感情を切り離して自分を見る
2016.04.30 Saturday
以前、友人と話をしていた時に、彼女がこう言ったんです。
「私ね、そろそろもっと自由になっていいかなって。
これまでずっと我慢してきたしね。
もっとワガママに生きようと思うの」
たぶん彼女を知る人全員がずっこけると思います。
いやいやいや、十分自由でしょうよ。
これ以上ワガママになるなら縁切るよ。
と言いたいレベル。
だけど、友人の言葉は、友人にとっては真実で、
本人は、ずっと自分は我慢してきたと思っている。
我慢のレベルは人それぞれですからね。
自己認識というのは、なかなか難しくて、
すごく美人なのに、「全然美人じゃない」と思っている人も
たまにいます。
逆もいますよね。
私は、ここで書いている限り、けっこう自分は弱気だと思っていますが、
それもまた、リアルで私を知っている人にとっては、噴飯ものかもしれません。
いや、全然、強いだろうと。
自己認識は、自分で自分をどう見ているかですが、
客観的に自分を見るのとは少し違うと思います。
自己認識は、自分を見たいように見るので、
そこに感情が伴います。
「弱気な私」はかわいそう、だったりするわけです。
「優秀な僕」はなぜ認められないのかとイライラしたり、
「美人な私」ってみんなから注目されてサイコーだったり。
弱気な私を気にしているのは、自分。
もし私が弱気一辺倒だったら、ライター界で生き残っていないでしょう。
それでも、自分を弱気だと思いたい自分がいる。
客観的に自分を見るとそこに、余計な感情がまとわりついてきません。
弱気だろうが優秀だろうが美人だろうが、それは、それ。
ただのスペック。
だから、その先に進める。
自分に入り込みすぎると、自分の作る物語にからめとられてしまいます。
悲劇の物語とは、限りませんが、
英雄の物語であれば、ずっと自分は英雄の物語の主人公であり続けます。
それが時に自分を苦しめる。
時に変化を拒む。
感情を上手に切り離して、自分を見る訓練ができるといいですよね。
「私ね、そろそろもっと自由になっていいかなって。
これまでずっと我慢してきたしね。
もっとワガママに生きようと思うの」
たぶん彼女を知る人全員がずっこけると思います。
いやいやいや、十分自由でしょうよ。
これ以上ワガママになるなら縁切るよ。
と言いたいレベル。
だけど、友人の言葉は、友人にとっては真実で、
本人は、ずっと自分は我慢してきたと思っている。
我慢のレベルは人それぞれですからね。
自己認識というのは、なかなか難しくて、
すごく美人なのに、「全然美人じゃない」と思っている人も
たまにいます。
逆もいますよね。
私は、ここで書いている限り、けっこう自分は弱気だと思っていますが、
それもまた、リアルで私を知っている人にとっては、噴飯ものかもしれません。
いや、全然、強いだろうと。
自己認識は、自分で自分をどう見ているかですが、
客観的に自分を見るのとは少し違うと思います。
自己認識は、自分を見たいように見るので、
そこに感情が伴います。
「弱気な私」はかわいそう、だったりするわけです。
「優秀な僕」はなぜ認められないのかとイライラしたり、
「美人な私」ってみんなから注目されてサイコーだったり。
弱気な私を気にしているのは、自分。
もし私が弱気一辺倒だったら、ライター界で生き残っていないでしょう。
それでも、自分を弱気だと思いたい自分がいる。
客観的に自分を見るとそこに、余計な感情がまとわりついてきません。
弱気だろうが優秀だろうが美人だろうが、それは、それ。
ただのスペック。
だから、その先に進める。
自分に入り込みすぎると、自分の作る物語にからめとられてしまいます。
悲劇の物語とは、限りませんが、
英雄の物語であれば、ずっと自分は英雄の物語の主人公であり続けます。
それが時に自分を苦しめる。
時に変化を拒む。
感情を上手に切り離して、自分を見る訓練ができるといいですよね。