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ライター今泉愛子のブログです
体調の変化もちらほら
今週は、食事記録が飛んでしまいました。
主なものは、

30日昼はカンテサンスでフレンチ
31日昼は晴山で日本料理

カンテサンスでは、パンはお断りして一口も食べませんでしたが、食材や料理では、
糖分の高いものもちらほら。デザートも2品ともいただきました。
晴山では、ごはんも含めて完食。

ただしこの2日間は、まともな食事はランチだけ。朝、夜はかなり軽めです。
食事記録にこれまでもよく「軽め」というのが出てきましたが、
要はナッツとチーズのつまみ食い。

糖質制限を初めて以来、家にはナッツとチーズを常備するようになたんです。

ナッツはこちらの無塩タイプ

 

チーズは基本はキャンディのように一口分ずつ包んであるスモークチーズ。

これらをちょこちょこっとつまんで終わりにしています。

体重は、開始以来もっとも軽くなってマイナス1.6kgになりました!
毎日ウォーキングだランニングだと頑張っても全然減らなかったのに。
まだお腹周りの贅肉は健在ですが、内臓はすごく快適。
これが本当にありがたいですね。

あと私は、水を本当に飲まない人でした。
そもそもあまり喉が渇かない。
で、お手洗いにも行かない。
汗もかかない。
これって水分の代謝が悪いってことだろうと思っていたんです。
だけど糖質制限を始めてからは水やお茶、コーヒーを
よく飲むようになり、お手洗いにもしばしば行くようになりました。
腎臓に負担をかけていると困りますが、
代謝がよくなっているとしたら、うれしいですね。

開始数日で、がたっと体重が落ちたときは、
立ちくらみがひどかったのですが、今回は大丈夫。

この調子でゆるゆる糖質制限ライフはもうしばらく続きそうです。







 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 21:22 | 糖質制限 | comments(0) | trackbacks(0) |
糖質は胃にもたれる
金曜日の昼に仕事関係の方といただいた野菜懐石(ごはんを少し食べました)が、
思いのほか、長くからだに留まっていました。
糖質というのは、消化にいいと言われていますが、
胃での滞留時間が長いそうです。
たしかにそうかも。
わたしはとにかく「お腹がすいた!」感が弱くて、
何となくいつも食欲がない感じでしたが、
消化力が弱いくせに、ごはんをたっぷり食べるのが
ダメだったのではないかしら。
24日昼にたっぷり食べて以降、
26日夜までほとんど食べなかったのですが、まったく平気でした。

24日夜 なし
25日朝 軽め
25日昼 お肉を焼いて食べました。
25日夜 なし
26日朝 軽め
26日昼 ネギと鶏肉の炒め物をほんの2、3口
26日夜 韓国料理店で焼き肉とサラダ、キムチ、スンドゥブ海鮮鍋。

週末の夜の韓国料理は家族と行きました。
糖質制限は、粉ものやじゃがいもを避ければOKだろう、くらいの
心構えで臨んだところ大失敗。

美味しくて大満足で帰宅途中、
夫が「でも、甘かった気もするな・・・」と言い出しまして。
たしかに、とスマホですぐに検索したところ、
韓国料理に使われているコチュジャンは、砂糖を使っていることが判明!
スンドゥブの汁を美味しい美味しいとたっぷり飲んでしまいましたよ。
あらら・・・。
だけど、食べてしまったものは仕方がないですもんね。
(そもそもおせんべいを食べたり、お鮨をつまんだりしています)
あまりカリカリせず、適当に気を抜きながらでいいか。

とは言うものの、ここまで手抜きの糖質制限であっても、
大変、と言えば大変です。
たとえば、スーパーで買えるものががたっと減りました。
今日は生協から以前オーダーしていたものが届いたのですが、
糖質制限食を始める前のオーダーなので、
届いてみると、食べられないものだらけ。
春巻きの皮、水餃子、ちらし寿司の素、ちくわ。
息子たち用にするしかないですね。

夫も私も体調はすごくいいです。
いわゆる規則正しい生活というのは、きちんと1日3回決まった時間に食事をとる、ことが
含まれていることが多いのですが、私は3回とか決めず「おなかがすいたら食べる」で
いいんじゃないかと思っています。

体重は、今日で10日目、スタート時より1.2kg減です。
立ちくらみはなくなりました。


 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:03 | 糖質制限 | comments(0) | trackbacks(0) |
食べることの幸せ
23日の昼ごはんに豚肉を焼いて、大根と人参とブロッコリーを蒸して、
おなかいっぱい食べました。
これがもう本当に美味しくて、ものすごく満足したんです。
ごはんを食べてこんなにも幸せだったのは初めて、というほど満ち足りていました。

人間としての本能的な喜びというのでしょうか。
体にパワーがみなぎる感じでした。

最近、スイーツ依存がひどくて、あまり「おなかがすいている状態」を作れなかったんです。
おなかペコペコ! 早くごはんが食べたいよー! 
という感覚をほぼ忘れかけていました。

ところが最近は、食事の時間が近づくときちんとお腹が減ります。
お腹が減っているから、急いで作ります。
美味しく作りたいと頑張るし、メニューだってさっと決まります。
この循環のまっとうさ!
これまで時間をかけるわりには品数が少なかったのは、
あまりお腹がすいておらず、ごはん作りに集中できなかったのが大きいのかも。

ですが、いいことばかりではなくて、
23日の夜、立ちくらみがひどくなってきました。
朝の立ちくらみは寝起きのほんの一瞬のものだったのですが、
この日の夜は、立ち上がった時にぐらんと倒れ込みそうになるほど。
低糖状態なのでしょうか。
これはいかんと、おせんべい2枚をバリバリ食べました。

今朝は、いつものたちくらみはなし。
だけどちゃっかり体重は増えていました。
急激に減りすぎた反動でしょうか。
今朝は朝ごはんのほかに、またおせんべいをバリバリ。
そして昼は、野菜懐石。
仕事関係の食事会だったので、
野菜のにぎり寿司などもすべてパクパクと
気持ちよく食べてきました。

夜はまたごはんは食べないでおかずだけにするつもりです。

23日朝 昨日の晩ご飯の残りを少々(豚肉、ナムル)
23日昼 豚肉のソテー、蒸し野菜(人参、大根、ブロッコリー)
23日夜 スモークサーモン、オニオンスライス、クレソンのサラダ おせんべい2枚

24日朝 スモークサーモン、オニオンスライス、クレソンのサラダ、白菜と桜えびの炒め物
    おせんべい2枚
24日昼 野菜懐石 ごはんも果物も食べました。




 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 16:14 | 糖質制限 | comments(3) | trackbacks(0) |
4日目寝起きに軽い立ちくらみ
体重は、1.4kg減りましたが、
昨日、今日と朝起きた時に立ちくらみが・・・。
低糖状態なのでしょうね。
これをこのままスルーしていいのかどうか。

このところ朝から、肉や魚をがっつり食べていたのですが、
今朝は、そういう重いものは食べる気になれず、かといって野菜も欲しくなく。
もしや禁断症状? 
フリーズドライのスープと昨日の焼き肉の残りで済ませようとしましたが、
ちょっとフラフラするような気もして、おせんべいを1枚食べました(>_<)

22日朝 豆腐となめこのみそ汁とハムエッグ、サラダ。
ハムは、ローズハムを分厚くカットしたもので、お腹はいっぱいになりました。  
22日昼 外でチキンソテーとサラダ。付け合わせのポテトサラダは糖質が高そうでしたが、食べました。
22日夜 焼き肉。付け合わせとしてほうれん草のナムルともやしのナムル。チンゲンサイのスープ。

夫も一緒に取り組んでいるのですが、体重が減るのは単純に食べる量が減っているからではないか、
と語り合っています。
スイーツに関しては、今のところ恋しくはなっていません。
伊勢丹のサロン・ド・ショコラが始まったのですが、どうしよう・・・。
そこは諦めきれないものがあるのでした。

 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:32 | 糖質制限 | comments(0) | trackbacks(0) |
1/19〜1/21の食事
3日間の食事を簡単に記しておきます。
私は、糖尿病など緊急に改善したい症状があるわけではありませんので、
やり方はゆるいです。
気がつく範囲、できる範囲でやればいいかなと思っているので、
いちいち食材の糖質量を調べたりはしていません。
”ゆるゆる”糖質制限で、1日、1食の糖質量も不明です。

19日朝 大根おろし+ちりめんじゃこ、みそ汁(油揚げと白菜)、鶏肉のソテー、
    きゅうりとごぼうのサラダ
19日昼 水菜サラダ(水菜、ワカメ、ちりめんじゃこ)、カマンベール、
    ソーセージとスナップエンドウの炒め物
19日夜 麻婆豆腐、キャベツとベーコンのスープ、
    スモークチキン(←恐らくこれには下味として砂糖が入っています)

20日朝 大根おろし+ちりめんじゃこ みそ汁(ワカメと大根、油揚げ)
20日昼 クラムチャウダー、サラダ 
    この日は外食で選択肢がこれしかありませんでした。
    クラムチャウダーはとてもおいしかったのですが、
    あのクリーミーな味わいは、きっと小麦粉がたっぷり入っていたと思います。
20日夜 厚揚げ焼(しょうが醤油)、白菜と豚バラ肉の鍋、ぶりの塩焼き

この日は帰宅すると猛烈にお腹がすいて、スモークチーズをほおばってしまいました。
するとその後かっぱえびせんを食べた後のように、唇がヒリヒリ。
恐らく塩分を取りすぎたのだと思います。注意せねば!

21日朝 大根おろし、ししゃも、前日の白菜鍋の残り
21日昼 水菜サラダ(水菜、ワカメ、ちりめんじゃこ)、ソーセージ、目玉焼き
21日夜 春雨と豚肉、長ネギの炒め物、コンニャクの炒り煮、水菜の煮浸し

21日朝に体重が1kg減。

と書いていて、春雨はよかったのか?と調べたら、ダメだったみたい(>_<)
糖質、けっこう高いですね。
あと市販のドレッシングに砂糖が含まれていることには気付いていたのですが、
スープに使う「マギーブイヨン」にも「砂糖」や「でん粉」の文字があることを発見して、
ショックを受けました。
さすがにスープストックまで自分では作れませんが・・・。

という感じの3日間です。
これ以外に、小腹が減るとチーズをちょくちょく食べています。
試行錯誤は続きます。




 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:59 | 糖質制限 | comments(0) | trackbacks(0) |
糖質制限食を始めました
「糖質制限」なるものを私もやってみようと思って本を手にしたのは、先週の木曜日でした。
周囲にやっている人、やろうと思っている人はいたので、内容について何となく知ってはいました。
でもやっている人、やろうと思っている人は、糖尿病だったり、肥満だったりと目の前の課題が明らかな人たち。
私は現在、とくに健康上のトラブルを抱えていませんから「そういうものがあるんだな」程度の興味でした。

だけど、慢性的な悩みはひとつあったんです。
じつは、甘いものが大好きなんです。
とにかく常に手が届くところにスイーツを置いておきたいんですよね。
甘いものがないと気分転換もできないし、原稿だって書けない。
タバコがヤメられないひとの気持ちがよくわかるといつも思っていました。
一種の依存症です。
その「依存してしまう」回路を取り除きたいなといつも思っていたんです。
だけどそれは「いつか」できるといいなというもの。
目標じゃなくて、夢。
クリスマスはケーキを食べたいし、ケーキのない誕生日なんて耐えられないし、
バレンタインデーは人に上げるだけではつまらないし、
やめるきっかけなんてどこを探しても見つかりません。

さらに、スイーツ好きって、人生が楽しいんですよね。
好きなケーキ(ミルフィーユとか、シュークリームとか)を
食べている時の満足感は何ものにも代え難いし、
美味しいものを見つけるのはたまらなく幸せ。
こんなに大好きでこんなに幸せなんだから、
多少「依存」が入っていようが、問題ないでしょうとも思っていました。

だけど、なぜか突然自分の人生をもっとクリアなものにしたいと思ったんです。
スイーツがある限り私の人生は、何となくもやもやと幸せ、なんですけど、
その段階はそろそろ脱した方がよいのでは?
ゆるゆると甘いものに守られながら
適当に幸せで、適当に満足しながら生きていくのはやめた方が良いのでは?
と思ったんですよね。
自分の性格の一番ダメなところが「甘いもの依存」に表れているような・・・。

たぶん、この何気ない依存って、持っている人はいっぱいいると思います。
タバコもお酒も「だめんず」もそう。
わかっちゃいるけどやめられない。
もちろん健康を害したり、家計を逼迫させたり、人間関係を崩壊させたり、
というところまではいかないなら、それでいいんです。
でもわたし、突然それはイヤだなと思いつきました。
そういう「ゆるい」のってヤダ!

直接のきっかけはこの本。


炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 
夏井睦 
光文社新書

書店で見つけたのが16日でした。
ちらちらと読んでいて「私もやってみようかな」となり、
「やる」になったのは19日の朝。
さらに1冊買い足しました。
それがこちら。


知的おやじダイエット3週間実践日誌
桐山秀樹
講談社


じつは知人が糖質制限を始めた時に、どんなものかと興味を持って買った本が
1冊手元にありました。
それがこちら。


主食をやめると健康になる
江部康二 
ダイヤモンド社

正直「糖質制限」までやる必要があるのかどうかという話ではあるのですが、
なんかそれがすごく面白そうだったんですよね。
自分のからだが「変わる」という実感を持てそうなところが。

そんなわけで、目的は「甘いもの依存」脱出ではありますが、
システマティックに糖質制限食をやってみようと思います。

今日でもう3日目ですが、
これらの本でわかったことなどを紹介しながら、
ブログで記録していこうかと思います。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 18:11 | 糖質制限 | comments(0) | trackbacks(0) |
目標と夢は違います
いま発売中のペンという雑誌で、デザイナー佐藤オオキさんの本をご紹介しています。
佐藤オオキさんは、最近AERAの表紙にもなった今をときめくデザイナー。
彼が率いる「nendo」は、LOTTEのおしゃれなチューインガム「ACUO」をはじめ、
バカラのグラスやTODSのシューズ、ほかに椅子や照明器具、店舗デザインなど
多岐にわたるお仕事をなさっています。

彼はこの本のなかで、「圧倒的なデザインの才能がなかった」と書いています。
だけどそこで気付いたのは「アイデアがデザイン事務所の全業務のうちの
1〜2割程度のボリュームしか占めていないこと」
となると、残りの8〜9割の業務を見直すことでチャンスが開ける、と読んだそうです。

私が感心したのは、自分を客観的に見れる態度です。
「圧倒的なデザインの才能がない」と他者から指摘されたのではなく、
ご本人がそう感じたということ。
そこで、自分はダメだ、やっていけない、とはならない。
そうだとして、それなら「どう戦えばいいのか」と立ち向かえる。
こういう強さが必要ですよね。

インタビューしていると「私は才能ないです」とおっしゃる方が多いです。
その分野でものすごく成功しておられるのに、です。
もっと才能のある人はいくらでもいる。
だけど自分がその仕事をやりたいなら、どうにかして生き残れる道を見つけるしか
ないんです。

「勝ち負けなんて関係ない」と言う人がいます。
その言葉に私は少し違和感を持ちます。
勝ち負けは、たぶん世の中に存在します。
勝ち負けや優劣ですね。
誰もが何もかもが、同じなわけがない。
だけど、別にそれにとらわれる必要はありません。

この順番を間違って、最初から「勝ち負けなんて関係ない」と考えてしまうと、
いつまでたっても自分の立ち位置が見えてこない。

自分の立ち位置が見えれば、諦めなくてはならない部分もわかりますし、
逆に、頑張る部分も見えてきます。
たとえばピアノをやっていて、
「自分は世界コンクールに出場できるほどの腕前ではない」とわかったとしても、
それでピアノそのものを諦める必要はなくて、
自宅でピアノを教えてもいいですし、結婚式場でピアノを弾いてもいいわけです。
それを私は「勝ち負け」だとは思わないですし、
本人も自分は勝負に破れたから、ピアノ教師になった、なんてことを思わなくていい。
勝ち負けという尺度で人生を見なくてもいいのです。
だけど「自分は世界コンクールに出場できるほどの腕前ではない」と
認められないまま、がんばり続けてしまう人もいるように思います。
それはちょっと人生がもったいない。
自分の立ち位置を見ようとしないで、
「コンクールなんて、所詮、人に媚びた弾き方ができる奴が勝つんだ」
と愚痴っても
「世の中はオレの個性を認めない奴ばっかりだ!」と怒っても
仕方がないです。


「自分の立ち位置」を気にしすぎる人はすごく多いです。
気にしすぎるからこそ「競争のない社会」を求めてしまうのだと思います。
だけど「立ち位置が気になる」と「立ち位置を見極める」ことは、
まったく別です。
どうしても立ち位置が気になるのは、たぶん「自分は優れている」と
思いたいから。勝ちたいから。褒められたいから。認められたいから。
自分がダメなところを直視できないから。
それはたぶん、夢はあるけど目標はない状態なんだと思います。

正直わたしも「夢」に傾きがちなんです。
はっきりとした目標に邁進するよりも、
ふわふわと夢を見ていたい・・・ラクですし。
誰かが幸せを運んできてくれるようなことがあれば、どんなにうれしいでしょうか。

だけど目標です。
きちんと自分が実現できそうな目標を持つこと。
そのためには、立ち位置を気にするのではなく、自分を客観視すること。
そういう軸をきちんと持ちたいです。

たぶん、きちんと目標を持てるようになったら、
自分なりの軸を身につけたら、
その次は夢を持ってもいいと思います。
漠然としたものを求めていけるくらいの強さを身についているのなら。
私にはまだ軸がないから、目標が必要な気がします。

 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 11:57 | 仕事 | comments(0) | trackbacks(0) |
こだわりを持たない生き方
一時期「こだわる」ことがやたらと持ち上げられていました。
レストラン紹介の記事でも、
「有機野菜を使うのが○○シェフのこだわり」とか
「毎朝築地に通うのが●●さんのこだわり」とか、
やたらとこだわっていました。

こだわりは、広範囲に及んでいて、
朝は必ずコーヒーを飲むとか、会議のある日の朝には、必ずシャワーを浴びるとか、
はたまた、クリスマスイブは絶対にフレンチのディナーとか、
メールには必ず1時間以内に返信するとか、
いろんな人がいろんなこだわりを持っています。

成功者の本なんかは、その人の「成功のルール」を抽出したほうがわかりやすいので、
「こんな時はこうする」という書き方をしがちですし、
一部のビジネス啓蒙書は、タイトルにはっきりと「成功するための50のルール」というような
書き方をしています。
その多くは「こだわり」系ですよね。

ルールを決めた方が、生きやすいという面もあると思うんです。
自分なりのルール。
たとえば「年賀状は出さない」と決めてしまえば、
気持ちがぐんとラクになりますし(去年の私)、
既婚女性なら「お正月には夫の実家に泊まらない」なんてふうに
決めてしまえば、ぐんと気がラクになる人も多いと思います。
この場合は、「やらなきゃ」と必要以上に自分を追い立ててしまう人が
生きやすくなるために定めた「ルール」で、古いこだわりを捨てる方向ですかね。
でも、これって「こだわり」に「こだわり」で対抗しているだけなんですよね。
古い価値観を押し付けられるのがイヤ、社会のルールを押し付けられるのがイヤ、
そこから逃れるために、新しい価値観を定めるわけです。
古いルールを新しいルールに変えるだけで、ルールに縛られるという点では同じ。

選択肢が多い世の中では、価値観も幅広くて、
人の意見につい惑わされますし、そもそも自分が何をしたいのか、
何を欲しているのかを見失いがち。
だから「こだわること」「ルールを作ること」は、その解決方法のひとつだとも思います。
強い信念を持って、ぐいぐいといくのも悪くないし、
逆に迷いがちだからこそ、ルールを決めてしまうのも賢明かもしれません。

だけど本当の強さは、ルールのない生き方ができることなんだと思います。
こだわること、ルールを作ることは
要するに、考えなくても判断できる状況にしているから、ラクなんです。
「年賀状は書かない」と決めてしまえば、オールスルーです。
「この人には出す」「この人には出さない」なんて面倒な決断はしなくてすみますし、
仕事関係の大切な人から年賀状を受け取って「ぎょ! やばい。返信せねば」なんて
アワアワした状況にも「出さないって決めたし、もういいや」と
簡単に気持ちを処理できるわけです。

どんなに疲れていても「築地には必ず行く」と決めて実行しさえすれば、
「築地に毎朝いくエラいオレ」でいられる。
築地に行くことをダメだと言いたいのではありません。
こだわってしまうと、そこで「何も考えないでいられるラクな状況」に
陥ってしまう危険があると思うんです。
本当に「築地に通いさえすればいい魚が手に入るのか」という
視点が漏れてしまう。
恐らく目的意識をきちんと持っている人であれば、
築地に通うことにこだわってはいないと思うんです。
もっと先を見ている。
築地通いは、いい魚を手に入れるための選択肢のひとつでしかない。
20年通い続けていたとしても、恐らく目的は見失っていないと思います。

選択肢の多さのなかで溺れてしまうからこそ、ルールを決めたい状況は、
私もよくわかるんです。
からだを鍛えたい、という時に、テニスもあれば、ベリーダンスもあり、
太極拳もあり、スポーツジムもバランスボールもあります。
どれやればいいの? 誰か教えて! って気分になりますよね。
自分で決断するのはつらい。間違えたらどうするのよ。本当にいいものなんてわからないよ。
って。

でも、たぶんどれも大して変わらないのです。
目先の意味でいえば違うけど、大きな意味で考えればどれも変わらないのです。
「からだを鍛える」という点ではどれも間違いではありません。
わずかな違いしかないのだから、迷わなくていい。
どれが一番効果的なのか、という視点に必要以上にとらわれなくていいのだと思います。
自分が気持ちよくできるのはどれか。
それだけです。

こだわることをやめて、やたらとルールを作ることをやめて、
もっとゆったり過ごしたいなと思います。
世の中がどんどんフラットになって、選択肢もどんどん増えていくなかで、
こだわったり、ルールを作ったりしながら、自分の安心を築くのもひとつのやり方ではあります。
でも私は、今年はボーダーレス、バリアフリーでいこうかなと思っています。

 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 11:34 | 仕事 | comments(0) | trackbacks(0) |
変わりたくないvs.幸せになりたい
人って、本当に「幸せになりたい」と願っているのかな?
と思うことがよくあります。
人がとる行動は、「幸せ」な方に向かっていくものばかりではありません。
わかりやすい例で言えば、
喉にものすごく不快な症状があるのにタバコをやめられなかったり、
1時間前に家を出れば間に合うとわかっているのに支度できなかったり、
態度の悪い友人から迷惑を被っているのに付き合いを断てなかったり。

それはたぶん無意識に、本人が現状を「心地いい」と認定しているのだと
思います。
タバコ自体にも快楽があるでしょうけれど、
喉の不快な症状自体にも、本人を安心させる要素があるのかもしれません。

人ってたぶん何かに「困っている」ことが好きなのだと思うんです。
「課題を与えられた状態」である限り、別のことに取り組まなくてすみます。
能天気そうな他人に「悩みがないなんてうらやましいわ」と言う人は多いですが、
じつは悩みがある状態が好きな人も多いです。
悩みがあれば、新しいことに挑戦しなくていいと自分を許すことができますからね。
そのほうが自分にとってラクなんです。
だから、簡単に解決しない悩みの方がありがたいし、
その悩みを抱え続けている限り、自分を変える必要はありません。
喉の不快な症状があれば意識はそちらを向きます。
タバコが悪いのかもしれない。
病院に行った方がいいのかもしれない。
でもそうしない。
「へーきへーき」と平和な顔をしてしまう。
それが本人にとっては一番「ラク」なのです。

思考のクセもありますよね。
私の母は、旅行から帰ってきて「どうだった?」と聞くと
必ず「楽しかった! でも・・・」となります。
「混んでいた」「寒かった」「自分の行きたい場所に行けなかった」
「時間が足りなかった」「お料理が合わなかった」などなど。
悪いことを探して、それを言わないと気が済まない。
それは感じ方次第だと、聞いている私はいつも思うのです。
感じ方を変えるだけで「楽しかった」ことだけを記憶できる。
だけどそうしない。
母は「幸せではない」状態をアピールすることで、
娘の関心を引き止めたいのかもしれません。
「楽しかった!」と言えば、それはよかったね、と忘れ去られてしまうかもしれない。
それが不安なのでしょうか。

別の例でいうと、たとえば「向上心」の支え方。
絵が上手い、歌が上手い、美人、語学堪能、運動神経抜群などなど、
世の中にはいろんな才能を持つ人があふれています。
だけど、それを生かそうとする人ばかりでもありません。
「うちのクラスで一番絵のうまいのは○○ちゃん!」と
小学校で一目置かれるタイプの人っていましたよね。
いつも上手に楽しそうに絵を描いていて、友達から「絵を描いて」と頼まれることも多い。
そういう人がみんな絵の道を行くかといえばそうでもない。
「クラスで一番絵がうまい」人が、本格的に絵の道に進むか進まないかは
どう決まるのか。
そりゃ「才能」でしょう、と私も以前は思っていたのですが、
どうもそればかりでもなくて、本人が決意するかどうかだな、という気がします。

絵のうまい人が絵の道に進むことを、幸福だと定義したいわけではないんです。
ただ、世の中にはぐいぐいと幸せな方向へ舵を漕げる人と、
「ほどほどでいいかな」「大成功するのは怖いな」「自分には無理」と
思ってしまう人といて、それは何が違うんだろう?と。
才能というよりも、そういう器の違いが大きい気がします。

器の違いとは何か。
ひとつは、楽しみよりも苦労を想像しやすい体質。
さらに上を目指すためにもっと努力しないといけない。
お金が必要かもしれない。
時間も必要だ。
家を離れたくない。
自分よりも上手な人に出会うとつらいだろうなあ。
と、なぜか楽しみより苦労のほうが想像できてしまって踏み出せない。
自分を投げ出せないのです。

もうひとつは、批判に弱い
「もうちょっとこう描けばいいのに」と言われると簡単に心が折れてしまう。
たとえば料理研究家でも「このレシピでは美味しく作れません!」と言われて、
あっさり心が折れてしまっては続けていけません。
「そういう場合もあるかもな」と考え
レシピをどう書けばより伝わるのかと改良していければいいのです。
なのに少し非難されたくらいでヨロヨロしていては当然続きません。

やめるのがいけないわけではありませんし、
やめ時もきっとあります。
「あ、無理」とわかる瞬間もありますよね。
絵もそうですが、料理でも、スポーツや音楽、お笑いでも、
「自分はやっていけそうにないな」と気付くこともあります。
個人的感覚では、男性は「無理かも」とわかってもやめられない人が多い。
だけど、女性はまだやれるはずなのにすっと諦めてしまう人が多い気がします。
もちろん例外もたくさんあるのですが、
子ども時代に「夢を持つこと」を奨励され続けた男の子と、
「ほどほどでいいよ」と言われた経験のある女の子の違いが
ジェンダーバイアスとなっているかもしれません。

で、タイトルの「変わりたくない」vs.「幸せになりたい」です。
人の気持ちのなかで「変わりたくない」意識ってものすごく強い気がします。
日常の習慣、暮らし方、人間関係から思考回路まで。
「今のままでいたい」という気持ちのパワーがすごく強い。
先に書いた「絵の道に進むかどうか」ですが、
本格的に絵を描く、と心に決めるかどうか、
それは自分の生活を変える覚悟があるかどうかだと思うんです。
一方で、「絵の道に進んだはいいけれど、
ぱっとしないのに撤退する決意がつかない」状態もまた同様に
変えることへの抵抗だと思います。
どちらも無意識に「変化」を避けようとしている。

「いえ、私は変わりたいんです。もっと成長したい」と口では言っていても、
なかなか変わる方向に力を集中できない場合もあります。
変わりたくて、セミナーに出てみたり、本を読んだり、
はたまた誰かと食事に行ったりしているんだけど、堂々巡り、みたいな。
そんなことを言い出したら、世の中の大半の人がそうかもしれません。
私だって、その1人。

上を目指そう。幸せになろう。
とだけ言いたいのではないのです。
「変わることを避ける習性が自分にはある」と気付くことって
すごく大切なんじゃないかなあと思います。

そういえば、年末スマホに変えました。
周囲からは「遅い!」と言われるタイミングですが、
ずっとガラ携でいたのは、私の「変わりたくない」意識の一端かもしれません。
 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 12:24 | 仕事 | comments(0) | trackbacks(0) |
転機はいつやってくる?
インタビューをやっているとたまに、あるエピソードについて、
それはきっとこの方の「転機」になったのだろうなと感じることがあります。
だけど、それを指摘するとほとんどの方は、
「ん?」という顔をされるんです。
「ああ、たしかにそうかもしれませんね」なんて。

他人から見ると明らかに「転機」であっても、
当の本人は転機だったと気付いていないことが多いです。
気付いたとしても、あとから。
そもそも「転機」という言葉自体、状態を表すものなので、
捉え方によります。「幸せ」と同じくらいに曖昧なものでもありますね。

「転機」の最中に「今がオレの転機だ!」とワクワクしている人はほとんどいません。
戦うステージを変えるわけですから、恐らくはがむしゃらに、夢中で取り組みます。
ご本人が後で振り返って「成功を確信していた」とおっしゃることもありますが、
本当にその時期のことを正確に物語っているかどうかはわかりません。
ただしそういう大きな力を投入する時に、「わあい、転機だ♡」なんて
のんきなことを考えないような気がします。

だけど、何かうまくいかないことがある時、人は「転機」を渇望します。
要するに、新しいステージに立ちたい。リセットしたい。チャンスをください。
そんな感じでしょうか。
うまくいっていない時って、誰かと、何かと、出合うと
「これが転機になったりして♡」とつい期待してしまうんですよね。
出逢いにワクワクするのはいいんです。
その気持ちを抑える必要はありませんが、
転機探しにガツガツするのはちょっと違う。

合コンなんかもそうではないかしら。
恋愛したい男女が集まった時、目の前の異性を「この人が運命の人ではないか?」
「いや、あっちの人の方がいいのでは?」としている最中には、
あまりいい出逢いってなくないですか。
合コンに参加したこともないのに、エラそうなことを言っていますが、
でも、いい出逢いってもっと偶然でもっとふわっと心の中に入ってくるものではないでしょうか。
転機もそういうものではないかしら。

「転機」を自分で作ろうとすることもあります。
たとえばそれは引っ越しだったり、改名だったりでしょうか。

じつは5年くらい前に、旧姓での名刺を作ったんです。
当時、何かがうまくいっていなかったという記憶はないのですが、
何かを変えたかったのでしょうね。
総画数では、旧姓プラス名前のほうが断然いいんです。
自分でもそのほうがなじむ気がしていました。
だけど変えるきっかけがつかめず、ずるずる。
そしてその名刺100枚は私の引き出しにずっと残っていました。
(年末に名刺が足りなくなって、たまに使いました・・・)

名前を変えてもよかったんですけども、
「変える」ということにどうも違和感がありました。
要するに「何がしたいの?」と。
ゆるりとした「転機」を求めているんですよね。
本当に改名する人はもっと切羽詰まっているだろうなあと思います。
「どうにかしたい!」という気持ちを強く持っている。
あるいは、偶然出会った誰かから「名前変えたら?」と言われて
そのアドバイスがストンと落ちた。
わたしもそういう心境や状況があるなら変えればいいと思うのですが、
何となく改名したいって、どうなの?
思うに、私がこの名刺をずっと捨てられないまま置いていたのは、
どこかに転機を待望している自分がいるのかもなと思いました。
んなもん、自分で作れよ、と不意にイラっと来て、
年末の大掃除でざっくり全部捨てました。
一生改名しないと決めたわけではないです。
いつか何かあるかもしれませんが、
今ではないと思います。

転機って待つものではなくて、自分が動いている最中に
やってくるものだろうと思います。
必ずしもアグレッシブに営業したりアピールしたりでなくていいんです。
だけど何も自分から動かないで外からやってくる転機を
ただ待つのは、どうなんだろう。
自分がもっとも苦しまず傷つかない「転機」。
それってちょっと都合が良すぎる気がします。

家に引きこもっていてもいいんです。
でも思考を停止して、どこからかやってくる転機を待っていてもダメで、
引きこもっている最中にも、
「どうして私は出ていかないのか」くらいのことでいいから
考え続けていないと、機も気も動かない。

私もちょっと傷つくことに過敏なところがあります。
だから自分から動くことが億劫になる。
つい転機を待ってしまうんです。
繊細で臆病なところって、たぶん誰しも持っています。
そことどう付き合うか。
きっと一生答えは出ないと思いますが、
それでも、その問題に向き合う勇気を持ち続けたいですね。




 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:15 | 仕事 | comments(0) | trackbacks(0) |