Search this site
ライター今泉愛子のブログです
他人の期待にこたえない「気の利かないキャラ」を使いこなす
私が、あまり気が利かない女だということは、
親族、友人、仕事仲間、知人全員が知っていることだと思うのですが、
でも、じつはこれは、戦略なんです(ほんまやで)。
 
高校時代、わたくしは大層、上下関係の厳しい部活に所属していました。
先輩が、いばる。
試合でも練習でもとにかく「先輩」と名のつくものはすべて立てなくてはならず、
たとえば、先輩のシューズのヒモをほどいてさしあげたりとか、
荷物持ちなんかは当然ですし、雨の日は傘をさしかけます。

傘をさしかけるときのポイントは、自分が濡れることです。
他人に傘をさしかけたら、当然のこととして、自分が濡れる、
という事象のことを言っているのではありません。
自分が濡れたくなければいくらでもやりようはあるのですが、
「自分が濡れることも気にせず、先輩に傘をさしかけている」という状況をつくることが大切なんです。

試合のときに、後輩に荷物を持たせて、後輩が逃走したらどうするんだよ!
と私なんかは思ってしまいますが、とにかく、先輩という形式美が大事なので、
「自分でもったほうが、リスクマネジメントとしては正解ですよ」
なんてことを言ってはいけない。

そういうなかで、ひとりだけ、好きな先輩がいたんです。
けっこう優しくて、知的で、いい先輩。
その先輩と、校内の階段ですれ違ったんです。
先輩は、2階から3階へ、私は、3階から2階へ向かう途中。
当然わたしの方が高いところにいたのですが、
先輩が視界に入ったらすかさず挨拶しなくてはならないルーティンワークが身についていたので、
とっさに「こんにちは!」と大声で挨拶したんですね。
先輩もにっこり笑ってくれました。

ところが、その日の部活のミーティングで叱られたんですよ。
「先輩に、高い位置から挨拶する子がいる」って。
わたし、たいていこういう遠回しなお説教って、スルーするんですが、
大好きな先輩だったから、覚えていますよ。
「それ、あたしやん!」

衝撃。
だって私は「先輩が視界に入ったらすかさず挨拶する」というルールは守っていたわけだし。
だけど、「高いところから挨拶した」ことが非常識だと、先輩は言っている。

その時に、気付いたのです。
私が立ち止まって、先輩が自分より高い位置まで行くのを待ってから挨拶していても、
きっと「挨拶が遅い」と叱られた。
もちろん、高いところから挨拶したのは非常識だったかもしれないけれど、
そんなふうに、気を使い始めたら、キリがない。
「気を使う」競争に参加してしまうと、「もっと気を使え」と言われつづけるんです。
 
もう、気を使うのはやめよう、と思いました。
そんなあほくさい話、ないやろ、と。
これからは、「気が利かない」キャラでいく。
毎回、気が利かないことを責められて終わりにするほうが、
断然、効率がいい。

以降、もちろん挨拶などの基本ルーティンはこなしましたが、
あれこれ気を回すのは、やめました。
同学年の仲間には迷惑をかけたと思いますが(ごめんね)、
そこにエネルギーを注ぎたくなかった。

気が利かないというのは、要は、他人を気にしないということ。
相手が何を求めているかを、読まない。

もちろんまったく読まないと、社会生活を営めませんが、
「気の利く人」という立ち位置を積極的に自分でつくろうとすると、本当に大変。
理不尽なことが多すぎると思います。

男女関係においても、もちろん気が利かないので、
10代の頃、よく驚かれたのは、ティッシュを持ってないこと。
男子が当然のように「ティッシュちょうだい」とか言ってきても、
「あ、ごめん。あたし持ってない」

今もそうなんですが、基本、私はティッシュを持ち歩かないんです。
あまり必要性を感じなくて。

もちろん花粉症であるとか、個人的な理由があれば、持っていていいと思うのですが、
高校生のなかには、何かの時に「さっとティッシュを差し出すこと」が女らしさと
思っている人が男女問わず多かった。

もちろんティッシュくらいの話だと、人間の基本仕様として持っているでしょ、という話で、
私の持っていないほうが、ヘンなのですが、
そこではなくて、他人が期待する「女らしさ」に答えようとする人生は、しんどい。
女らしさに限らず、気の利く後輩でも、子どもを優先する母親でも、何でもそうですが、
他人の期待に答えながら、自分を作っていくのは、しんどい。

この前、ネットで、メールの末尾に「iPhoneから送信」とつけることが、
他人を不愉快にさせる可能性がある、という記事が出ていました。

iPhoneでメールを打つと、標準設定では、メールの末尾に「iPhoneから送信」とつくようになっています。
こういうメールを受け取った人のなかには、「ちっ」と思う人もいるそうです。
「忙しいアピールかよ」とか、「iPhone使ってる自慢かよ」とか。

その記事を読むと、「その設定はやめようかな」と思う人もいるかもしれませんが、
そこまで他人に気を使う必要は、ないでしょう。

「ちっ」と思う人には思わせておけばいい。
だって、そういう人とは付き合わないほうが、身のためなんです。
周囲にもし、「ちっ」と思う人が多いとしたら、
それはかなり窮屈な人間関係のなかにいることを自覚した方がいい。

世の中には、そんなことを気にしない人がいっぱいいます。
気にする人がいたとしたら、「気の利かないキャラ」で通す。

それでも「お前はヘンだ。もっと気を使え」と言ってくる人がいたら、
それは、相手がヘン。

私の高校時代の部活で言うと、
先輩方を個人で見れば、何もヘンな人たちではありませんでした。
だけど、場の空気がおかしかった。

相手がヘンだったり、場の空気がヘンだったり、という時に、
そう思うことに罪悪感をもつ人が意外と多い。
私も、そういう罠にはまることがたまにあります。
「相手は変えられない。変えられるのは自分だけ」と言いますから、
相手がヘンでも、場がヘンでも、自分を変えようとしてしまう。

だけどこういう場合に「自分を変えればうまくいく」という方向に
もっていってしまうと、ものすごく自分を消耗します。

そういう時に有効なのは、「気の利かない」キャラなんですが、
私のように、そもそもその素因がある人間でないと、躊躇なく徹することはできませんよね。

だけど場面に応じて切り替えることはできるはず。
徹する必要はなくて、たまに「ここはもう気の利かないキャラでいこう」と踏ん切る。
そうやって、自分を守る。
自分を守れるのは、自分だけなのです。


このブログは、友人知人は読んでいないつもりで書いておりまして、
もし読んだら、全員が「キャラじゃなくて天然だろ! 言い訳すんな!」と
つっこむと思いますショック
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:18 | 人生 | comments(2) | trackbacks(0) |
その比較はどこから?
幸せは、人と比べることでは得られない。
大切なのは、幸せだと感じること。
とあちこちで言われております。

たしかにそうなんですけど、少し前まで、今ひとつピンときませんでした。
というのは、「人と比べている」ことに自覚がなかったから。

たとえば、グルメ系の取材をたくさんやっていた時期に
よく耳にしたのが、グルメといわれる人たちの幼いころからのグルメ遍歴。
どこかのカレーライスが美味しいと話題になった時に、
「小学生の頃によく銀座の資生堂パーラーに連れていってもらってたんだけど、
あそこのカレ―ライスが美味しかったのよね。あれと、同じ味がするわ」
なんてことを聞くと、がーんと来るわけです。

私は小学生の頃は、ドライブインながさわ(誰も知らない)しか、
行ったことなかったよ!とがっくりくる。
もう明らかに勝負がついてるように思ってしまう。

これはまったく覆すことができない事実ですから、
ライターとしてスタートする時点で、もう勝負ついてんじゃん、と思って落ち込む。

この場合、彼女が子どもの頃によく資生堂パーラーに行っていたことは事実。
そこのカレーライスの味を覚えているのも事実。
私は、ドライブインながさわくらいにしか、行ったことがなかったことも事実。

なんですが、資生堂パーラーのカレーを食べているほうが偉いと思い込んでいるのは、
単に比較の問題。
そこを、資生堂パーラーのほうが偉いとしてしまうから、つらくなる。

グルメ的には、もちろん資生堂パーラーのほうが偉いです。
なんだけど、経験として言うならば、そこに上下関係はない。
それを比較して考えているのは自分。

「資生堂パーラーに初めていったのはいつ?」なんて、
聞いてくる意地悪女もなかにはいます。
正直に言うと、まだ行ったことはないんですけども、
いま取材して、500字くらいの原稿を書くなら、
そんなバックグラウンドが大きく関係することはまずありません。

「舌」の遍歴を重視したい人もいますし、そこで培われた審美眼というか賞味舌ってのも
あるのかもしれません。
でも、そうした遍歴のない人でも、舌のいい人はいますし、
そうした遍歴があるのに、タバコだなんだで駄目にしちゃっている人もいます。
そう考えると、そこだけを比較して落ち込む必要はないわけです。

私が属している、雑誌まわりの人たちは、都会派が多いんですね。
小学校から都心の私立に通っていて、そのまま大学まで一貫して私立。
ダンナさんも同じような経歴で、というような、いかにも都会でぬくぬくと育ってきた感じ。

私はというと、田舎生まれ育ちで、
大学生の頃もまだ、ルイ・ヴィトンも、カルティエも知らなかったです。
高校時代からルイ・ヴィトンのバッグをもっていた人たちとは、明らかに違う。
んだけど、比べる必要はない。
そこに上下関係を持ち込むのは、自分です。

もちろん、そこに上下関係を持ち込んで、
あからさまにバカにしてくる人もいるかもしれません。
でも、いいの。
そこに上下関係があると思えば、あるけれど、
ないと思えばないんです。

学歴などだと、明らかに上下関係を感じることがあります。
中卒より高卒、高卒より大卒、大卒のなかでは偏差値。

だけど、事実と価値は違うから。
東京学芸大学卒と、東京大学卒との間に、優劣をつける必要はなくて、
単純に、事実として受け止めればいい。

東京大学卒がすごくないってことが言いたいのではなく、
「頭よかったんだねー」「卒論はどんなこと書いたの?」と
興味をもつことはいいんだけど、
そこで「私なんて、学大だもんなー」と落ち込む必要はないってことです。

大卒と高卒だと、大卒の方が上。
美人とブスだと、美人の方が上。
そういう価値観を私たちはもっているかもしれないけれど、
それは単に事実なだけ。

だって、美人の方がトクじゃないですか?って、確かにそれはそう。
そうなんだけど、事実は事実と受け止めつつ、
だから自分は駄目なんだって方向に引っ張らない。引っ張りすぎない。
それが比べないってこと。

事実のなかに、知らず知らずのうちに比較を盛り込んでしまうと、
何とはなしに自信がもてません。
比較って、けっこう知らず知らずのうちにしています。
そのことに自分では案外、気付いていません。
比べないって、じつは難易度が高いのですが、
そのからくりを自分ではっきりさせることができると、
つまんないことにイジイジしていたな、と思える日がきっと来るはず。

 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 18:04 | 人生 | comments(10) | trackbacks(0) |
もし私がアイドル事務所の社長だったら、かわいい子よりガッツのある子を選ぶ
ライターという職業は、捉え方にもよりますが、お先真っ暗感が漂っております。
少なくとも前途洋々な感じはしませんね。
雑誌の休刊、広告減、部数減、読者不在、読書量の激減などなど、
業界の不振感は半端ないです。

ところが、私はこの出版界の不振ぶりを聞くたびに、
なんとなくウキウキするんですね。
どんだけのんきなんだよって気もするのですが、
これだけ、不振だ、未来は暗いと言われていたら、
きっと才能ある人は、別の業界に行っちゃうんじゃないか。
そしたら、私のチャンス、という小さな枠だけで考えれば、
広がるかも! と思ってしまうんです。
人間が小さいのか脳が小さいのか・・・。

そこで、さらに何かいいアイディアを思いつけば、
きっともっと出世するのだと思うのですが、
そこまでどん欲ではなく。
何となく気分がいい。
何となくいい未来が待っているような気がする。
そういう何となく感に支えられながら、日々の仕事をこなしておる次第ですが、
私は、この世の中で、ざっくり言ってしまえば、個々の実力の差なんて
大して大きくないんじゃないかと思っています。
スポーツなどは、明確に数字が出て実力差がはっきりしますが(だから好きだった)、
ライター業などでは、そこまでの差はない気がする。

そりゃ、圧倒的にうまい人はいます。
新人の方は、未熟な部分もあるでしょう。
でもたとえば、ライター歴20年くらいの人たちが集まれば、
そこはもう、うまさの違いはさほどない。たぶん。

最近、人と接していて思うのは、
実力よりも「頑張ります!」という前向きさに惹かれるってことです。
たとえば、「本を出したい」という声はよく聞きますが、
「企画書、書いてみて」と言って、書いてくる人はあまりいないです。

「本を書いてください」と誰かからお願いされたい。
あなたには、本を出すだけの実力があると、言われたい。
でも、人のためにそこまで労力を払ってくれる人はほとんどいません。

小保方晴子さんなら、労力を払うのだと思います。
だけど、ほとんどの場合、それはない。
「小保方さんのあんなツマラナイ本が売れて、
なぜ自分が本を出せないのか」と思うかもしれませんが、
市場原理として、どちらが売れるかということですね。

もし本当に何かがしたいと思っているなら、
他人からどう思われるかよりも、まず自分で手を上げること。

アイドルの世界だって、単に顔のかわいさだけで、勝負しているわけではありません。
そういうと「事務所のコネですか」と聞かれそうですが、
そこは置いておいて、まず事務所で「この子を売り出そう」と考える時に、
誰を選ぶか。
事務所は、タレントを売り出す経費をかけるわけですから、
当然、投資効率を考えます。
かわいいけれど、打たれ弱い子よりも、
顔はそこそこだけど、ガッツのある子を選んだほうが、投資効率はいいかもしれない。
打たれ弱い子は、途中で投げ出してしまうかもしれませんからね。

女の子の場合、色仕掛け的なことを噂される場合もあります。
それが本当にあるかどうかは別として、
そこまでしてでも売れたいと考える子がいるとしたら、
そのガッツが実ることはある。

自分も色仕掛けを試みるのか、それはイヤだから、別で勝負するのか。
「色仕掛けなんて、ズルい!」と言ったって、そこにルールはないわけだから、
勝負がついてから、「ズルい」と言いたてたって、時すでに遅し。

私も、仕事を発注するなら、うまいけれど、ツンツンしている子よりも、
多少荒削りだけど、やる気のある子にお願いするかもしれません。
そういう子なら、多少文章に問題があっても、「ここを修正してください」と言えば、
素直に修正してくれそうに思えるから、あとあとラクな気がする。

もちろん圧倒的な実力があれば別です。
多少の性格の悪さは、我慢します。
でもそこまでの実力って、ほとんどの人にはない。

となると、とにかく前を向いて、やりたい仕事に「やりたい!」と
元気よく手をあげるだけの前向きさをもって、やっていくことが大事なんじゃないか。

そういえば、結婚もそうだと思います。
「結婚したい!」と手を上げることが大事。
「いい人がいればね・・・」と待ちの姿勢を決め込んでいても、
縁なんて自分から歩いて来てはくれません。

となると、わたくしもとりあえずは、出版界万歳! 的なスタンスで、
前向きに日々暮らすことが大切だと思うのです。
「お先真っ暗だよね〜」と言ってちゃだめしょんぼり
そう思うなら、転職しよう。

というわけで、はい。
今日も頑張って原稿を書きます。
 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:57 | 仕事 | comments(0) | trackbacks(0) |
何があっても自分だけは守る
最近の自分が、ちょっと進歩したかもと思う点のひとつに、
自分を守るという意識がしっかりしてきたことがあります。

私は、ぼんやりと素足で街を歩いているようなところがあって、
道にはガラスなんて落ちていないはず、と根拠もなく思い込んでいました。
そういう、素人ぽさを自ら愛していたという面もありますね。
ガツガツするのがカッコ悪いと思っていた。

そのほうがラクだというのもあります。
あれこれ主張するのはめんどくさい。

なんとなくやって、なんとなくうまくいってれば、まあそれで、ええやんか。
そういう感じでした。

ところが最近、自分の身は自分で守るしかないんだなと思うようになってきました。
ギャランティなんかもそうですが、心も。

自分の心を自分で守るという意識、私はこれまでまったくもっていませんでした。
スピリチュアル系の本には、よく「自分を大切にする」ための方法などが
書いてありますが、私はそういうの、ナルシストぽくてイヤだと思っていました。
心なんて、ただふつうに、気持ちを強くもっていれば、大丈夫なはずで、
わざわざ、自分を大切にするなどと意識しなくてもいい。
そういう考えでした。

ところがところが。
最近、感じたことに、世の中にはけっこうガラスの破片が落ちてる!
素足で歩いたらケガをする!
先に気付けよって話なのですが、気付かなかったんです。この年になるまでしょんぼり

これまでずっと、人から何かアドバイスめいたことを言われるたびに、
謙虚に反省していました。

これ、スポーツマンマインドなのかもしれないですし、
あるいは日本の教育の根本のところにあるものかもしれません。

いつも謙虚に自己を反省するのが正しいという認識が、
認識ではなく常識という扱いで、私のなかに浸透していました。

でも反省ばかりしていると、やられます。
自分が守れない。
だってつねに自己批判して、自分を否定しつづけなくてはならない。
そんなつらいことってないです。

以前、このブログで「あなたはあなたのままでいい、はずがない」
という記事を書いた気がするのですが、
人のことを恨んだり妬んだりしてばかりで、
自分にまったく自信がない状態で、
あなたのままでいることは、よくないと思うんです。
それって、今ひとつ幸せでない状態を、常態にしてしまいます。

だけども、つねに自己批判しなくてはいけないわけでもありません。
というか、他人って、悪気なく、破壊力のある言葉を投げつけてきたりする生き物です。
私だって、他人にそういうことをしているかもしれません。

だからもっと自分の心を守ることを意識した方がいいです。
反省ばかりしてちゃ駄目。
ひどいそしりを受けたら、「お前がなんぼのもんじゃ!」と
心の中で叫んでよいのです。
そうしないと、自分が守れないから。

ある作家さんは、デビューした頃、誰かエラい人に
「このままでは、今はいいけど先がない」と評されて、当然、落ち込んだ。
だけどその時に、「わかりました。今のままでなければいいんですね」と思ったとか。
そう考えることで、ガラスの破片を、自分で取り除いたんですよね。

おまえなんて、大したことない。
と言いよってくる人が世の中にはたくさんいます。

じつは、何度も書いたとおり、私の母がそういうひとだったので、
私の本能のなかに、そういうことを言ってくれる人は、
私のことを想って言ってくれているのだと思い込むところがありました。

でも他人って、そこまで他人のこと想っていません。
じつの母だってそう。
娘の私ではなく、自分の不安からそういう言葉をかけていることがほとんど。
だから真に受ける必要はありません。

何も反省しないで生きていくのがいいと言っているわけではないのです。
変えるべきところは、どんどん変えていく。
でも、人の言葉を指針にする必要はない。

叱られた時だけに限りません。
ほめられた時も、そう。
他人の言葉を、真面目に受け取りすぎない。
そのお気持ちだけ、ありがたく受け取って、
あとは自分で考える。
考えるのが難しければ、感じる。
不快に感じるなら、その不快をはねとばす。
「不快に思ってちゃいけない。私こそ、反省すべきなのに」
なんて、思う必要、ないのです。

自分に厳しい言葉を投げてくれる相手のことを恨む必要はありません。
その人は、その人自身の問題で、そういう言葉を言うだけなのです。
もし気になるなら、その人の内面を気づかってもよいかもしれません。
大切なのは、言葉を投げられた自分に問題があるのではなく、
相手がそういう言葉を投げずにいられない状態なのだと思うこと。

自分を守れるのは、自分だけ。
その自覚をもっているだけで、かなり元気になりますよ。
私はもう、自覚というより、覚悟しました。
他人につぶされない覚悟。
そうしないと、強い人たちにやられちゃいますもん。

仕事仲間が心配で、2日連続のアップですが、
その仕事仲間に、「あたしのブログ読んで」って言っていいのかどうか、悩み中しょんぼり

 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:20 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
誠実でありたいのか、誠実な人だと思われたいのか。
誠実でありたい、と思って仕事をしているのですが、
この「誠実でありたい」が、知らないうちに「誠実な人だと思われたい」に
なっていることがあります。

自分のありたい姿として思い描くのはいいのですが、
人の評価を求めてしまうと苦しい。
ここをうまく分けて考えられなかった頃は、自分を見失いがちだったし、
仕事も効率よく進められなかったと思います。

仕事のパフォーマンスを高めることを、一番の目標と考えるなら、
過度な誠実さに足を引っ張られることもあります。

誠実な人だと思われた方が、人間関係がうまくゆく。
人間関係がうまくいったほうが、仕事だってうまくゆく。
そういう考えもあるとは思いますが、
誠実な人だと無理して思われなくても、
人間関係はうまくいくし、仕事もうまくいきます。
別に、誠実であることが必須条件ではない。

誠実さって、自分の売りにする類いのものではないですね。
それを売りにしてしまうと、かえって自分の自信のなさが表にでてしまう。

自信のなさが表にでると、そこに乗っかってくる人の餌食になることも多い。
なにゆえ、自分はこんなに理不尽な目にあうのか。
私は精一杯、真面目に誠実に生きているのに。
と思う人は、一度考え直した方がいいです。
あなたの誠実さを、餌食にする人がいるのです。
その誠実さを利用しようとする人が近寄ってくるのです。

他人のための誠実さは、自分を傷つけることがある。
自分を奴隷にして、相手に差し出すようなところがあります。
そんなことをしていたら消耗するだけ。

私の場合、自分の仕事に誠実であろうとするなら、
少しでも早くいい原稿をあげることです。
シンプル。
だけど、他人への誠実さをアピールしようとすると、ほかのどうでもいいことに手を出してしまいます。
こういうこともやっといたほうがいいんじゃないか、というところについ目が行ってしまい、
とりあえず、あれもこれもやっとこう、となりがち。
それでは、確実に仕事のスピードが落ちます。

自分のための誠実さか、他人のための誠実さか。
そこは、一度よく考えてみるとよいかも。

「私はただ誠実でありたいだけなのに、なぜ・・・」と
悩んだ時代もかつてはありましたが、
最近はそのあたりにモヤモヤすることはなくなりました。

昨日、仕事仲間がちょっと悩んでいるようだったのですが、
誠実さは、他人ではなく自分のためにつかうものなのよ!
みんな、がんばろう!

 
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:04 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |