他人の期待にこたえない「気の利かないキャラ」を使いこなす
2016.02.28 Sunday
私が、あまり気が利かない女だということは、
親族、友人、仕事仲間、知人全員が知っていることだと思うのですが、
でも、じつはこれは、戦略なんです(ほんまやで)。
高校時代、わたくしは大層、上下関係の厳しい部活に所属していました。
先輩が、いばる。
試合でも練習でもとにかく「先輩」と名のつくものはすべて立てなくてはならず、
たとえば、先輩のシューズのヒモをほどいてさしあげたりとか、
荷物持ちなんかは当然ですし、雨の日は傘をさしかけます。
傘をさしかけるときのポイントは、自分が濡れることです。
他人に傘をさしかけたら、当然のこととして、自分が濡れる、
という事象のことを言っているのではありません。
自分が濡れたくなければいくらでもやりようはあるのですが、
「自分が濡れることも気にせず、先輩に傘をさしかけている」という状況をつくることが大切なんです。
試合のときに、後輩に荷物を持たせて、後輩が逃走したらどうするんだよ!
先輩が、いばる。
試合でも練習でもとにかく「先輩」と名のつくものはすべて立てなくてはならず、
たとえば、先輩のシューズのヒモをほどいてさしあげたりとか、
荷物持ちなんかは当然ですし、雨の日は傘をさしかけます。
傘をさしかけるときのポイントは、自分が濡れることです。
他人に傘をさしかけたら、当然のこととして、自分が濡れる、
という事象のことを言っているのではありません。
自分が濡れたくなければいくらでもやりようはあるのですが、
「自分が濡れることも気にせず、先輩に傘をさしかけている」という状況をつくることが大切なんです。
試合のときに、後輩に荷物を持たせて、後輩が逃走したらどうするんだよ!
と私なんかは思ってしまいますが、とにかく、先輩という形式美が大事なので、
「自分でもったほうが、リスクマネジメントとしては正解ですよ」
なんてことを言ってはいけない。
そういうなかで、ひとりだけ、好きな先輩がいたんです。
けっこう優しくて、知的で、いい先輩。
その先輩と、校内の階段ですれ違ったんです。
先輩は、2階から3階へ、私は、3階から2階へ向かう途中。
当然わたしの方が高いところにいたのですが、
先輩が視界に入ったらすかさず挨拶しなくてはならないルーティンワークが身についていたので、
とっさに「こんにちは!」と大声で挨拶したんですね。
先輩もにっこり笑ってくれました。
ところが、その日の部活のミーティングで叱られたんですよ。
「先輩に、高い位置から挨拶する子がいる」って。
わたし、たいていこういう遠回しなお説教って、スルーするんですが、
大好きな先輩だったから、覚えていますよ。
「それ、あたしやん!」
衝撃。
だって私は「先輩が視界に入ったらすかさず挨拶する」というルールは守っていたわけだし。
だけど、「高いところから挨拶した」ことが非常識だと、先輩は言っている。
その時に、気付いたのです。
私が立ち止まって、先輩が自分より高い位置まで行くのを待ってから挨拶していても、
きっと「挨拶が遅い」と叱られた。
「自分でもったほうが、リスクマネジメントとしては正解ですよ」
なんてことを言ってはいけない。
そういうなかで、ひとりだけ、好きな先輩がいたんです。
けっこう優しくて、知的で、いい先輩。
その先輩と、校内の階段ですれ違ったんです。
先輩は、2階から3階へ、私は、3階から2階へ向かう途中。
当然わたしの方が高いところにいたのですが、
先輩が視界に入ったらすかさず挨拶しなくてはならないルーティンワークが身についていたので、
とっさに「こんにちは!」と大声で挨拶したんですね。
先輩もにっこり笑ってくれました。
ところが、その日の部活のミーティングで叱られたんですよ。
「先輩に、高い位置から挨拶する子がいる」って。
わたし、たいていこういう遠回しなお説教って、スルーするんですが、
大好きな先輩だったから、覚えていますよ。
「それ、あたしやん!」
衝撃。
だって私は「先輩が視界に入ったらすかさず挨拶する」というルールは守っていたわけだし。
だけど、「高いところから挨拶した」ことが非常識だと、先輩は言っている。
その時に、気付いたのです。
私が立ち止まって、先輩が自分より高い位置まで行くのを待ってから挨拶していても、
きっと「挨拶が遅い」と叱られた。
もちろん、高いところから挨拶したのは非常識だったかもしれないけれど、
そんなふうに、気を使い始めたら、キリがない。
「気を使う」競争に参加してしまうと、「もっと気を使え」と言われつづけるんです。
そんなふうに、気を使い始めたら、キリがない。
「気を使う」競争に参加してしまうと、「もっと気を使え」と言われつづけるんです。
もう、気を使うのはやめよう、と思いました。
そんなあほくさい話、ないやろ、と。
これからは、「気が利かない」キャラでいく。
毎回、気が利かないことを責められて終わりにするほうが、
断然、効率がいい。
以降、もちろん挨拶などの基本ルーティンはこなしましたが、
あれこれ気を回すのは、やめました。
同学年の仲間には迷惑をかけたと思いますが(ごめんね)、
そんなあほくさい話、ないやろ、と。
これからは、「気が利かない」キャラでいく。
毎回、気が利かないことを責められて終わりにするほうが、
断然、効率がいい。
以降、もちろん挨拶などの基本ルーティンはこなしましたが、
あれこれ気を回すのは、やめました。
同学年の仲間には迷惑をかけたと思いますが(ごめんね)、
そこにエネルギーを注ぎたくなかった。
気が利かないというのは、要は、他人を気にしないということ。
相手が何を求めているかを、読まない。
もちろんまったく読まないと、社会生活を営めませんが、
「気の利く人」という立ち位置を積極的に自分でつくろうとすると、本当に大変。
理不尽なことが多すぎると思います。
男女関係においても、もちろん気が利かないので、
10代の頃、よく驚かれたのは、ティッシュを持ってないこと。
男子が当然のように「ティッシュちょうだい」とか言ってきても、
「あ、ごめん。あたし持ってない」
今もそうなんですが、基本、私はティッシュを持ち歩かないんです。
あまり必要性を感じなくて。
もちろん花粉症であるとか、個人的な理由があれば、持っていていいと思うのですが、
高校生のなかには、何かの時に「さっとティッシュを差し出すこと」が女らしさと
思っている人が男女問わず多かった。
もちろんティッシュくらいの話だと、人間の基本仕様として持っているでしょ、という話で、
私の持っていないほうが、ヘンなのですが、
そこではなくて、他人が期待する「女らしさ」に答えようとする人生は、しんどい。
女らしさに限らず、気の利く後輩でも、子どもを優先する母親でも、何でもそうですが、
他人の期待に答えながら、自分を作っていくのは、しんどい。
この前、ネットで、メールの末尾に「iPhoneから送信」とつけることが、
他人を不愉快にさせる可能性がある、という記事が出ていました。
iPhoneでメールを打つと、標準設定では、メールの末尾に「iPhoneから送信」とつくようになっています。
こういうメールを受け取った人のなかには、「ちっ」と思う人もいるそうです。
「忙しいアピールかよ」とか、「iPhone使ってる自慢かよ」とか。
その記事を読むと、「その設定はやめようかな」と思う人もいるかもしれませんが、
そこまで他人に気を使う必要は、ないでしょう。
「ちっ」と思う人には思わせておけばいい。
だって、そういう人とは付き合わないほうが、身のためなんです。
周囲にもし、「ちっ」と思う人が多いとしたら、
それはかなり窮屈な人間関係のなかにいることを自覚した方がいい。
世の中には、そんなことを気にしない人がいっぱいいます。
気にする人がいたとしたら、「気の利かないキャラ」で通す。
それでも「お前はヘンだ。もっと気を使え」と言ってくる人がいたら、
それは、相手がヘン。
私の高校時代の部活で言うと、
先輩方を個人で見れば、何もヘンな人たちではありませんでした。
だけど、場の空気がおかしかった。
相手がヘンだったり、場の空気がヘンだったり、という時に、
そう思うことに罪悪感をもつ人が意外と多い。
私も、そういう罠にはまることがたまにあります。
「相手は変えられない。変えられるのは自分だけ」と言いますから、
気が利かないというのは、要は、他人を気にしないということ。
相手が何を求めているかを、読まない。
もちろんまったく読まないと、社会生活を営めませんが、
「気の利く人」という立ち位置を積極的に自分でつくろうとすると、本当に大変。
理不尽なことが多すぎると思います。
男女関係においても、もちろん気が利かないので、
10代の頃、よく驚かれたのは、ティッシュを持ってないこと。
男子が当然のように「ティッシュちょうだい」とか言ってきても、
「あ、ごめん。あたし持ってない」
今もそうなんですが、基本、私はティッシュを持ち歩かないんです。
あまり必要性を感じなくて。
もちろん花粉症であるとか、個人的な理由があれば、持っていていいと思うのですが、
高校生のなかには、何かの時に「さっとティッシュを差し出すこと」が女らしさと
思っている人が男女問わず多かった。
もちろんティッシュくらいの話だと、人間の基本仕様として持っているでしょ、という話で、
私の持っていないほうが、ヘンなのですが、
そこではなくて、他人が期待する「女らしさ」に答えようとする人生は、しんどい。
女らしさに限らず、気の利く後輩でも、子どもを優先する母親でも、何でもそうですが、
他人の期待に答えながら、自分を作っていくのは、しんどい。
この前、ネットで、メールの末尾に「iPhoneから送信」とつけることが、
他人を不愉快にさせる可能性がある、という記事が出ていました。
iPhoneでメールを打つと、標準設定では、メールの末尾に「iPhoneから送信」とつくようになっています。
こういうメールを受け取った人のなかには、「ちっ」と思う人もいるそうです。
「忙しいアピールかよ」とか、「iPhone使ってる自慢かよ」とか。
その記事を読むと、「その設定はやめようかな」と思う人もいるかもしれませんが、
そこまで他人に気を使う必要は、ないでしょう。
「ちっ」と思う人には思わせておけばいい。
だって、そういう人とは付き合わないほうが、身のためなんです。
周囲にもし、「ちっ」と思う人が多いとしたら、
それはかなり窮屈な人間関係のなかにいることを自覚した方がいい。
世の中には、そんなことを気にしない人がいっぱいいます。
気にする人がいたとしたら、「気の利かないキャラ」で通す。
それでも「お前はヘンだ。もっと気を使え」と言ってくる人がいたら、
それは、相手がヘン。
私の高校時代の部活で言うと、
先輩方を個人で見れば、何もヘンな人たちではありませんでした。
だけど、場の空気がおかしかった。
相手がヘンだったり、場の空気がヘンだったり、という時に、
そう思うことに罪悪感をもつ人が意外と多い。
私も、そういう罠にはまることがたまにあります。
「相手は変えられない。変えられるのは自分だけ」と言いますから、
相手がヘンでも、場がヘンでも、自分を変えようとしてしまう。
だけどこういう場合に「自分を変えればうまくいく」という方向に
もっていってしまうと、ものすごく自分を消耗します。
そういう時に有効なのは、「気の利かない」キャラなんですが、
私のように、そもそもその素因がある人間でないと、躊躇なく徹することはできませんよね。
だけど場面に応じて切り替えることはできるはず。
徹する必要はなくて、たまに「ここはもう気の利かないキャラでいこう」と踏ん切る。
そうやって、自分を守る。
自分を守れるのは、自分だけなのです。
このブログは、友人知人は読んでいないつもりで書いておりまして、
だけどこういう場合に「自分を変えればうまくいく」という方向に
もっていってしまうと、ものすごく自分を消耗します。
そういう時に有効なのは、「気の利かない」キャラなんですが、
私のように、そもそもその素因がある人間でないと、躊躇なく徹することはできませんよね。
だけど場面に応じて切り替えることはできるはず。
徹する必要はなくて、たまに「ここはもう気の利かないキャラでいこう」と踏ん切る。
そうやって、自分を守る。
自分を守れるのは、自分だけなのです。
このブログは、友人知人は読んでいないつもりで書いておりまして、
もし読んだら、全員が「キャラじゃなくて天然だろ! 言い訳すんな!」と
つっこむと思います
つっこむと思います