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ライター今泉愛子のブログです
練習しすぎると走れなくなる

大学の後輩から、お花見に誘ってもらって、これ、年末と同じパターンやん、と思いました。

年末は、高校の後輩から忘年会に誘ってもらったんです。

そこから高校時代への振り返りが始まりました。

 

お花見には、残念ながら参加できないのですが、大学時代を振り返りそうになる出来事も起きて、

ここらで大学時代も振り返っておくか、と思いました。

それにしても後輩って本当にありがたいですね(誘ってくれて本当にありがとう!)

 

昨年11月から30年ぶりに走り始めました。

それなりに調子も上がってきて、ええ感じやん、と思って

Garminの腕時計も購入し、ますます練習に熱が入り、、、

そして、体を壊してしまいました。

全然、走れない。

練習しすぎると走れなくなるって、こういう状態です。

 

どこがどう弱いのかはわかりませんが、

私は回復に時間がかかるタイプです。

 

最近走り始めてすぐに気づいたのは、2日続けて走ると調子が悪いということです。

今の私は24時間ではリカバーしないんだなと思いました。

大して走ってません。それでも、24時間では回復しない。

ショボい体やな、と思いますが、速く走る素質はあるわけなので、ショボさは受け入れるしかありません。

 

大学は、よく「どうして学芸大に?」と聞かれますが、

あれこれ理由はありまして、私はそもそもは東京女子体育大学に行きたいなーと思っていました。

久保田真由美さんに憧れていたのです。

女子大にも憧れがありました。

 

だけど、不安もありました。

私は強豪校にいたことがありません。

強い人たちとしのぎを削るような練習はしたことがない。

そんなところでやっていけるのか。

県や全国の選抜合宿ですらしんどいのに、毎日厳しい練習が続いたら耐えれるんだろうか。

そんな不安もかなりありました。

 

前に夏、とかいたのですが、間違っていました。

国体が終わってからです。

先生がいきなり国立大学に行け、と言い出した。

勧められたのは筑波大です。

 

でも「女子は伸びない」「カップルだらけ」

「筑波の3S(Sports,Study,Sex)って知ってるか」なんてことを

誰かから言われて、不安に思い始め、、、

私自身が田舎に行きたくないというのもありました。

読みたい本やレコードがすぐに買えるような暮らしに憧れていたのです。

 

筑波の場合は、研究都市というのにも引っかかりました。

田舎に、そんな人工的な街作ってどうすんねん、と。

 

そんなこんなで、気持ちが乗らない。

それで探し当てたのが学芸大でした。

ここなら、これまでのように一人で練習できる環境かも、と思いました。

高校でももちろん仲間はいたのですが、そんなにしのぎを削るような環境ではなかったので、

わりと自由に走っていました。

学芸大も、私がイメージしたのは、自分で自由に練習できる環境でした。

 

奇跡の合格を果たし、大学で待ち受けていたのは、80人くらい部員のいる大所帯の陸上部でした。

全然、思ってたのと違う、、、中、長ブロックには30人くらいいたと思います。

ほぼ全て男子、と言っても過言ではない。

 

いやいやいや、全然ちゃうやんか。

もっとほのぼのとしたイメージを持ってたんですよね。

部員数が30人くらいののんびり感。

でも、全然のんびりしていませんでした。

 

入学は、大歓迎されました。

いま思うと、本当に大事にされました。

田舎からやってきた、陸上しかやったことのない女の子、というイメージ(というか本当にそう)

だったと思います。

 

私は、中学でも高校でもわりと有名人として生きていたのですが、

大学ではひっそりと暮らせるつもりでいました。

誰も私のことなんって知らない場所に行きたかった。

で、つい最近までそのつもりでいたのですが、

最近、大学の同級生と話をしたら、

「イシハラって、中学の時2’11で走ってたんだから、そりゃ素質あるよ」なんてことを言われて、

ん? と思いました。

フクちゃん、私のこと知ってたの??

 

ついでに同級生のもいちくんにも「入学前から私のこと知ってた?」と聞いたら、

「そりゃ、知ってんだろう」と言われ、え、まじで、と思いました。

そういうつもりはまったくなくて、しかも彼らは誰一人、そういうそぶりは見せませんでした。

 

明南男子に「うわ、全然大したことないやん」と騒がれたのが若干トラウマだったので、

あまりそういう注目のされ方はしていなかったと思っていました。

みんな、黙って付き合ってくれてありがとさんでした。

 

しかしながら、部内ではやはり熱が入るわけです。

私をどう育てるかってことで。

顧問には、有吉正博先生もいらしたのですが、有吉先生は本当に優しくて親切な方で、

でも推しが強いタイプではなく、私のことはブロック長に委ねている状態だったように思います。

 

ブロック長に限らず、先輩方には、もうまじでかわいがってもらいました。

だいたい、下宿に電話を取り付けるからと、先輩が立ち会ってくれるって

(女の子一人の下宿に、男がやってくるのは危ないと)、

それどんだけ過保護やねんって話で、

陸上部の新歓コンパでも、中長の先輩が両隣に座ってくれて、

「うちの石原には、飲ませないでください。俺が代わりに飲むんで」みたいなことをして

守ってもらい、終電の管理も先輩たちがやってくれ、、、

あんなに蝶よ花よとかわいがってもらったのは、本当にいい思い出としか言いようがありません。

 

一人の先輩は、私が「ユーミンの中央フリーウェイって、中央高速のことだったんですか!」と

言っただけで、茨城の実家まで車を取りに行って、ドライブに連れて行ってくれました。

「俺、石原の初めてのドライブの相手ってことだよね?」と言われ、

「はい! お父さん以外では初めてです!」と答えたのですが、それだけで良かったんだろうか。

 

しかしながら、ここまでかわいがってもらうと、

自分の意見を言いづらくなります、、、

練習です。

 

私は当時、人生最高に太っていました。52.5kgくらいあったんです。

デブデブです。コロコロしていました。

だからまずは体重を落とすべきです。

 

ところが、先輩たちはレースに出ろという。

ムリむり無理。

と言いたいんだけど、言えない。

 

種目も私は、やっぱり1500mくらいが妥当だろうと思っていたのですが、

いま、思うと、もっと長い距離で勝負させたい気持ちがあったんじゃないかな、、、

当時、長距離がブームでしたからね。ゆくゆくはマラソン、というのもあったのかも。

 

練習メニューはブロック長が立てるので、私のも考えてくれます。

ちょっとやりたいのとは違うかなーって気もする。

でも言えない。

だいたい毎日、誰かがペースメーカーまでやってくれる。

そういうのも決まっていました。

文句言う立場にない。

 

いや、当時の先輩たちは、「死ぬほど文句言いやがって!」と思っていると思うのですが、

私からすると、かなり我慢した感じ。本気で文句言ったら、あんなもんじゃない。

 

高校時代は、先生に対して怒っていましたから、無視するのなんてへっちゃらでしたが、

大学時代は、そうはいかない。

あそこまで可愛がってもらって、それはない。

 

そういうことで、、、、結局、最終的には体を壊して走れなくなりました。

大学2年の夏かな。

一年近く、、、半年かな、、、休部しましたね。

 

大学の陸上部が悪かったわけでは決してありません。

私が特殊すぎた。

普通それで体を壊すとは思わないでしょう。

大した量の練習でもないのに。

 

続きは明日。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:56 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
失敗だけが人を成長させるわけではない

中学時代のわたしと、高校時代のわたしと、どちらが苦労したか。どちらが努力したか。

中学時代のわたしは、たぶんラッキーガール扱いだったと思います。

確かに素質に恵まれた。

 

だけど、努力というのか、エネルギーの傾け方は半端なかったです。

苦労という意味では、仲間がいなかったです。

かなり孤独でした。

 

ほとんど失敗のない三年間で、

全国大会で転倒したり、ジュニアオリンピックに向かう途中新幹線が遅れてコール漏れ、、、

なんていうハプニングはありましたけど、そんなのは小さい話だと思います。

 

失敗のない、あまりに順調すぎる人生を、人は評価しない。

だけど、そこにもものすごい努力、気力があったのは事実。

そこを知ろうとしない人が多いけれど。

 

高校時代のわたしは、一旦どん底まで落ちて、そこから復活とまではいかずとも

国体にまでは持っていけて、ホッと一息。

それなりの苦労を知り、その上で努力を重ねたという話として語ることは可能です。

 

なんだけど、特にどちらがどうということでもない気がします。

失敗だけが人を成長させるのではなくて、成功だって人を成長させます。

 

だから、高校時代の苦労がわたしを成長させた、というなら、

きっとあんなに挫折せず、そのまま伸びていてもたぶんわたしは成長したと思う。

成長ってそういうこと。

 

だけど、順調にはいかないのが人生だから。

高校一年の頃を思うと、運命が全力でわたしを潰しにきたな、という気すらします。

なすすべもなかった。

それについては、なんの恨みもありません。

そういうのが人生だし、そこでどう立ち向かっていくか、なので。

 

わたしが自分に不満に思うのは、立ち向かい方ですね。

不幸に溺れたという気がする。

もっと涼しい顔をして頑張れればよかったのに。

ちょっとやっぱりセンチメンタルなところがあるのです。

自己憐憫ってやつですかね。

 

苦労している自分に酔ったところもあるんじゃないのかな。

客観的に自分を見れなかった。

 

わたしは、努力や苦労や試練が嫌い。

そんなもん、黙って超えていけよ。

 

もちろん他人は、苦労に共感します。

苦労のない人生なんて、つまらない。

わたしだって、他人の話を聞いていて面白いと感じるのは、

順調にいかなかった部分です。

 

だけどもし、自分の人生を生きるのだとしたら、

苦労の物語に囚われていてはだめ。

 

最近わたし、走り始めました。

五十歳を超えて走り始めて、何ができるんや、という話ではありますが、

走ってると、いろいろ見えてくる。

自分の強さと弱さがよくわかる。

走っていると、課題に集中しろって全身が語りかけてくる感じがありますね。

これ、調子のいい時のわたしの走りです。

誰も邪魔できない。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:43 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
それは試練なのか、失敗なのか。

12月からかなり多忙で、それなのに、競技時代の見直し作業に入り、

なんだかずいぶんと慌ただしい時間を過ごしていました。

仕事に集中しつつ、ブログもせっせせっせと書き綴り、、、

それで気分が晴れたのか、というと、そこは微妙なところで、

高校時代の無念さは、どうしたって消えません。

それはそういうものだと思います。

 

過去のつらい経験を、今につなげる考え方もありますが、

私は、あまり好きではありません。

過去があるから今がある、のは当然ですけど、そこに意味なんてないです。

今は今。

それだけ。

 

あまり過去に意味をもたせたくない。

それってただのセンチメンタルやん。

 

先日、ある会社社長が書いた本を読んでいたら、

「自分の人生には失敗はない。あるのは試練だけ」とあって、

なるほどな、と思いつつも、私は失敗という概念が嫌いではないなと思いました。

「あれは失敗だ」と烙印を押して問題点をあぶり出すのが好きです。

ギリギリまで自分を責めるのが好き。

おまえはマゾか。

 

失敗でも試練でもどっちでもいいといえばいい。

試練と考えた方が前向きなのはわかる。

次につなげようという意欲があります。

 

たぶん現時点のことなら「試練」でいいのだと思います。

社長が言っているのは、それ。

今、イヤなこと、つらいことが起きていれば、試練。

 

なんだけど、1年以上前のことを振り返るならば、失敗。

古いことを振り返って試練だった、なんて考えるのは、ちょっと甘すぎ。

 

何かうまくいかないことがあって、それが人を成長させるってことは

あるかもしれませんが、

全てうまくいっていて、それで成長していく人だっていますから。

失敗によって、自分が成長していく、なんて思っていたら、
失敗だらけの人生を選んでしまいませんかね。
成長に、失敗は必要不可欠なものではありません。

 

私は、人って変わらないと思います。

永遠に成長しない。

過去とも未来とも関係なく、今と向き合える強ささえあれば、なんとか生きていける。

てか、それがすべて。

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:04 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
続・後輩たちとの一夜 寄り添ってもらえるありがたさ

高校の後輩から言われたのが、

「先生とうまくいってるんやと思ってました」ってことです。

「だって、学芸大選んだ時点でそうでしょ」

「卒業してからもしょっちゅう来てはったやないですか」

というのは、私と一番近かった長距離のまさし君の発言。

 

そうなんよ。

練習日誌を見ても、どこにも不満なんて書いていません。

ずっと「ついていこう」的なことばかり。

せっせせっせと書き続けています。

 

おかしいな、と思うことがあってもとにかく全力で疑問を打ち消していました。

だから、つらかったんだと思う。

 

十分、目をかけてもらったと思います。

でも私の愛して欲しい愛しかたではなかった。

私は、競技オンリーでやりたかったのです。

 

先生の名誉とか、学校の名誉とか、そういうことのために

自分が使われることに疲れた。

ただそれも、有名選手なら普通にある話で、

そういうことに傷つくのは、私の弱さ、というか純粋さかな。

 

競技の不振は、私の責任。

それはそう。

女子選手特有の難しさもあったろうし、やせようともしてなかったし。

 

大学に進学してからも高校に顔を出していたのは、

きっと先生に、私のこと心配していて欲しかったんでしょう。

大事な教え子でいたかった。

アホやなあ。

 

高校時代を封印したのは、先生のせいではありません。

競技です。

きちんと走りきれなかったことに対する後悔というか、悲しみというか。

自分の置かれた状況を、うまく回せなかった自分に対する怒りというか。

 

でも先生に対する不満は、マグマのように溜まっており、

だまって話に耳を傾けてくれる後輩たちの存在が何よりありがたかったです。

「それ、清水もやられてましたよ」

せやな。そうやったやろな。

 

基本そんな不満を表明しても、

ほとんどの人は、誰にだってあること、と流します。

「それをいうなら俺だって大変だった」

「キミだけがつらい想いをしたのではない」とふつうは思うだろうし、

「だけど、他のやり方があったんじゃないの?」とか、

「今さらなに言ってんの?」とか、

「でも、それはあなたの感じたことであって、真実は違うでしょ」とか、

全てごもっともなのだけど、

わたしは、彼らがしんみりと寄り添ってくれたことが、何より幸せだった。

 

今さら言っても仕方がないことだって、わたし自身が一番よくわかってます。

それでもいったん封印を解くと、泣きたくなるような気持ちが押されられなくて、

でももうええ加減、区切りをつけるべきだろうよ、ということでもあり。

 

わたし自身は、これまでの人生を振り返って、

こういう形で、人を頼ったことがありませんでした。

たいていのことは自分ひとりで解決してきた。

でももうどうしたって、つらくなってしまい、力を借りることに。

SOSって発信してもいいのね。

受け止めてもらえることの心地よさを、生まれて初めて知りました。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:21 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
後輩たちとの一夜

少し前に、高校の後輩たちと飲みに行きました。

ここ10年間で一番いい夜だったと思うくらいに楽しい一夜で、

なんだろう、なんか泣ける。

 

昨年末に、彼らの忘年会に呼んでもらったのだけど、

それは私にとって卒業以来初めて、高校時代の仲間と会った時間でした。

30年以上まったく「高校時代」と接触していなかった。

とにかく、何も思い出したくなかったのです。

 

忘年会もバカ話で過ぎていきました。

わたしは高校時代の記憶を消していたこともあって、

覚えていないことだらけ。

というよりも、彼らのことすら怪しい。

というか、高校時代、話したことあったっけ?

まさしくん以外はほとんどなかったんちゃう?

 

自分の記憶の中で、高校時代は

毎日暗い顔をしてグランドをただ黙々と走っているイメージ。

あまり人と接触してなかった感じ。

 

終わってLINEに、お礼メールを入れた際、

なんとはなしに、先生と合わなくてつらかった、と入れたのが、

たぶんわたしの生涯で初めての先生への公式悪口。

 

後輩たちはみんなサクッと「そりゃそうでしょう」「合う人いません」「僕もそうですよ」

なんて、深刻に受け止めるでも流すでもなく反応してくれて、

そしたら、もう止まらなくなってしまったわけです。

ブログで延々書き続けてしまった・・・。

 

でもそれがもうつらいのなんの。

なんでかな? ってことだらけ。

わたしはただ速く走りたかっただけなのに。

そんなシンプルなことがなぜあんなに難しかったのか。

 

基本、わたしは頭が良くないと思う。

複雑なことが処理できない。

シンプルなことに特化すれば強いんだけど、

課題をあれこれ提示されるとよくわからなくなる。

勉強がちょこっとできるのは、課題がはっきりしているから。

問題を解くのは、そこそこできる。

 

だけど走りながら、先生の機嫌もとって、対外的には、先生の体面も守って、

となると、途端に混乱する。走ることだけに集中させてほしい。

 

という方向ではなくて。

いい一夜だったという話。

 

基本はバカ話なのです。

どこそこの誰がかわいかったとか、

どこそこの誰のおっぱいが大きかったかとか、

どこそこの女の子からお弁当を作ってもらったとか、

まあ他愛もない話だけど、

なんというか、わたしからしたらカルチャーショック。

競技場って、そんなに楽しい場所だったの??

 

土日に試合があるとき、土曜日に他校の女の子から、

「明日お弁当を作ってきていいですか?」と聞かれて、

日曜日に作ってきてもらう、とか一体それなんなん?くらいの衝撃度。

そういう文化があったの?

手紙をもらったりとか、差し入れをもらったりとか、そんなことがあるわけ?

 

わたしはただひたすら体力を温存したかったので、

まず自分のテントから出ない。一切でない。

自分の試合しか頭にないし、それ以外で一切のエネルギーを使いたくないから、

試合以外で動くのは、トイレに行く時くらい。

人のレースも見たことがなかったから、

誰それがかわいいとか、かっこいいとかまるで知らない。

フィールドの選手なんて、一人も知らないし、

同級生も、あんまり知らない。

競技場では、人と目を合わさなかったのではなかろうか。

 

武庫川のテントがどこで、夙川のテントがどこ、なんて、そんなんなんで知ってるんよ。

しかも明石だとここで、王子だとあそこ、くらいに覚えてるんやもん、そらびっくりやろ。

 

そういうカルチャーショックを受けつつ、

たまにポツリとわたしが、先生への不満を口にする。

わたしの口ぶりは、必要以上に深刻で、

ギリギリ泣くのをこらえてるくらいな。

 

「でもな、なんであんな毎日毎日、先生に感謝しながらプロテイン飲まなあかんのよ。

そんなんやったら自分で買うわ。

せっかくただで飲ましたってるのに、いっこもようならんなって

そんなイヤミ、言う必要ある?

そもそもタダでもらえるんかって、私が中学チャンピオンやからちゃう?

なんでそんなイヤミ言われてまで感謝せなあかんの?」

 

聞く人からするとうんざりするようなわたしの愚痴。

「まあでも、それで僕らも一緒にタダで飲ませてもろたし」とニッコリするまさし君。

あ、そうなん? そういうこと?

 

試合前に明石まつりに行くとか、まったくなんの葛藤もなくやる彰くん。

そんなもんなん? ええのそれ?

 

中学1年の6月には、テレビと漫画を一切やめて、

中学1年の県の冬合宿で、食べ物の好き嫌いをなくすことを決意し、

競技にプラスになることは、すべてやるとばかりに

まっしぐらだったわたしの競技人生は、ちょっと深刻すぎるのね。

 

でもええやないですか。先輩、いろいろ有名な人と知り合いで。

のほほんと褒めてくれる宮脇くん。

確かに、今もいろんな人と知り合えるのは過去の遺産のおかげ。

 

恋愛話、おっぱい話で盛り上がると、ちらっと松村くんを見て、

(男の良心みたいな人も何人かに一人くらいはいるし)と安心したりとか。

 

一次会が終わって、でもなんとなく別れ難く二次会に突入。

みんな翌日も朝早いと言っていたのに、ほんまにありがとう。

 

そんなほっこりした会でも、

翌日ランの約束があったため、後半は食べ物を一切口にしなかった、

やっぱりストイックなわたし、、、

そこは変わらないのだけども、それでもめっちゃ気がラクになりました。

 

彼らも当然、つらいこと理不尽なことを経験している。

だけど、あっけらかんと笑って、飲んで、ネタにして。

そういうことなんやな、と思った。

封印する必要なんてないし、反省し続けなくていい。

 

でもやっぱり思うねん。

もう一回くらい日本一になりたかった。

 

オチは変わらんけど、

気持ちはかなりラクになりました。

ありがとう。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 03:38 | ランナー時代 | comments(2) | trackbacks(0) |
アドレス帳の思い出
昭和歌謡のようなタイトルです。

引き出しから、古いアドレス帳が出てきました。

わたしはわりとなんでもぽいぽい捨てるので珍しいです。

ピーターラビットの名刺サイズのアドレス帳で、

めくると、懐かしい名前が続々と。

 

高校から大学に進学するあたりで作ったものと思われます。

競技関係者も続々と名前があって、このころはもっぱら文通でしたよね、と思いました。

 

強化合宿などに参加するとたいがい最終日頃には互いに住所を交換するようになります。

中学時代ですが、短距離だと一つ上の吉田伸二さん、井出登さんとご一緒して、

確か、井出さんには住所を書いてもらった。

一度くらいは手紙を出したんだけど、一往復で終わった、、、さすがに何を書いていいかがわからなかった。

その合宿では、成田高校の勝見雅宏さんがめっちゃイケメンで、

中学生ながらも「ぽっ」として住所を書いてもらったりとか(しかし手紙を出すには至らず)。

案外やるなあ、わたし。

 

高畑いずみちゃんや城島直美ちゃんの住所もあって、

お二人とはいつどこでご一緒したかがわからない。

 

星野くん、牧野くんはご一緒した記憶はある。

たしか中学生だけの合宿で、中長は三人しかいなかった。

どうやって練習すんねん、と思った。

筑波大の堀さん、神林さんも懐かしい。

 

橋本くんのくろがね寮の住所もあったよ、とご本人に言ったら引かれたー。

なんで知ってたんだろ。

日体大、日大の合宿所の住所もあり、まあそれはわかるとして、

順大がわからない。誰だっけ、、、

東女体大は、つぐみちゃん。

たしか吉祥寺で一度ご飯を食べました。

 

不思議なのは、乗松くん、三島くん、鹿嶽くん、、、なにゆえ二つ下の三人の名が?

まさか合宿の時にわたしが聞いたの?・・・ちょっと恥ずかしいんですが。

あと椋本くんもあった、、、いつどこで知り合ったんだろう。

 

あと、当時はファンレター的なものもたまに届いて、そちらもせっせと返事を書いていました。

そういう手紙をくれるのはたいてい、競技的には有名でない人。

競技場で会ったことがないのに、なぜか文通は続くという、、、要は筆まめかどうかですね。

 

お一人は、北海道大学に進学されて、わたしも大学に入ってから北海道で試合があって、

たしかその時初めてお会いして、北大キャンパスを案内してもらったりとか。

でも、それっきりになってしまいました。

お元気だろうか。

 

高校の陸上部同級生男子の名前もあって、彼はそうか、東京で新聞奨学生だったのか、と。

そんなに器用な人じゃなかったし、苦労しただろうなあと今さらながら思ったりもして。

一度くらいは呼び出して、話でもすればよかった。

 

このアドレス帳を絶対とっておこうというほどセンチメンタルではないのだけれど、

眺めているとなんとなく楽しい時間が過ごせたりとか。

ほんの数分の話だけど、そういう一人の時間がわりと好き。

 

だけど、この頃のマメさはなんなんだろう。

今はもう住所録なんて、PCがあっても作れません・・・。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:57 | - | comments(2) | trackbacks(0) |