのですが、
それが自分にとってどういう意味なのかがわかってなかった。

自覚の問題ですね。
これからもお洋服は買うし、お酒も飲みます。
素敵なレストランで食事するのも好き。
でもわたしは、それだけを好んでいるわけではない。
バランスの取り方を変えよう、と思ったのでした。

もともとシンプル好みでしたが、
それに磨きをかけたフィンランド旅行なのでありました。

が、しかし。
この旅から帰って、10日後には、ふたたび英国へと旅立ちました。
当時は、うまく着地できなかったんです。
なになになに?って感じで、一時的にすごく不安定になりました。
そわそわしてしまって、自分が感じたことを言葉にできない。
旅の記録を書くのに1年かかっていますしね。
フィンランド旅行で感じたことを、
日々の生活に落とし込むのに1年かかったということです。
今ようやくいい旅だったと言えるのでした。
妖精には会えなかったけど!


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:48 | | comments(2) | trackbacks(0) |
フィンランドひとり旅4
 ヘルシンキでは、デザインホテルに宿泊しました。
Klaus Kというホテルです。


お洒落でサービスもよかったのですが、高かったです。
シングルで1泊185ユーロ。
1年前は1ユーロが120円くらい。
ってことは・・・1泊2万円を超えます。
なかなか優雅なおひとり様です。
朝食も素敵だったし、アメニティもいい。
ボディソープは、購入したくらい。
でもちょっと部屋が狭かった。

お部屋では、テレビがPCにもなっていて、
インターネットも自由にできます。
音楽も楽しめるのですが、アメリカやイギリスの音楽ばかり。
北欧の最先端のジャズは?
クラシックなら、モーツァルトじゃなくてシベリウスでしょう、と
思ってしまったのでした。

ヘルシンキでは、かもめ食堂にもマリメッコにも興味がなくて、
適当にバスに乗って、適当に降りて、ぶらぶら。
電車に乗って、適当に降りて、ぶらぶら。
みたいなことをやっていました。

自分が今どこにいるかがわからなくなってしまうこともしばしばで、
道行く人に、地図を片手に「Where am I?」と聞いたこともありました。
でも、そういう行き当たりばったり感、すごく好きなんです。
とは言え、緊張感はつねにあって、頭もフル稼働。
電車の切符の買い方、バスの停留所や行き先のチェックなどは、
地図を片手にかなり真剣にやっていました。



アアルト大学にも無事たどり着けました。
(アアルトはフィンランドの有名な建築家です)
この大学は、別名ヘルシンキ工科大学と言います。
大学内の書店にも行ってみました。
気付いたのは、MacやWindowsの本はあるのに、LINUXはないということ。
ここでもまた、えーフィンランドだったらLINUXでしょう、と
思ってしまいました。

ふらりと入ったスーパーでは、IZUMI TATENO と書かれたポスターを発見。
名前はどう見ても日本人です。
帰国して調べたところ、ヘルシンキ在住のピアニストの方だとわかり、
早速CDを購入しました。

電車やバスに乗っている時に、気付いたのは、
「誰も携帯をさわっていない!」ということ。
大方の人はのんびりと窓の外を眺めています。

フィンランドのIT環境はすごくいいです。
キルピスヤルビの山の中でも、携帯は繋がっていました。
レストランやホテル、バスの予約もすべてネットでOK。
でも、電車の中で電話を取る人も、
ネットに繋げている人もいなかった。

フィンランドですごくいいと思ったのは、この静けさとほどよいゆったり感。
(空港で中国人と一緒になったから余計にそう感じたのかも)
「効率」というものを、もう一度考え直したほうがいいなと思いました。

最終日の夜は、DEMOという星付きのレストランを予約。
ですが、エレガントなレストランに行く服がない。
ということで、買いました。
NOOLANというブランドが、すごく気に入ったんです。

ワンピースのほかに、カットソーも購入しました。
バーゲン中で、ふたつ合わせて303ユーロ。
これは、いいお買い物だったと思っています。

DEMOのディナーでは、80ユーロくらいのコースとグラスワイン、
コーヒーで100ユーロちょい。
お料理は、食材の使い方もお肉の火入れもメニューの組み立ても
すごくよかったです。

お腹いっぱい、程よく酔っぱらって、ホテルに帰ってぐっすり。

したのはよかったのですが、この時に、はっとしました。
フィンランドに来て以来、ずっとわたしはシンプルな暮らしをしていました。
適度な運動、質素な食事、清潔な暮らし。
ところが、ヘルシンキで一気に都会的な生活に戻った。
たっぷり食べて、欲しいものを手に入れて。
すると、自分の中で何かが崩れました。
一瞬のうちに。

キルピスヤルビの禁欲的な生活では、神経が研ぎすまされていくような
心地よさがあったのに、ヘルシンキではずるずるだらだら。
それまでは、毎日日記をつけて、使ったお金もメモしていたのに、
そういうことが一気にばかばかしくなる。
都会の魔力って、こういうことなんだと思いました。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:40 | | comments(0) | trackbacks(0) |
フィンランドひとり旅3

8月の上旬で、ホテルやコテージは満室なのに、
山に人はいない。


会うのは、トナカイ。
このあたりは人よりトナカイの方が多いのかも。
フィンランドでは、トロい人のことを「トナカイみたいな奴」と
言うらしいです。

トロいというか・・・なんでしょう。
人がいい感じ。
人じゃないんですけど。
犬みたいな利発さは感じません。
いつ見てものんびりと草を食べていました。

わたしのほうは、登山というよりは、ハイキング。
いやむしろ散歩程度にぶらぶら歩いているだけでした。

トナカイに欠けているのが利発さだとしたら、
私に欠けているのは勇気でした。

知らない道を歩き続けていると、
ある地点で不安が好奇心を上回るようになるんです。
そこからは不安がどんどん加速してゆく。
「道に迷ったらどうする?」
「強盗がきたらどうしよう?」
「足をくじいたらどうしよう?」
「雨が降ってきそう。やばい」
次から次へと不安が襲ってきて、
からだはカチコチ、胸はバクバク。
しまいには足がすくんで前に進めなくなる。

山を歩いていた時、遠くの道を車が走っているのが見えたんです。
「女性が一人で山歩きしている、とわかったら、
狙われるんじゃないか!」と正気で思いました。
その車から私のことが見えるはずがないのに。

ふつうに考えて、こんな山中に悪い人はいません。
そういう悪い人は、ヘルシンキに行くでしょう。
キルピスヤルビまで来て、強盗を働こうとするなんて、
いくらなんでも経済効率が悪すぎる。
そうやって自分に言い聞かせるんですけど、
ドキドキはおさまらない。
「一人歩きの女性を狙う、地元在住の悪い人がいるかもしれない」
そういう雑念が100個、200個と飛んできて、
自分を脅す。
不安って、放っておくとどんどん広がるんですね。
心が、体の自由を奪うことってあるんだと思いました。

新しいことをしようとすると、不安が押し寄せてくる。
「大丈夫なの?」と何度も何度も問いかけてくる。



こんな明快な案内表示を見ても、
「でも道を間違えるかもしれない」と思ってしまうんです。
不安というのは、いったん増殖し出すと、
勇気や希望を全力で否定してかかる。
コントロール不能な相当やっかいな感情でした。
Stand by me みたいな「ひと夏の冒険」はできませんでしたね。

とはいえ、日々は穏やかに過ぎてゆきました。
この時期は、夜も12時近くまで明るい(たぶん)のですが、
8時にはベッドに入っていました。
そこでちょこちょこと日記を書いて、
起きるのは、2時3時(もう明るい)。
4時くらいから散歩。
山を歩こうとすると胸がドキドキしますが、
コテージ近辺を散歩するのはとても楽しい。
素敵な別荘を見つけては、「持ち主はどんな人だろう」
「インテリアはどんな感じ?」なんて考えながら歩く。
車庫に日本車が止まっていたりすると、ちょっと誇らしかったりとか。

ひとつ失敗したのは、3カ国地点に行けなかったこと。
スウェーデン、ノルウェイ、フィンランドが1点で交わる箇所があるんです。
国境警備員なんていない、のどかな山のなかに。
絶対に行こうと思ったわけではないので、きちんと下調べをしなかったら、
たどり着けませんでした。車がないとむつかしいですね。
(駐車場からもフェリーに乗り、さらに3時間くらい山の中を歩きます)

ふたたびバスに揺られ、電車に揺られて20時間。
次はヘルシンキです。



posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:00 | | comments(0) | trackbacks(0) |
フィンランドひとり旅2
 キルピスヤルビで私が宿泊したのは、
Tundrea Holiday Resort というコテージ施設。
4人用のお部屋だったので、ちょっと高めでしたが(3泊で280ユーロ)、
広々のんびり過ごせました。
部屋の中で時間を過ごすことも多かったので、よかったです。


これがLDK。
手前にソファがあり、右側にキッチンがありました。
シャワー&サウナ付き。
階段をあがるとベッドルームです。
ロフトのような空間に4つベッドがありました。

基本は自炊で、冷蔵庫やオーブンのほか、コーヒーメーカーや
調理器具も揃っていましたが、朝食の用意ができるというので
興味しんしんで頼んでみたら、こんな感じでした。


パイやサンドウィッチ、ヨーグルト、紅茶、フルーツなどが
バスケットにたっぷり。

小食なわたしのほぼ1日分の食料となり、
コテージの近くのスーパーで、飲み物やサラダ類を
ちょこちょこと買い足せば、食事は十分でした。
この質素な感じが北欧ぽくてよかったです。

この北欧旅の予約は、すべてインターネットでできました。
エアチケットは、HIS
電車とバスは、各交通機関のサイト(英語)
ホテルは、BOOKING.COM(日本語あり)
でした。
バスは停留所が細かくてややこしいので、
事前にしっかり予約できるのはありがたかったです。


ごはんを食べるのもひとり、歩くのもひとり、
咳をするのもひとり。
この山で遭難したとしても、2、3日は誰も気付かない。
ひとりというのは、とてもシンプルな生き方ですよね。
この旅では、荷物も機内持ち込みサイズのスーツケース1個。

フィンランド語とスウェーデン語はまったくできなくて、
さらに英語も危うい。
(ちなみにフィンランドの若い人たちは皆さん英語が上手です。
 キルピスヤルビというど田舎のスーパーの店員のお嬢ちゃんも、
 わたしよりできる・・・)

一体何がしたいのか、という旅でした。

<続きます>
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:20 | | comments(0) | trackbacks(0) |
フィンランドひとり旅1
昨年、フィンランド旅行に行ってきました。
わたしが目指したのは、キルピスヤルビという北の果て。
この地図のノルウェイとスウェーデン、フィンランドとの
国境近辺にある村です。
地名表記はありませんが、NORWAYのNの下のあたりに、
山のマーク▲があります。その近辺ですね。

成田から首都ヘルシンキを経由して、キルピスヤルビへ。
まさにフィンランド国内を南から北への大移動でした。

 

11:00成田発→15:20ヘルシンキ着(FinAir)
時差は6時間なので、所要時間は10時間20分。

19:26ヘルシンキ発→7:48ロバニエミ着(夜行列車)

8:20ロバニエミ発→16:15キルピスヤルビ着(バス)

ヘルシンキからキルピスヤルビまでは、電車とバスを乗り継いで、
なんと21時間!!
成田の方が近いくらいです。
しかも夜行列車は寝台車ではなく普通車。
正気の沙汰とは思えないのですが、
しかもひとり旅だったという・・・。
列車にはもちろん豪華な寝台車両も接続していましたが、
予約が遅くて取れませんでした。

たどりついたのは、こんなところ。



もちろん北極圏に入っています。
正面がSAANA山、手前がKilpis Jarvi (ヤルビは湖)
左側の岸は、おそらくスウェーデンだと思います。

フィンランドは、森と湖の国と言われていますが、
北の果ては、日本の山のような、
うっそうとした森はありませんでした。


こんな幻想的な光景がいたるところに。
わたしは人から「何しに行くの?」と聞かれたら
「妖精に会いに行く」と答えていたのですが、
まさにそんなところでしたね。

だけども本当に誰にも会わない、誰とも話さない日々。
PCももちろん持って行かなかったので、
ほんとうにのんびり〜と過ごせました。

<続きます>


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 14:01 | | comments(0) | trackbacks(0) |
見える景色が違ってきた
 40代♡ 大人女子のための”お年頃”読本
横森理香
アスペクト
1470円

林真理子エッセイが、働く女の必需品なら、
横森理香エッセイは、40代女性の必需品です。

2月に出た『横森理香の、もしかして、更年期!?』では、
更年期をどう乗り越えるかについて、赤裸々にレポートしてくれた理香さん。
ホルモン補充療法についても、自身で試した結果がすごく参考になりました。

この新刊もまた読み応えたっぷり。
うわー、理香さん、乗ってるなあ、と思いました。
目次は、こんな感じ。

1章 日常をもっと楽にして体力を温存する方法
2章 心に隙を作らない方法
3章 時間の使い方を変える
4章 中性化していく今こそのお洒落
5章 オバサンにならない体作り
6章 自然派の更年期対策
7章 今と、これからの人間関係
8章 人生のお片づけをそろそろ始める

興味あるトピックがずらり。
なかでも特に私が興味しんしんだったのは、2章、7章、8章でしょうか。

2章の冒頭には、こうあるんです。

 更年期は、自分の心に苦しめられる年代です。

がーんって感じです。
でも冒頭に書いてあるということは、
この章でその対策が書いてあるということ。
安心して読んでくださいね。

自分の心に苦しめられる?
つまりそれが、「心の隙」ってことですが、
たとえば、この先大丈夫かしらと不安になったり、
自分はみんなから嫌われてるんじゃないかと疑い深くなったり、
どうして、誰も協力してくれないの!と怒りっぽくなったり、
という状況でしょうか。
ありがちですね。

どうすれば防げるか。
理香さんなりのいろいろな方法を披露してくれるのですが、
わたしがもっともはっとしたのは、
「ポジティブな影響を受ける人と過ごす」というところ。
ポジティブな影響を受ける人ってどんな人だと思いますか?

一般的には、前向きな人、成功している人、社交的な人などなどですよね?
でも理香さんは、自由な人と書いています。
自由な人ってどんな人?
これが面白い。
この視点は、40代ならではでしょうね。
たしかに元気いっぱいな人と一緒にいると、
自分は疲れちゃったりします。
若いときは自分も元気だったからよかったんだけど。
横森さん流「自由な人」とは?
ぜひ読んでいただきたいです。

声を出して笑ってしまったのは、理香さんのベリーダンスの師匠の言葉。
「りか、女の一番の幸せはなんだと思う?」

さてなんでしょう。

「全てのチョイスを自分でできることよ。
 だから私は稼がない男が好き」

おー! あっぱれ!
最近専業主婦志向が強まっていると聞きますが、
自分が稼ぐという選択肢もなかなか捨てがたいものですよ。

7章 今と、これからの人間関係
さてどうなるんでしょうか。
人間関係の築き方も、年齢とともに変わってきます。
わたしも、一時期ほど新しい人と知り合うことにどん欲でなくなりました。
理香さんも「広く浅く」と書いています。ふむふむ、です。

私自身、人間関係のポリシーは「来る者拒まず去る者追わず」なんですが、
去る者追わずの度合いが、年を重ねるごとに上がってきた気がします。
余計な言い訳をしなくなったというか。
そういう最近の自分の傾向についても肯定できたのでした。

8章 人生のお片づけをそろそろ始める
どきっとしますよね。
お片づけ?
でも、わたしも週末書棚を整理していて、感じました。
これは年々しんどくなります。
体力的にもそうでしょうけど、何より億劫になる気がします。

先日読んだ玉村豊男さんの『隠居志願』にもありました。
この先どれだけの本を読めるのか、と。
たしかにね・・・。

亡くなった私の祖母は、
80歳くらいの時に、夫(祖父)に先立たれました。
祖父の遺品の整理をしていた時に、
母が何かを手に「これはどうしましょう?」と聞いたら、
「年を取ったら使うから置いておいて」と言い放ったとか。
いつまで生きるつもりやねん!と突っ込みたくなりますが、
明治女と同じ感覚ではいけません。
あまり物をためこまないようにしよう!と誓ったのでした。

40代になると見える景色が違ってきます。
わたし自身、確実に人生の折り返し地点に入ったように感じています。
でもまだまだできることもあるし、希望も欲望も願望もあります。
わたしは、これまでの人生のなかで今が一番好きかなー?

悩んでいる人も悩んでいない人も、
自分なりのエイジングを考えるきっかけになると思います。

ちなみに理香さんは、わたしのベリーダンスの師匠です

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:02 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
心をコントロールしない
 ケルトを巡る旅 神話と伝説の地
河合隼雄
講談社α文庫
740円

妖精への興味を突き詰めると、ケルトに行き着きます。
わたしにとっては、根っこは同じ、というか。
ケルト文化は、キリスト教以前のヨーロッパに、わりと広い範囲で
根付いていました。
キリスト教というのは、宗教のグローバリゼーションというか、
がつがつと世界に広まったイメージがあります。
広まりやすさを持った宗教だったのでしょうね。
キリストという主が存在し、聖書があり。
ケルト文化は、組織的なものではなく、教義もなく、
自然と結びつきながら、広く、ゆるく、人々が信じてきたものだと思います。
キリスト教と比べれば、論理的でないかもしれません。

河合先生はこの本で、こう書いています。

人間は、はるか昔から思考し、試行錯誤を繰り返しながら生きてきた。
近代に入ると、人間が自然を支配し操作して、
自分の欲することを実現してゆくという傾向が急激に強くなる。
それを極限まで押し進めていった国がアメリカだろう。

自然というのは、必ずしも人間に優しい存在ではありません。
「自然に癒される」のは自然のごく一部分を指しているだけ。
自然は、時に地震や大雨、干ばつなどを起こして、
人に理不尽な想いを残します。
どんなにがんばっても、自然にはかなわない。
どんなに懸命に育てても、台風が来ると稲はやられてしまう。
時に人の命すら飲み込みます。
それが昔の人たちにどれくらいのダメージを与えたか。

河合先生も書いている通り、
科学の発展は、自然を克服しようとしたところにあります。

ところがケルト文化は、自然を、無謀さ、尊大さ、理不尽さも
含めて受け止めるものです。
支配しようとはしません。
わたしは、ケルト文化のそこがすごく好きなんです。

多くの宗教は、どこか排他的な部分があるように思います。
自分たちの宗教を大切に思うあまり、ほかの宗教の存在をうまく認められないような。
私自身が既存の宗教に深く入り込めないのは、その部分です。

ケルトというと、マニアックな面もありますが、
わたしは、この本で河合さんが語っているくらいの、緩くて穏やかなケルトが好き。
地域だ遺跡だ、習慣だ神話だ、と具体的なことを調べ上げる気は
ぜんぜんありません。
でも何となく心の支えになる。

この本では、河合先生がケルトの遺跡を訪れたり、ドルイドとよばれる神官に会ったり、
魔女に会ったりしています。
「魔女がいるんだ〜!」と騒ぎ立てるスタンスではありません。
「本当かウソか」を見極める学者的スタンスでもありません。

魔女を信じたい人がいること。
魔女を自称する人がいること。
そこにどんな背景があり、人の心が魔女を通じて何を求めているかを
河合先生は丁寧に解説します。

ケルトにはお話もたくさん残されています。
人がなぜ物語を求めるか。
それは、昨日書いた「異界もの」にも通じる面があると思うんです。

小川洋子さんの『薬指の標本』に出てくる標本室。
さまざまな人が「標本にしてほしい」と持ってくる物たちは、
人が閉じ込めてしまいたい想い、なのかもしれません。
それはすごく大切なものかもしれないし、
もしかすると忘れてしまいたいものかもしれません。
でも標本にすることで、人は自分の心に決着をつけることができる。

人の心を人はコントロールできません。
他人の心だけではありません。自分の心もコントロールできません。
どうしようもなく人を恨んでしまったり、
怒りがわいてきたり。
でもそれが「自然」というものなんですよね。

支配するのではなく、理解したい。

心理学者の河合先生が、ケルトに興味を持たれたのも
必然だったのかな、と思います。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 14:27 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
心の中にひそむ異界
 ダンス・ウィズ・ドラゴン
村山由佳
幻冬舎
1575円

この本を読んで、自分は「異界もの」が好きだと気付きました。
春樹様の『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』のいるかホテルや
小川洋子さんの『薬指の標本』の標本室というのはある種の異界だと思うんです。

これらの小説をひっくるめて「異界もの」というのは気が引けますが、
個人的には、そこがツボ。

この小説の異界は、井の頭公園の奥にある、夜だけ開く図書館です。
日常から一歩足を伸ばしたところにある不思議な空間。

そこに勤務することになったオリエは、
スタッフのスグルから仕事を教わります。

ところが、書棚ごとの分類は覚える必要がないとスグルは言います。
なぜなら書庫が変化するから。
日本の小説はここ、というように書棚が決まっているわけではないんです。
ではどうやって本を探すのか。
自分の感覚を疑わずに探す。
それだけなんです。
それで見つかる。

暗示的ですね。

スグルはさらに説明します。
そもそもは探す必要はない。
図書館が、あなたに必要なものを差し出してくれる。
だからただそれを受け取るだけでいい。

うーん。この感じ、すごく好きです。
これは人生を象徴しているのではと思いました。
どうやって答えを見つけるのか。
誰かが教えてくれるのでも、本に書いてあるわけでもない。
自分の感覚に素直になる。
「あれはやりたくない」と思えばやらなくていい、わけです。

でもそもそも、人生では、必要な物は必要な時に差し出されますよ、と。
その感覚を信じられなくなるから、あれこれじたばたとしてしまう・・・。

そんなことを言われているような気がしました。

物語は、ここからどんどん発展していきます。
オリエの過去。
スグルの心の傷。

ここからが村山さんの真骨頂ですが、
わたしは、この「異界設定」にずっぽりはまって、
あまり大きな事件は起きてほしくない感じもしたんです。
つまり激しさよりもそのまま静けさが続いてほしいと。
でも、私の気分とは裏腹に、物語はどんどん心の中を侵略してきます。
土地の言い伝え。伝説。
ゆらりゆらりと漂っていると、強い力でぐんと引きつけられるエピソードが。
ううーすっかり引きずり込まれてしまいます。
わたしは、ゆらゆらと漂っているほうが好きなのに〜。
そこが村山さんの力のなせる技でしょうね。

村山さんがこんなタイプの小説をお書きになるとは!!
「異界もの」を村山さんが手がけるとこうなる。
春樹様、洋子様とはまた違ったトーンの「異界」でした。

私自身が妖精に興味があるのは「見えない世界」のことに興味があるからです。
妖精は存在する! と思っているのではありません。
そこはいつか上手く説明したいんですけど。

この小説からも
「見えないものを信じよう」「目に見えないところにこそ真実がある」
そんなメッセージが届きました。

これまでの村山さんの小説とは、ちょっと違うトーンを
ぜひ味わってみてください。

ちなみに、幻冬舎から出ている『アダルト・エデュケーション』と装丁が
似ていますが、ぜんぜん違うタイプの小説です。
あちらは短編集ですしね。
個人的にはこちらを推しますよー。


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 11:50 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |