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ライター今泉愛子のブログです
他の方法があるよね?
 私は、中学かだ大学までの10年間、陸上競技部に所属して、
わりと熱心に取り組んで来たのですが、
体罰というものは一切ありませんでした。

陸上競技は個人競技なので、ほかのスポーツと比べると恐らく体罰は少なめ。
ただし陸上競技のなかでも、駅伝などの団体種目になってくると
またちょっと雰囲気が違うと思います。

集団における体罰って、見せしめ的な要素が強い。
教室のなかでもそうでしょうし、部活でもそう。
そしてそれは、一定の効果があるように思える。
遅刻した子を叩くと、短期的に遅刻は減るのかもしれない。

で、最近の報道で、ちょっとタチが悪いなと感じたのは、
有名選手などが「自分も体罰を受けたことがあるけれど、
コーチとの信頼関係があったから傷つかなかったし、むしろ感謝している」
とする発言。

たしかに、それは事実なんだろうと思います。
「遅刻するなって言っただろう!」バコン
「オラ、そこ怠けるな!」バコン
というような光景は昭和世代のスポーツ界隈にはありふれていたようにも思う。

たしかにバコンと殴られて、「はっ」としたり、
気合いが入ったりすることはあるから、
それを体験した人は、
「信頼関係があれば体罰はOK」と思うんだろう。

でも「遅刻するな」や「怠けるな」は、
他の方法でも伝えられるから。
何も考えないで、体罰という方法に頼り出すと、
どんどん依存してしまう。
快感すら覚えることもある。
それって危ないでしょう。

そして、体罰は力関係を本人にも周囲にも誇示する。
「お前らは俺様に逆らえないんだぞ!」というメッセージ。
それのどこが信頼関係なのかしら。

殴られたことはあるけれど、それほど傷つかなかったのは、
そんな時代だったから。
信頼関係があったから。
なんて発言は、すごく狭い世界を切り取っているだけだと思う。

その一方で、
「体罰は何が何でも絶対にダメ」が厳しさ否定にまで
発展してしまうと、これがまた。
体罰擁護派のなかには、
厳しさと体罰をイコールで考えている人もいるのかもしれない。
でも、そこはまったく別物で、
体罰なんてなくても勝負の厳しさは十分伝えられると思います。





posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:08 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
カルトとマルチの共通点?
副題にもある通り、
9歳から35歳までエホバの証人として過ごした著者が
どんな信仰生活を送り、どのようにして脱会にいたったかの記録です。

ドアの向こうのカルト
9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録
佐藤典雅
河出書房新社


一気に読んでしまいました。

人はどうやってカルトに入っていくのか。
どんな生活を送るのか。
周囲との軋轢は?
教義に疑問を感じることはないのか。
「おかしい」と感じ始めたらどうする?
その疑問についてどうやって結論を導き出すのか。

入会、信仰の日々、脱会への歩み、脱会という一連の流れが
生々しく書かれていました。

実家で暮らしていた頃「エホバの証人」の訪問を受けたことがあります。
聖書の勉強を勧められてパンフレットを受け取る。
あまり興味はありません、とお話しすると
とくに気落ちした様子もなく、あっさりと帰っていかれる。
子ども連れのご夫人だった気がしますが、
その穏やかな雰囲気が印象に残っています。

時には、険しい顔つきで応対されることもあるでしょう。
よく続けられるなと思っていたのですが、
証人たちにとって、興味を持たない人は「真実を知ろうとしない可哀想な人」
なんですね。
拒否する人たちよりも自分たちは優位だと考えるから、
否定されてもいっこうに傷つかない。
なるほどな、と思いました。

面白かったのは、日米の信者さんの違い。
組織から「大きな集まりには注意しましょう」と言われると、
日本人はそれを厳密に解釈しようとする。
「大勢というのは何人以上のことだろう」
みんな真面目に話し合うらしい。
「時と場合による」なんてことでは納得できない。
教義を守ることでアイデンティティを保っているから、
曖昧だと安心できないんでしょうね。

証人は、奉仕を求められるので、
フルタイムの仕事と両立することが難しいそうです。
ここは、ほかの新興宗教と違うところだと思ったのですが、
お布施よりも自分の時間と体を使った奉仕が大切なのです。
でも喰って行くためには収入が必要。
というわけで、証人の間では、マルチネットワークビジネスに
関わっている人も多いとか。
著者はその勧誘を受けて説明を聞いているうちに、
マルチが証人たちの仕組みと似ていることに気付くんです。
引用します。

1絶対性(これが絶対の宗教・商品よ!)
2純粋性(私たちの教義・商品以外は信用できない!)
3選民性(私たちの教団・商品は選ばれている!)

ここまでは、マーケティングにおけるブランディング手法とも共通するとか。

加えてマルチ・カルトは、
4布教性(弟子をつくろう!)

カルトの教祖タイプは、マルチの教祖タイプと似ているとか。

一般人でもマルチでも活躍している人には、同じような
教祖的なカリスマ性を備えている人が多い。ビジネス商
談をしていても、マルチをしている人は一発でわかる。
独自の教祖オーラを放っているからだ。このタイプはビ
ジネスコンサルにも多く見られる。

なるほど。
ビジネスコンサルというのがリアルです。

著者は、マルチと宗教団体の親和性の高さに気付いたあたりから、
疑念を深めていきます。

そして貧乏。
ここのルールをしっかり守ると、金持ちにはなれません。
熱心な布教活動や度重なる集会への参加が求められるから、
金儲けなんてしている時間がない。
実際、新聞配達やアルバイトなどでギリギリの生活をする人が多いそうで、
もちろん大学への進学も不要と考えます。

それで幸せなの?
幸せって何なの?

こうして自分の頭で考えるようになると、
どんどんマインドコントロールが解けていく。
毎日「あれ?」の連続。
このあたりの記述はなかなか感動的です。

この著者は、教義の矛盾を解説する資料を作って、
自分の妻や家族に見せていたそうですが、
それをwebにアップしていたことから、
ネット界では有名な人だとか。

そこのサイトを見て来たのですが、
宗教に関心を示すそもそもの理由として、以下の7つが挙っていました。

1自立していない  自分を認めてくれる人がほしい
2愛が足りない  神様に愛されていると知って安心する
3心が弱い=自尊心がない  
4体が弱い  病気がち。あるいは不自由を感じていて、不幸に思っていた
5常に不満を感じていた  貧乏だった。仕事でも認められなかった。モテなかった。
6過度な理想主義  どこかに幸せがあると思い込んでいる
7潔癖主義  全てに善悪、白黒をつけないとおちつかない


大なり小なり誰にでも当てはまりそうなことではあります。
ポイントは、
自分の人生を「神」が救ってくれると考えるのか、
自分のことは自分で解決するよりほかないと考えるのか。
自立しているかどうかが大きいのかもしれません。

カルトとマルチは似ている、というのは、
もっと広くとれることだと思います。
ビジネスコンサルとありましたが、煽り系ビジネス書も
同じような論理展開をします。
スピリチュアル関係にも似たところがあります。

人生に正解やビジネスに成功するノウハウがあると考えて、
それを探すことに時間をかけてちゃダメですね。

と言いつつ、私、これを書くのに、すごく時間をかけてしまいました。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 19:21 | 書評 | comments(2) | trackbacks(0) |
コミュ障上等!

以前、紹介した本ですが、このなかで面白いなと思った部分はほかにもあります。

水野 日本では、よく、失敗したときのペナルティが強い、だから大胆なことがやれないといわれるのですが、それは少し違う気がします。たとえば僕のいる投資の世界でいったら、日本の銀行なんて大きな投資失敗してもクビにはなりません。昇格が遅れるとか、好きな仕事をさせてもらえないとか、その程度。うち(コラー)なら首になり得る。(中略)
ただ、なぜか日本の会社員たちは、ペナルティを実際より大きいと思い込んでいる。

柳川 それは、みんなが横並びで、同じ方向へ走ってるから、でしょうね。

同期の出世争いって、外からみたら本当に小さいこと。
ですが、気になってしまう。
その小さな輪の中で、自分だけ遅れをとることが恥ずかしくて仕方がない。
出世レースから遅れをとるな、という
自分以外の誰かが考えた「正解」を、自分の正解だと思い込んでいるんですよね。

こういう「思い込み」って本当に人の自由を奪うと思います。
30歳までに係長に
35歳までに結婚したい
正社員でなくちゃ
子どもには、一流大学に進学して欲しい
などなど。
思い込みをひとつずつ取り払っていくと、
もっと気がラクになります。
すると、決断する力もついてくる。

完全に夫婦関係が崩壊しているのに、離婚しない夫婦も多いんですが、
そのことによって、彼らはいったい何を守ろうとしているんだろう?と
思うことがあります。
「離婚は子どものためにもよくない」という価値観を
ただ鵜呑みにしているだけで、なにがよくないのかを考えていない。
だから自分で決めて、自分で前に進む力が沸き上がってこないのだと思います。

そのあたりは、『ソーシャルもうええねん』の
村上さんの生き方も参考になりました。
たとえば、マッキンゼーに採用されるような、
つねに前向きで問題解決能が高く、人を説得するのが上手く、
スマートにプレゼンできるようなコミュニケーション能力の高い人でなく、
やぶれかぶれでも、徹底的に自分で考えることを貫けばやっていける。
(何気にひどいことを言っていますがスルーしてください)

水野 採用面接に来る日本人で多いのが「いろいろ失敗もするかもしれませんが、ぜひ勉強させていただきたいので、宜しくお願いいたします」といったコメントをする人。でも、やはり、うちではそういうのは許されない。

面接の場でのこういうコメントって、恐らく日本の企業なら嫌がられないと思うんです。
謙虚だと感じますから。
謙虚な態度って、日本人の年配の人って大好きなんですよね。
私自身、わりとそのあたりを気にしすぎていた人生だった気もしていて、
そのことへの反乱の1つが年賀状だったりするんですが、
それは置いておいて、自分の未熟さをアピールすることで、評価されるというのは、
おかしな話だと思います。
ただし、それは処世術として覚えておいた方がいい場面はまだありますが。

でも、気持ちの上ではそういう甘えは断ち切らないと。
謙虚に振る舞うことのメリットとデメリットを比べると、
メリットは、自分のプライドが守れること。
要するに、ずっと未熟でいることで周りから叩かれることから逃れられるし、
自分の能力のなさを自覚しなくて済みます。
失うのは可能性。
いつまでも「そこそこ上手くやれる自分」でいられますが、
大きな課題に挑戦しないから、伸びません。

この本では、失敗体験、決断する体験を若いうちからどんどん積んでおけ、と
書かれていますが、そうはいっても私はアラフィフ。
もちろん、いまからでも遅くはないと思っています


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:19 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
ソーシャルなんて嘘ばっかり

ソーシャルもうええねん
村上福之
980円
Nanaブックス

12月に、阿佐ヶ谷のLOFT Aで開催された「ビジネス書ぶった斬りナイト」に
行ってきたんです。
漆原直行さん、中川淳一郎さん、山本一郎さんが出演する、人気シリーズ4回目。
ここで、中川さんが1位として紹介していたのがこの本。
終わって一番に読みました。面白かった〜。

「ソーシャルなんて嘘ばっかり」だとは、私だって薄々気付いています。
でもこの本では、しっかりデータで検証していて、
薄々ではなく、はっきり認識させられます。

twitterのフォロワー数も、Facebookのいいね!も、YouTubeの再生数も
すべて買える。
つまりお金で、人の興味、関心を引く仕組みができているということですね。
YouTube再生回数○万回! 奇跡の歌声
みたいなキャッチは、眉唾ものだと。

この世には、誰もがウソとわかっていても
誰もつっこまない数字が3つあります。
1つは、中国のGDP、もう1つは、デーモン閣下の年齢、
最後のもう1つは、Facebookのユーザー数です。

意識の高い人たちは、みんなFacebookを使っている、と
思い込んでいたりしたら、それはウソ。
使っている人もいれば、使っていない人もいる、という
当たり前の状況ですよね。

そういえば、わたしは、twitterは再開したのですが、
Facebookは再開していません。
わたし自身の仕事に、Facebookはあまり役立ちそうに思えない。
もちろん局面が変わって来たら、違うかもしれません。
でも現時点では、Twitterのほうが有効です。
というのは、Twitterのほうが幅広い範囲で交流できるから。
Facebookは知り合いだけ。
知り合いだけってことは、あまり広がりがないんです。

しかも私も、Facebookに本当のことは書いていませんでした。
「今日は、夫と青山で食事をしてきました」と書いて、
「いいね!」が連打されていたりすると、複雑な心境になります。
そのこと自体はウソではありませんが、
「お料理がイマイチ」「しかも話はずまないし」という部分は書かない。
で、何となく「おしゃれに暮らしている私」は演出できちゃうんですよね。
あれはかなり虚構です。はい。

ほかにもいろいろあります。
村上さんは、年収12億円と豪語するアフィリエイターの男性が関わっている会社を
信用調査したところ、12億円とはほど遠い数字が出て来たとか。
Lady Gagaさんやオバマ大統領のフォロワーには、
卵マークアイコンのつぶやきゼロのひと多数。
あんな有名人までも?とか、テレビで取り上げていたのに?とか
ソーシャルが村上さんの手によって、どんどん破綻してくる。

こうなってくると、楽天ランキング第1位や
Amazonランキング第1位も、どこまで信じていいものやら。
食べログで、代官山にあるカフェのコメントを書いているのが、
地方の53歳の主婦だったりもするの?
となってくるわけです。

この本、とっても若者っぽい作りなのですが、
ネットが最新情報を与えてくれると信じがちな、
わたし世代のおばさんこそ読むべきですよ。

2章以降は、村上さんの生き方読本となっております。
1章での「当たり前」を疑う姿勢は、彼自身の生き方でもあって、
そこが面白い。
人が当たり前と思うことをただ続けているだけだと、
新しいことはできません。

もちろん「当たり前」と思うことを、
本気で続け切ってしまえば、それはそれで見事だとも思います。
でも、案外そういう人は少なくて、多くの人は、
当たり前に苦しめられていたりします。

村上さん自身もたぶんそう器用なタイプではないんですが、
そういう「当たり前」をひょいっと乗り越える瞬間に、
おばさんとしては、ちょっと感動したりとか。
ボク、がんばってるやんか。みたいな。
10歳くらいしか違わないんですけれども、
なぜか親戚のおばちゃん目線。

ちなみに、村上さんは「ビジネス書ぶった斬りナイト」に
来場しておられたんです。
私の真ん前に座ってらして。
著者近影よりも、実物ははるかにジャニーズ系美男子でした。


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:02 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
年賀状
 このところ2日続けて更新したのですが、
アクセス数は、お正月3が日のほうが多かったんです。
ライターとしてはがーんという感じですが、
もしかして、お正月にリアル私の友人、知人が、
私の名前で検索してくれたんでしょうか。
それでいつもより(というか更新した日より)アクセス数が多かった?

じつは今年は、年賀状を書きませんでした。
自分からは出さないとしても、
いただいた分については、お返事を出すべきでは?
とか、いまもお付き合いのある人にだけは出すべきでは?
とも思ったのですが、ここはもう出さないと決めたら出さない、と。
言い訳も何もなし。

ここ数年、年賀状に関しては、何とはなしに違和感がありました。
でももちろんやめるという選択肢はなかったんです。
ところが、今年は突然ガス欠のような状態に。

私は時々こういうひどいことを突然やらかして、
友達を減らしています。
すみません。

「付き合いの薄い人には出さない」とか
「自分にとって大切な人にだけ出す」とか
そういうふるいは一切ありません。
「そんな私だけどよろしく」とも言いません。
そりゃそうだ。
わかってほしいと思うくらいだったら、出しますよね。

もし心配してくれたリアル知人・友人がいたら、
どうもありがとうございます!
元気です。
そして相変わらずちょっとヘンクツです



posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:16 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜ決断できないのか2

決断という技術
柳川範之・水野弘道・為末大
日本経済新聞社
1680円

昨日書いた通り、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』を
読んでいて、いったい私たちの社会ってどうなってるんだろうと
衝撃を受けたんです。
危機に瀕した時、失敗を犯した時に、ここまで何もできないってどういうこと?って。

『採用基準』で、欧米流のリーダーシップの考え方を知り、
主体的に問題を解決しようとする能力が決定的に欠けているんだと思いました。
そしてリーダシップに不可欠なのは、何かを決断すること。

この本のよいところは、決断という「技術」を
しっかりと3人で語りあっているところです。
ただ自分たちの経験をもとに、
情緒的に「決断は大事ですよ」と啓蒙するだけではない。

3人のプロフィールも面白いんです。
柳川さんは経済学者、水野さんはロンドン在住の投資家、
為末さんは当時、米国に拠点を置くアスリート。
それぞれ異なる環境の中で決断してきた人たちなんですよね。

本の中に、「決断」のハードルが高いのは、
あらゆる情報を集めて、絶対に正しい決断を行わなくてはならないという
思い込みがあるからとあったんです。
だから、まだ「情報が十分に集まっていないから決断すべきじゃない」と
先送りしてしまう。
決断するよりも正解を探そうとしてしまうのかも。

面白いなと思ったのが、
日本では「決断」に情緒的要因が入ることが多いということ。

水野 海外の会社に転職して聞かなくなったなあと思うのは、「反対を押し切って」という言葉です。そういう英語すら思いつかない(笑)。

決まったら、その決定事項については、全員が等しく責任を負うんです。
提案者は、反対者に対して責任を負うわけではない。
でも日本ではわりと多いと思います。
渋々賛成したという態度を取り続ける人。

たとえば、地震が起きて津波の危険があり、避難するとなった時、
教師からいろいろな意見が出たとします。
「山に避難しよう」「小学校に待機しよう」「地区センターに避難しよう」などなど。
みんなの反対を押し切って、山に避難した場合、山を主張した人には、
「特別な責任」が生じる。
失敗したら切腹ものだぞ、という半端ないプレッシャーがかかるんです。

その前に、山以外の選択肢を提案した人は、
山を提案した人に詰め寄るかもしれません。
「責任は取れるのか?」って。

でもこの場合大切なのは、「決断を先送りしている場合じゃない」と
全員が認識して、答えを出すことなんです。
「山へ逃げて何かあった場合、君が責任を取るんだよね?」と
言質を取ることではなくて。
その場合、決断した時点で、
全員がその方法で成果を出せるよう努力します。
「渋々」協力してやるか的な態度をとるのは幼稚すぎます。

これと似たような話は、『採用基準』にも出てきます。

本来のリーダーとは、「チームの使命を達成するために、必要なことをやる人」です。
プロジェクトリーダーである自分の意見より、ずっと若いメンバーの意見が正しいと考えれば、すぐに自分の意見を捨て、その若者の意見をチームの結論として採用するのがリーダーです。

答えを出す前には徹底的に議論する。
そして答えを決めたら、全員一致でそれに向かう。
仮にそれで失敗したとしても、
全員が「納得」して決めたのだから、提案者を責めない。
責めないけれど、なぜこの判断をしたのかは、検証する。
「お前が悪い」「どう責任を取るんだ」と責めるのではなく、
なぜその提案が一番いいと思ったのか。
どんな要因を見落としたのかを明らかにして、
次の決断に役立てる。
このあたりのプロセスは、欧米の企業はとても合理的だと思います。

柳川 決定の場面で、精神論や感情論が専攻するというのも日本の大きな特徴で、
これは小学校のときから、読書感想文等で情緒的なものを優先的に扱うという、そのあたりに根っこがある気がいつもしているんです。

これもまた日本的な決断思考の指摘です。
たとえば、自分の命を引き換えにして犬を助けたという行為を
「とても偉いと思いました」と書くと評価されるけれど、
「合理的な判断ではないと思います」と書くとダメ。
論理的に物事を追求することよりも
情緒的に寄り添うことをよしとする。

水野 日本でリーダーに求めるものは何かと言ったら、みんななんといいますかね。決断力?
柳川 決断力と言うんだけど、実際選ばれている人は、コンセンサス作りのうまい人ですよね。全体の浮かび上がってくる「空気」をうまく吸い上げるなり、それを収束させるのを手助けするという役割ですね。

何かを決める時に、あとにしこりを残さない決め方ができる人。
これって、成果に対しての責任よりも、
人の気持ちに対する責任を重視しているということなんだと思います。

なぜ議論ができないか。
なぜ決断に文句を言うのか。
それは、自分もリーダーであるという自覚がないから。
いま、どんな成果が求められているかがわかっていないんです。

自治会やPTAなどで、時々恐ろしく不毛な議論が交わされることがあるのですが、
それって、たいがい「最終的にひとつの結論を出す」ことを
認識していない人が延々と自説を繰り広げる時に起きます。

この本では、なるほど「決断」って技術なんだ、
と思いました。
ゴールに向かって何が一番合理的かを思考し、決断する。
その技術って、ビジネスだけでなく、人生に役立つと思います。


posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 13:47 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜ決断できないのか
 
あのとき、大川小学校で何が起きたのか
池上正樹・加藤順子
青志社
1575円



 

 採用基準 
伊賀泰代 
ダイヤモンド社
1575円

今日は、2冊をご紹介します。
まず『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』

3・11の震災で、石巻市にある大川小学校では、
全校児童108人のうち74人が死亡、あるいは行方不明となりました。
なぜ? どうして? と思いました。

私が石巻市に行った時の記録がこのブログにあります。
その時にも、大川小学校のことは頭にありました。
大川小学校近くまでは行けませんでしたが、
私が足を運んだ南浜町あたりを見て、
かの地の山は、もしかすると、
子どもたちの足では簡単に駆け上れるような山では
なかったのかもしれないと思い、
ブログにもそう書きました。
大川小学校の状況を何も知らないまま、
「なぜ逃げなかったのか」と一方的に教師たちを
責めたくないという想いがあったからです。

でも、違った。
子どもたちにとって裏山は遊び場だったそうで、
あの時も『早く山へ逃げよう』と先生に訴えていたそうです。
では、なぜ?
なぜ山へ逃げなかったの?
教師と児童は、地震発生から津波が到達する51分間、
何をしていたの?

当日、小学校にいた教師たちの行動を責めようとは思いません。
でも、なぜ山に避難しなかったのかが知りたい。
誰がどういう発言をして、誰が決断したのか。
なぜそういう決断に至ったのか。
うーん。たぶん「決断」という言葉は適切ではないでしょうね。
誰も決断できなかったんだと思います。
生存者がわずかですから、推測するしかありませんが、
著者たちは、丁寧な取材をもとに、この51分間に迫っています。

ところで、当日大川小学校にいた教師のうち、
1名だけが生存しています。
この人に話を聞きたい。当然、誰もがそう思います。
でも、できない。
大川小学校を取り巻く「公」の人たちが、
完全に守りに入っているからです。

震災後の教育委員会の対応には、まったく納得がゆきません。
遺族は「責任を取れ」と言っているわけではないんです。
事実を明らかにして、今後に生かしてほしいのです。
なのに、それができない。

でも結局は、真実が明らかにできないような組織だから、
子どもたちのことも守れなかったのだと思います。
誰も決断できない。誰も責任を取ろうとしない。

この本を読んでいると頭の中は「なぜ」でいっぱいになります。
なぜ、なぜ、なぜ?
著者たちは、断定的でも批判的でもありません。
取材の過程で様々な壁にぶつかり、そのことも記されています。
壁の存在が明らかになっていること自体が取材の成果だと思います。
震災当日に対応した大人たちと、その後の対応にあたった大人たちは、違う人たちです。
でも、同じ壁を作っていた。
この本を手にして、その恐ろしさを知ってほしいと思いました。
この壁は日本のいたるところにあると思います。


そして、2点目の書籍『採用基準』
まったく異なる本です。
でも、この壁を壊すヒントがあると思いました。

こちらは、マッキンゼーの採用マネージャーを務めた著者が、
採用担当者の視点を明かしています。
勝間和代さんも在籍しておられたマッキンゼーに採用されるということは、
すなわち、とっても優秀ということになるのですが、
その「優秀」の基準は何なのか。

このタイトルはかなり異色です。
学生のための就活本ではありませんから、タイトルから
マニュアル的なことを連想した学生はがっかりするでしょうし、
タイトル通りの内容を予想して、手に取らなかった社会人がいたら、
ちょっともったいないかも。

彼女の主張は一貫しています。
賢く前向きに行きていくためには、リーダーシップが必要ですよ、
ということです。
リーダーシップって?

日本では、上に立つ人だけに必要な資質とされていますが、
著者は、リーダーシップとは、問題を解決するために必要な能力で、
チーム全員に必要だと言っています。

日本で一般的に考えられている「リーダーシップ」とは、
メンバーを取りまとめる能力で、グループの上に立つ者に必要なスキルです。
でも、欧米流リーダーシップは違います。
グループのメンバー全員が持っているべきもの。

だって、何かが起きた時に、いちいちリーダーにおうかがいを立てていては
間に合わないのです。
自分で判断しなくてはならない。

日本的な組織の常識では、
グループにリーダーはひとりで十分。
メンバーは、指示に従順に従うことが要求されます。

ところが著者は、「船頭多くして船山に上る」ということわざをもとに反論します。
意見を出す人が多いと、物事が迷走してしまうのは、
その意見のなかでどれがもっとも成果を出す方法なのかを判断しないから。
全員が目的を共有しているなら、意見は全員が出すべきもの。
たったひとりのリーダーががもっともいい案を持っているとは限りませんからね。
そのなかで、もっとも目的達成に有効な案を採用する。

その際に「自分の意見が採用されなかった」ことで、
メンバー間にしこりが残ることがあります。
でも成果を出すことを最優先するなら、
自分の意見が採用されるかどうかは、どうでもよいわけです。

乗っている船が座礁し、沈没の危機に遭遇した時、
救命ボートの漕ぎ手に誰を選ぶか。
それは間違いなく、もっとも救命ボートをしっかり漕いでくれる人です。
気配りの上手い人でも、面倒見のいい人でもありません。
多少性格が悪くても、目的(命を守る)にもっともふさわしい人を選ぶはず。
この例には、呆然としました。

あの日、大川小学校は校長が不在だった。
避難マニュアルはない。
避難経路を、誰かが決断しなくてはならない。
誰が決断するのか。

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』では、
私たちの社会にある問題点がはっきりと見えてきます。
『採用基準』では、その解決策が提示されているように思いました。

そして明日ご紹介したいと思っているのは、
『決断という技術』です。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:42 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |