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ライター今泉愛子のブログです
永遠の切なさ

昨日は、明石南高校陸上部の1つ下の男子たちの忘年会に参加してきました。

今年は12月はじめに帰ったし、お正月の帰省はとりやめるつもりでいたのですが、

誘ってもらったことがうれしくて、いそいそと出かけたのでした。

 

わたしは、小学校、中学校、高校すべての同窓会に一度も参加していませんでした。

集まりに顔を出すこともなかったし、結婚式に呼ばれても断りました。

ひどすぎる話なのですが、それくらいきっぱりと断たないと、

うまく後半生を渡れそうになかったのです。

 

始まりは、Facebook。

兵庫の陸上関係者とつながり、同世代から歓迎されて、

ちょっとうれしかった。

 

そこから少しずつ封印を解き、魚住中学同級生と会ったり、兵庫の長距離男子と会ったり、

そしてついに私の最暗部の明石南高校時代の・・・!

感無量です。

 

最近、毎日こうしてブログを書くようになりましたが、これは私のランナー人格がそうさせています。

私には、たぶんランナー人格というのがあって、それが出てくると、ストイックになり、そして繊細になります。

ものすごく傷つきやすいくせに、気が強い。

 

あの厳しい世界は、繊細さがないと、私は乗り切れなかったし、

その繊細さがあったからこその強さだったと思います。

山ほど傷ついて、その傷を癒すために、がむしゃらに頑張って、

そういうことの繰り返しだったような・・・。

 

命をかけてでも欲しかったもの。

どうしても得られなかったもの。

去っていった人。

止まった時間。

癒えない傷。

切なさは永遠。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:50 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
環境は与えられるもの

ランナーとしてそこそこ成果を上げていたので、

進学や就職には困らないだろう、と思われていたのですが、

それは大きな誤解です。

 

中学時代「どこにだって行けるんだからいいよね」とクラスメートから言われたこともありますが、

私自身は、進学先について、自由に選べたことは一度もありません。

 

高校は、県外に行きたい気持ちがありました。

実は、広島の鈴峯高校に憧れていました。

ただ、うちの口うるさい親がそれを認めるはずがない。

ですがそれ以上に、明石市を出る権限がない。

 

当時明石市には、よくしてもらったと思います。

いろんな賞をもらいましたし、一日警察署長を務めたりするくらいです。

その中で高校は、陸上競技に力を入れている明石南で、というのは既定路線。

 

当時は、明石市は総合選抜制で、公立高校の普通科を受験した生徒は、

住んでいる地域と学力を元に、市内5校に振り分けられていました。

 

私の二つ上の先輩で、800mが速い男性は、自宅から近い明石西高校を希望していたのですが、

明石南高校に振り分けられたという話でした。

志望通りにいかないこと前提の制度ではありますが、自宅から近い高校を志望していて、

通うのがかなり不便な高校に振り分けられる例はかなり少ないです。

陸上競技歴によってそうなったとしか思えません。

私とて、別の高校を志望したところでそうなるでしょう。

 

というわけで無駄な抵抗はせず、明石南を希望してそのまますんなり。

ちなみに自宅からは遠いので、うちの中学からは3人くらいしか入学していません。

 

大学は、前にも書いた通り「国立大学を受験しろ」と明石南高校から命じられた、と

私は思っています。

自由に選ばせてはもらえなかった。

 

あの頃、せっかく走る方で調子を上げていたのに、なぜ受験勉強を始めなくてはならなかったのか、

とちょっと思う。もったいない。

でも、そういうことなんです。

有名人だからって選べるわけではない、というか、私の場合、有名人であるがゆえ選べなかった。

 

なので私は、環境って選べるものではないという考える傾向が強いです。

環境は、選ぶものではなく与えられるもの。

自分でガツガツと進路を選ぼうという気は、ほぼ持たないまま社会人生活を始めました。

 

ビジネスパーソンとして出世しているひとたちをみると、

ものすごくしっかりと、あれこれキャリアを築いていきます。

海外でMBAをとったり、転職したり、なんというかとってもアグレッシブ。

 

私はそういうところが一切ないです。

いつも言われるがまま、流されるまま。

 

ベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』には賛否両論あるようですが、

私は、まさにタイトルのパターン。

自分の道を積極的に切り開いていくタイプではなく、

与えられた場所でどう対処するかを考える方が得意。

 

世間的に褒められるのは、積極的に未来を切り開くタイプだと思います。

なんというか、そういう人の方が出世する。

 

ええねん。置かれた場所で咲けば。

やがて種となってふわふわとどこかに飛んでいくこともあるでしょう。

ランナーをやめてからの私の人生ってそんな感じ。

 

環境なんて選べない。

どんなに熟慮して選んだ家でも、

お隣に変な人が引っ越してくることだってあります。

 

会社だって学校だってそう。

いつだって、予測不能な事態に見舞われる。

 

私自身は、選ぶことよりも、考えることに時間をかけてきました。

選ぶことにあまり執着がありません。

環境に関しては、たいてい「そんなもんかな」という感じ。

考えることで、イキイキとし始める。

考えることで、自由になれる。

 

そういう人生もいいかな。

せやけど、ヒットは出したい。

去年の今頃の記事でも、そう書いていますが、

まだかなっておらず・・・。

 

目標達成は私の得意とするジャンルです。

来年は(というか、今この瞬間から)死ぬ気で頑張る!

良いお年をお迎えください。

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:02 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
先にゴールを決めておく

わたしは、あまり悩まない性格で、何でもかんでもパキパキと判断します。

迷っている状態に自分を置けない。

 

これって、自分としては性格が弱いからだと思っています。

あれこれと悩んでいる人を見ると、メンタルが強いとしか思えない。

わたしは、そういう状態に自分を置くと、たぶん崩壊します。。。

 

レストランのメニューでも、いつもパキっとこれ!

と決めますし、服を買う時もほぼ悩まない。

家を買う時ですらそう(←夫のお金ですが)。

 

「検討」したいという欲求もなくて、検討したところでどうなん? と。

後でいいものを見つけて後悔したことはほぼないです。

 

でもそれは、後悔しないと先に決めているからだと思います。

後で、友人が美味しそうな料理を食べていても、心がぶれない。

後でもっと良さげな物件を見つけても、縁がなかったと思う。

買い物に関していえば、高い安いに必要以上にこだわらない。

 

人間関係もあまり悩みません。

母がずっと舅姑に悩まされていたのを見て育ったからか、

なぜ「解決」しようとしないのかが不思議でなりませんでした。

 

母が「お金持ち男性と結婚しろ」と言っていた話は書きましたが、

それは、ザクッと書きすぎで、母の要求はもっとディテールの細かいもので、

「その家が所有する土地に、息子夫婦用に新築の家を建ててくれるような家の息子」と

結婚しろと(しかも兵庫県内の南部限定)。

お金と土地があっても両親と同居するようなのはダメと

(自分が失敗したから・・・)。

 

でも、わたしは10代の頃から、だんなさんの両親と同居でもそれなりに上手くやる自信がありました。

(全然、結婚相手が決まっていない段階から、ちょーOKと思っていた)

 

そういうのって、先に結論を決めてしまえばいいと思うんです。

夫の両親って、上手く付き合った方が絶対に人生にプラスです。

嫌いになっていいことなんてない。

そんなのわかりきっています。

ゴールが決まっているなら、そうするためにどうすればいいかを考えればいいだけのこと。

 

だんなさんの両親の文句を、タラタラと言いつづける人は、わたし世代にもいます。

何か、どこか気にくわない。

決定的にイヤなことをされて、絶縁だとか、疎遠だとか言い出す人も。

最初は、誰しも夫の両親に気に入られたいと思っているはずなのですが、

その期待に、両親が答えてくれないとすぐ折れる。

要は、自分の心に対して、無防備すぎるんだと思う。

ゆるふわっと上手くいくことを期待している。

 

先に「嫌いにならない」と決めておけば、

イヤなことをされても、どういうふうに自分の心を処理すればいいかがわかります。

「両親は、こういう世代で過去にこういう経験があってこういう考えだから、こうするんだ」と

わかれば、仕方がないと思えますし、

「わたしは、こういうことをされたら、イラっとくる性格なんだな」とわかれば、

そこまでイラっと来なくてもいいのかも、、、と考えるきっかけになります。

 

相手から言われっぱなしにするわけでもありません。

多少は自分の主張もしておかないと、「嫌いにならない」ことは難しい。

としたら、譲れない部分はどこか。

それをどういう方法で主張すれば通るのか。

と、戦略的に考えれば良いと思うのです。

 

運動部での厳しい先輩とのやりとりだって、ゴールを決めておけば、あまり悩みません。

ゴールは、そこそこうまくやること。先輩の存在に煩わされないこと。

やっぱり自分の練習が一番大事なので、それを邪魔されることには耐えられません。

 

わたしの場合は「気の利かない」キャラとして生きるのが得策だと思いました。

これはね、「そもそも気が利かないだろう」って話でもあるんですがしょんぼり

 

でもどれだけ頑張って気を利かせても絶対に文句は言われるんです。

だって先輩たちは「文句を言おう」と決めてますからね。

そしたら、こちらは総合的に判断して「あの子は気が利かないよね」キャラになるのが妥当。

 

ママ友同士のいざこざも、どこにゴールを設定するかで解決策は必ず見つかると思う。

つまりはママ友に好かれることがゴールなのか、

子どもの遊び相手を確保するのがゴールなのかってことですよね。

 

恋愛の場合は「結婚」をゴールに決めてしまうと、逆に真実を見誤ることがあるかもですが、

「うまくやる」ことを決めておくと、細かいいざこざは圧倒的に減ると思います。

もちろんわたしとて、そういうゴール設定ができずドロドロしたこともあるにはあるんですけども、

それはやっぱりゴール設定の甘さが敗因だったと思う・・・。

ゴールを先に設定する。
会社でも「三年はやめない」と決めれば、
トラブルがあったとしてもどう対処すべきかが明確に見えて来ると思うんです。

 

私も仕事を引き受けた後で、自分に不利な条件が判明することもあります。

げげっと思う。先に伝えておいて欲しかったとも。
でも、ゴールは、その仕事を完遂することであれば、不利な条件にイライラしないほうが得策です。
一旦引き受けたのだし、そこでしのごの言っても仕方ない。
イライラするのは損。そこはスパッと割り切る。
反省は、次に活かせばいい。
私は、「イライラする」状況に耐えられない。
なので、イライラしないための考え方が身につきました。
ある意味、色っぽくなかったりもしますけれども、
人生は、けっこう平和です(たぶんそのはず)。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 03:29 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
努力の行方

ランナー生活から足を洗って最初に戸惑ったのが、自分はこれから何を基準に

行動すればいいかということでした。

 

それまではずっと「競技にプラスかマイナスか」だけで全てを判断していたんですね。

映画一本見るにしても、それって、プラスになるのかな? と。

『炎のランナー』ならOKみたいな。

激しい向かい風の中、自転車をこいでいるときは、

「これは間違いなくプラスになる経験だ。負けないようにしよう」と気を張るとか。

なんじゃそりゃ、というところまで、そんなふうに考えていました。

 

大学時代はかなりそれは緩くなっていて、

空き時間もたっぷりあるし、どうすればいいのやら、と戸惑ったのですが、

社会に出るともう完全に、指針を失う感じでした。

 

努力したり頑張ったりするのは得意なんだけど、

その得意を、どう発揮すればいいのか。

仕事って、スポーツに比べれば断然多面的で、何かをやるにしても根回しが必要だし、

男性上司に気に入られることも必要だし、先輩女性からいじめられないようにすることも大切。

Aの仕事とBの仕事の優先順位はどう決めればいいのか。
政治的な判断も必要だし、損して得取れとか、寄らば大樹の陰とか、
長い物には巻かれろとか、いろんな状況があるわけじゃないですか。

競技をやっている限り、他人のことを気にせず生きていられた私ですが、

その時、かなり「はっ!」としたことを覚えています。

世界は私が思うよりはるかに複雑だ・・・。

 

やばい。

仕事ができないタイプではなかったので、

企業という場でキャリアを積んで、出世を狙う道もあるにはあったのですが、

私は、会社員というかなり総合的な判断を求められる場で、

階段を登っていけそうにないと思いました。

もうちょっと何かに特化したほうがいい。

 

私は、大学生の頃から「養ってもらう」という生き方はしたくないなあと漠然と思っていました。

これはまあ波があって、定期的に「高校野球の監督の妻」的なことをやってみたい衝動とか、

夫のためだけに生きる専業主婦、みたいなものにほんわかと憧れる時期もなくはなかった。

「男性に尽くしたい」衝動もちょっとはある(ほんまやで)。

 

だけどトータルで言えば、自分のだんなさんに、妻子を養うために、

イヤなことを我慢して会社に尽くす、みたいなことをさせるのはイヤだなあと。

そこだけ書くと、なかなか思いやりがあるんですが、

妻子のためだから頑張れる、なんて言われるのは「迷惑」くらいな感覚。

自分のために頑張れる人であってほしい。

 

さてどうしよう。

ここから先は、かなりざっくりと省くのですが、

ライターという職業に出会えたのは、ものすごく幸運だったと思います。

 

何しろ、結婚以来ずっと専業主婦で、キャリアの道が途絶えていた。

夫の海外勤務がきっかけで専業主婦ライフが始まったとは言え、

自分のポリシーとはちょっとちがう。

しかしとりあえずは、子どもを育てなくてはならず。

 

そういう中で、なんとかライターとなることができて、

この職業は、かなり私の得意が生かせる仕事だと思います。

頑張り方の部分において。

 

ただそこをもっと、さらに頑張る必要がある。

努力って、才能に支えられる部分があります。

私が、あれほど努力できてのは、努力に答えてくれる才能があったから、

と言えなくもない。

 

能力のない部分を努力でカバーする、とよく言いますが、

それはちょっと違う。

能力のなさは、努力では補えない。

私が得意なのは、先鋭化させる努力で、何かを極めていく努力。

走ることに比べれば、かなり能力的には落ちるライター業で、

どう努力を発揮していくかは、もう少し鍛錬が必要な感じ。

努力って意外と難しい。

 

というわけで、年末年始、かなりガッツリ原稿を書かねばなりません。

年賀状はお休みします・・・。

壮大な前振りだったショック

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:47 | 仕事 | comments(0) | trackbacks(0) |
永遠の執着

織田さんのことをつらつらと書いて、

実は、天竜中学、磐田北高校という学校名は、後で加えました。

お名前も勝手ながらはっきりと書いた。

どなたか、織田さんのことを懐かしく思う人が名前を検索した時に、引っかかりやすいように、と思ったんです。

 

織田さんのことを懐かしく思う人。

私の頭の中にあったのは、妻鹿久美子さんです。

 

でもまずは、ご自分の名前かなあ。

そう思って、妻鹿さんのお名前と学校名も書いた。

 

私の場合も、時たま「石原愛子」で検索して、このブログにたどり着いてくださる方がいるのです。

ありがたいなあ、うれしいなあと思っていました。

女性の場合、結婚して今の名前と違っているのもある意味便利な気もします。

今の生活にご迷惑をかけずに済むから。

 

妻鹿さんは、織田さんの宿敵。

「妻鹿さんがいたから頑張れた」と道子先輩は言う。

 

妻鹿さんの話も聞いてみたいなあ。

だけど、妻鹿さんの消息がわからない。

愛知県の競技関係者に聞いてもわからないらしい。

もう競技には関わっていらっしゃらないのかな。

大学関係者とも交流を絶ってるってこと?

あんなに輝いていた人が?

いまFacebookに登場したら、マドンナ降臨。

愛知県の、いや日本全国の39年生まれ陸上男子は狂喜乱舞しますよ。

そんなことをつらつら。

 

妻鹿さんは、妻鹿さんなりの葛藤を抱えているかも。

あの頃、何を考え、どうやって走ってたんだろう?

もしかすると誰かに話すことで、妻鹿さん自身の何かが回復するかもしれない、

と考えたりもする。

妻鹿さんの「役に立ちたい」と思っているわけではありません。

それは不遜すぎるでしょう。

でもきっと積もる話がある。

会いたい。

 

織田さんと妻鹿さん、そして瀬渡さん、きっと全く違うタイプのランナーだと思う。

話を聞いてみたいな。

あなたにとって、勝負とは? 走ることとは? 記録とは? ライバルとは?

織田さんと再会できたのだって30年ぶりだから。

妻鹿さんとお会いできるのが、10年後でもいい。

いつか会えるといいな。

それでね、一つ気づいたんです。

私、同級生の大国美喜子ちゃんや横須賀久乃ちゃんの話は、

聞けないなって。

会いたい。

会いたいけど、この前、織田さんの前であんなにもがっついて

競技人生について聞いたようには、聞けない。

私のくだらないコンプレックスが邪魔をする。

どうして私は、ってやっぱり思っちゃう。

ここ最近、こんなにも心の整理がついてきたのに、それでもなお晴れないわが心。

 

道子先輩がおっしゃった。

「私たちに共通しているのは、業の深さだね」って。

 

 

高校3年生のあかぎ国体

先頭が私、みきちゃん、久乃ちゃんもいる。小島和恵ちゃんも。
順位は、みきちゃんが1位、久乃ちゃんが2位、私は4位。
それでもよく頑張ったとは思う。
中学3年の全中は、私が1位、久乃ちゃんが2位、みきちゃんが3位。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:45 | ランナー時代 | comments(2) | trackbacks(0) |
大人になるタイミング

誰しも大人への階段を上るわけだけれど、

上る時期、上り方は人それぞれ。

私は、中学一年生の一学期に、大急ぎで上ったと思う。

だけどそれは、自分から望んでそうしたことで、

早いから偉いとか、そういうものでもなく。

 

家庭の状況で、もっと早く上らざるを得なかった人もきっといる。

あるいは、ゆったりと、ゆっくりと上った人も。

 

男子を見ていると、小学生の卒業文集では

「社長になりたい!」

「プロ野球選手になりたい!」

「政治家になりたい!」

といっとけば、間違いない。

息子の同級生で「銀行員になる」と言った子がいて、

ママがえらくがっかりしていたのを覚えてる。

小学生の頃は、無邪気に大きな夢を語る子がえらい。

 

ところがこれが中学の卒業文集になってくると、少しずつ違ってくる。

無防備なことを言うと、誰かにひどく傷つけられる。

高校生になるともっと状況は過酷に。

「なにオマエ、バカなこと言ってんの?」

「自分のことわかってないんじゃないの?」

「いつまでそんなこと言ってるつもり?」

なんて。

親ですらそんなことを口走る。

 

高校生の頃、男子って大変だな、と思った。

高い目標を掲げると、現実を見ろと言われ、

低い目標を掲げると、男らしくないと言われ。

 

そういう多感な時期に、優しくしてくれた男子のことをふと思い出した。

少年の誠実な優しさ。

そういうのを懐かしく思う五十代、休日の朝ですね。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:22 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦いの日々は青春

あまりに衝撃が大きすぎて、言葉になりません。

天竜中学、磐田北高校の織田道子さんと、30年以上ぶりにお会いして

(お名前出しちゃってごめんなさい)、

帰り道は、胸がいっぱいで放心状態でした。

 

わたしの競技成績は、織田さんの足元にも及びませんが、

こんなにもわかりあえる人がいるなんて・・・。

目標へのアプローチ、努力の方法論、「自分」の作り方。

二人とも、いろんなところで傷つきながらやってきたのだと思いました。

 

繊細、だからこそいろんなことをブロックして、

つらいことをつらいと認識しないようにして、全部フタをして、懸命に走っていた日々。

わたしは当時「つらい」という感情を持っていなかったと思います。

 

面白かったのは、織田さんもわたしも昭和歌謡が大好きという点。

織田さんは、桜田淳子と南沙織

わたしは、キャンディーズ、アグネス・チャン、岡田奈々

 

小学生だった頃の自分があんなにもハツラツとしていて、

あの時代がキラキラと輝いているのは、

最後の子供時代だったからかもしれない。

 

走り始めてからは、子供っぽい無邪気さをすべて切り捨てて戦いに挑んだ。

わたしも小学生の頃は、席替えをするたびに、好きな男の子が変わるような、

移り気でおしゃまな女の子でした。

ふざけてはしゃいで、先生に怒られて、男子にからかわれて、

のびのびと子供時代を楽しんでいた。

 

中学生になって、そういう部分を切り捨てた。

わたしの場合は、自分を全力でカスタマイズしたのだと思います。

走ることに最適な自分になるために。

 

織田さんが、インターハイ二連覇した頃の神がかった感じは、よくわかります。

たぶんそのためだけに生きてたんだと思う。

狙うは、記録ではなく勝利。

勝利の重みで言えば、日本選手権より、インターハイだと思う。

 

そんなの長続きしないよね。

と二人でうなづきあいもしました。

卓球の愛ちゃんは、もっとしたたかでもっと自由。

だけど、私たちだって全力で戦ったよね。

 

すごく似たところもあるけれど、

織田さんは、本当に頼りになるお姉さん。

まっすぐで、自分の中に正しさを持っている人。

そしてわたしより、少しだけ図太い。

 

先に帰られた中村敏子先輩は、本当にまっとうな人。人格者。正統派。

私たちは、ちょっと変人。不器用。

どこかに生きにくさを抱えてる。

 

競技をやめてから、全力でソーシャライズした、というのも同じでした。

男子の前でどういうふうに振舞えば、嫌われないのか。

女子の間でどんな態度でいれば、浮かないのか。

一つひとつ考えて、自分を組み立て直した。

走っていた頃は、男子から嫌われようが、女子の間で浮こうがあまり気にならなかったのに。

 

こんな性格だから800mが速かったのか。

それとも800mをやったからこんな性格になったのか。

興味は尽きません・・・。

 

愛知淑徳の妻鹿久美子さん、もしご覧になったらメールくださいね。

coolup@gol.com です。

妻鹿さんのお話も聞いてみたい。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:20 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜヤクルトを断らないか

わが家には、隔週の土曜日、ヤクルトお姉さんがお届けに来てくれます。

毎回14本買っています。代金が千円ちょっと。

 

子どもたちが小学生の時から続く習慣で、もうやめてもいいかな、と思うのですが、

まあ多少ズルズルしている感じです。

が、わたしは、あまりズルズルした関係が好きではないので、普通だったらやめています。

やめないのはなぜか。

 

ヤクルトに、夫は反対しているんですね。

「買わなくていい」と。

なので、わたしが買っているわけですが、

土曜日にわたしがいないことがあります。

 

するとお姉さんが来ても夫が断ります。

わたしが家にいても、夫が対応することがあります。

朝からお風呂に入っていたり、あるいは原稿を書いていて手が放せなかったり、

そんな時です。

なんとなくわかるのですけど、相当冷たい対応をしています。

 

ところが、ヤクルトレディの彼女は、まったくスタンスを変えません。

次も次も、懲りずにやってくる。

同じトーンで、明るく礼儀正しい態度を崩さない。

「ごめんなさい。ご主人反対してませんか」なんてことも言い出さない。

いつも同じ笑顔。

 

この強さが素晴らしいなと思って。

仕事ってこういうこと。

折れない心でいま自分にできることをせっせとやる。

断るかどうかを決めるのはお客さんです。

断られない限りは、誠心誠意、対応すればいい。

 

もちろんわたしが出かける時、手が放せない時に、

夫にお金を預ければいいのですが、そこまで気が利かないのがわたし。

 

なので、わが家のインターフォンを押す時、

彼女は相当緊張するのではないでしょうか。

奥さんが出るか、旦那さんが出るか・・・。

まさに天国と地獄です。

 

そのプレッシャーにも負けずに、毎回トーンを変えずにやってくる。

そういう健気な強さに、とても惹かれてしまうのです。

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:52 | 仕事 | comments(2) | trackbacks(0) |
あとは落ちていくだけーー幸福の解釈

先日、実家に帰った際に、母と話をしていると、

「あんな、私、あんたのことがほんま心配やってん」

「何が?」

「日本一なったやん? あとは落ちていくだけやろ?」

 

もうここまで来るとギャグとしか思えないのですが、

人が「オリンピックに出たいな!」とワクワクしている時期に、

「落ちていくだけ」って、不幸の手紙ですか。

 

「だから、あんたに勉強しいよってあれほどうるさく言うてん」

「高校の推薦とかも全部断ってくださいって、先生に言うたし」

(それ、わたし聞いてないけど)

「あかんようなった時のことおもたら怖くて」

 

母は、スポーツ選手の子育てに向いていなかったと思うのですが、

本人は、先見の明があったと思っているから腹立たしいですね。

とにかく口うるさく「ダメになった時のことを考えておけ」と言う母でした。

 

「幸せ」みたいな定義のないものって、解釈次第でなんとでもなります。

と、母に伝え続けて何年も経ちますが、

いまだにどんな話をしても、最後は不幸話にしないと、本人は気が済まない。

「●●さんは、息子さんのお嫁さんがよくしてくれて、お歳暮も毎年送ってきてくれるんやって」

「へえ、よかったなあ」

「せやけど、なかなか孫ができひんらしいわ」

みたいな感じです。

「そんなこと言うのやめたら?」と言っても母にとっては「ほんまのことやのに!」となる。

そんなこと、あえて言う必要がない、とわたしは思う。

 

幸せを見つけるたびに、不幸の種を探そうとする。

人に対しても、自分に対してもそう。

そうすることでしか、心のバランスが保てないのだろうし、

そんなバランスを求めるのは、本人の生い立ちに何かあるのだろうとも思う。

でも気づかない。気付きたくないんだと思う。

 

とはいえ、一日中不幸オーラを撒き散らしているわけではなく、

ふだんは明るく陽気な母です。

基本的には励ましてくれたし、生活全般、わたしよりもきちんとしています。

主婦としての能力は、わたしよりも断然上。

あと、稼ぐ能力もわたしより上ショック

 

息子からは「なんでママは、いつもいい人なのに、ばあばの悪口だけ言うの?」と真顔で聞かれる。

とすると、わたしの母に対する解釈も歪んでるってことですね。

つまり不幸オーラを撒き散らしている部分ばかり拡大解釈してる。

いいところを見ようとしていない。

お互い様でしょうか。

 

昨日、時間がない中でぐちゃっとアップしてしまったので、書き換えました。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:21 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
結婚に求めたものは自由

昨夜、夫の機嫌が悪くて、あれ、もしかして、私のブログを読んでたりしないよね・・・と

不安になり、今朝、そそくさと書き換えたりしたのですがショック

夫婦関係は、おおむね良好であります。

 

と言いますのも、わたくし、基本的には夫に大変感謝しています。

私みたいな変わり者で強情で家事能力の低い女を、よくぞ妻として置いておいていただいていると

思うのです。

 

まだ新婚の時だったか、二人で食事をしていた時に、なんとなく部屋が暗いことに気づいて、

天井を見上げたら、なんと!! 照明についた4つの電球のうち3つが切れていたんです。

「やだ! 電球が3つも切れてるよ」とびっくりしたら、

夫は、もっとびっくりした顔で

「気づいてなかったの?」って。

 

つまり彼は、一つ目が切れたあたりから気づいていて、私がいつ取り替えるか、いつ取り替えるか、と

待っていた・・・。

「そんなの気づいてたら替えてるよー!」と笑って答えたのですが、

夫はその時「もう何も期待するまい」と心に決め、その場でさっさと電球を取り替え、

以降、つねに私より先に電球が切れたことに気づくから毎回電球を取り替えることに。

最近はLEDで長持ちだから楽になりました・・・。

 

なんかいろいろ悪いな、と思いつつも、私の気づく範囲で気づくことをやるしかなく。

料理は私より上手いし、私が不在だと、いる時よりも部屋が片付いているし、

友人からは大抵「うらやましい」と言われる夫ですが、

しかしながら、その友人たちはネイル代まで旦那さんのお給料から
出ていたりします。

 

私は、結婚以来、夫の年収を知らないし、貯蓄高も知らず、家のローンの残債も知らないし、

生命保険に入って欲しいと言ったこともなく。

なんかどうもあまり私が口出ししてはいけないような雰囲気もあり、

これでやってください、と言われたら素直に従い、足りなければ自分で稼ぐ。

 

そう考えると、やっぱり母の呪縛「金持ち男性と結婚しろ」に反発していたことが大きかったのかも。

というか、条件で決めるような結婚をしたくなかったというのが本当に大きい。

 

もしかして、別の男性と結婚していたら、またきっと全然別の生き方をしていたのだろうとは思いますが、

それは世界中の夫婦が考えること。

夫は、ランナーとしての私をまるで知らないので、

実は結構努力家やねんで、とか、案外苦労したんやで、とか、伝えたい気もするのですが、

それもまあいいかなと。

ちなみに、夫にとっての私は、これまで出会った人間の中で最も屈託のない人、らしい。

 

人生のある時期に、たまたま夫と巡り会い、

こういうパターンの夫婦となった自分の人生に対しては、

全面的にイエス! と思います。

 

ただ、先のことはわからない。

どうなろうといつだってなんだって平気。

そういう意味で、私はいつも自由なのだと思う。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:36 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |