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ライター今泉愛子のブログです
高校時代を卒業する

そろそろ高校時代を卒業しようと思います。

年末から、じつにグダグダと書き続けました。

封印していた高校時代、

蓋を開けたらとんでもないことになりましたショック

 

だけど、もういいかな。

わたしは、納得したかったんだと思います。

自分の不甲斐ない競技人生を「こういうことだったんだ」と総括したかった。

 

私自身の走力、性格、体力、精神力、

さらに環境、運、縁。

人生には、良いことも悪いこともこんがらがってる。

そこでどう生きるか。

 

理想を語ることは簡単だけど、そんなの意味がない。

思い通りにならないのが人生。

 

だけどわたしの「失敗パターン」は何となくわかりました。

 

わたしのいいところは、素直で無邪気なところ。

走っていると、この前、道子さんにも指摘してもらいましたが、

リミッターを外せる。

それは、わたしの素直で無邪気なところから来ていると思います。

 

それを発揮するためには、体調管理が重要です。

心の管理も必要かな。

 

高校時代、大学時代は、それができませんでした。

体調もそうですし、メンタルもやられてしまった。

だから、別人のように走れなくなった。

 

もうちょっと心が強ければよかったと思います。

わたしは、わたしの素直さを全力で守らなくてはならなかったのですが、

他人を気にしすぎたかな。

 

というと、嘘やろ、あいちゃん、いつもめっちゃマイペースやったで、と言われそうですが、

もっと変人になりきらなければダメだったと思います。

 

だけど、もうこれで終わりにしよう。

 

これからも競技仲間とは会いたいです。

会って語り合いたいし、いろんな人たちの競技観に触れたい。

それはとても楽しいこと。

 

競技観戦もするし、自分も走る。

だけど、わたし自身の振り返りはもういいから。

 

振り返るな、前を向け。

そういうこと。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:45 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
仲間との再会

わが家に、懐かしいランナー仲間たちが集合しました。

左から、横須賀久乃ちゃん(水戸三高→S&B食品)、わたし、

織田道子さん(磐田北高校)、橋本泰子ちゃん(水戸三高→S&B食品)。

 

わたし以外の3人は日本選手権覇者です。わたしは日本選手権は3位かな。

 

道子さんとは、12月に再会し、5時間くらいぶっ続けでおしゃべりして、

その後も少しずつやり取りをしていました。

泰子ちゃんとは、それよりも少し前にランチをして、以降少しずつやり取りをしていました。

久乃ちゃんとは、何十年ぶりかの再会です。

 

現役時代、特に親しくしていたわけではない(というか話す時間がなかった)のに、

共通言語を持つ仲間というのは、すぐに話が盛り上がります。

 

それぞれに葛藤があります。

わたしの場合は、昨年末から延々とここで書き続けています。

 

でもこうして人と会って、生の言葉を交わすと、また違った気分になりますね。

軽くなる。

 

基本スポーツマンは、潔さが身上で、あまり恨みつらみを語りません。

わたしもそうです(ここで書いてますが!)。

そして、精神構造上、全てを自分で背負おうとしてしまいます。

いけないのは、自分だ。

 

恨みたいような事柄もあるのだけど、恨み認定がうまくできない。

わたしは、かなりそういうところがあって、

恨み認定してしまうと、それはそれで別の方向でメンタルが崩れます。

 

だけど話をしていると、

なんとなく感覚として「あれは仕方なかったよね」みたいな気分になれます。

 

女子選手は、やはり指導者との関係が大きいです。

選手に対して、子供のようにスネたり、甘えてきたりする指導者もいます。

きっと未熟なの。人間として。

「俺の愛を受け取ってくれ!」と全力投球で、

だけどそのわりには自分勝手なところもあって、それはもう普通の恋愛と変わりません。

違うのは「NO」と言えないこと。

彼氏になら「なに言ってんの?」と言えても、先生には言えない。

日本のスポーツ界には、指導者に疑問をもつことはタブーだという風潮があります。

 

「わたしのことを思ってそうしているんだ」と全力で思い込み、

「感謝しなくちゃ」と自分を追い込む。

どんどんおかしくなる。

なんてパターンも、女子選手には、結構あるかもしれません。

 

全ての指導者ではないですし、

男子選手には、そういう一面を見せないと思います。

 

このテーマに関しては、道子さんは聞き役。

「わかるよ」「自分は悪くないんだよ」と全面的に受け入れてくれました。

 

それぞれ引退後、自分をどう取り戻していったか。

競技とどう距離を置くか。

多少は人格を変えないと、一般社会に溶け込めません。

 

わたしは全封印したので、意外とスムーズでした。

神戸でOLになって、全く新しい自分としてスタート。

料理教室に通ったり、職場の人たちとテニスをしたり、スキーに行ったり。

バブル時代だったし、楽しかったです。

競技生活の長かった二人は、引きずった部分もあったのでは、と思います。

 

過去に戻れるとしたら、いつに戻るか。

道子さんが投げかけた質問に、それぞれが答えたのですが、4人4様で面白かった。

わたしは「高校一年の初め」

それ以外はあり得ません。

 

帰り際は、みんなスッキリした顔で帰ってゆきました。

こうして再会できることの幸せをしみじみ感じます。

また集まろう!

 

大國美喜子ちゃんとは、先日お会いしました。

中村朋恵ちゃん、小島和恵ちゃん、鈴木久美ちゃん、見たら連絡くださいねー。

わたしのメールアドレスは、このサイトのプロフィール欄にあります。
Facebookもやってます。
お待ちしています。
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:25 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
一番欲しいもの

人は一番欲しいものを取りにいかないのだなあと思うことがあります。

 

例えば、弁護士を目指しているとします。

今年の司法試験で合格することが一番の目標なのに、

試験前に弱気になってくる。

 

すると、合格は来年でもいいかな、と思い始める。

今年、無理して狙わなくてもいい。

自分は基礎知識でこぼしている部分があるから、

今から再度、基礎固めをして、来年を目指そう、

みたいなことを考えてしまう。

 

その戦略が合理的な場合もあります。

自分の欠けた部分を総合的に判断している。

 

だけど自分の弱気に負けてしまっていることも多い。

自分の弱気を正当化して、来年でいいかな、と

目標を切り替えてしまう。

 

最後まで本気で勝負することが怖い。

落ちてがっかりしたくない。

 

恋愛、、、というか結婚ですかね、あれこれ戦略を練る人もいます。

男女問わず、なのでしょうか?

 

本当に欲しいのは、美人でセクシーなAちゃんだけど、

結婚と考えると、そこそこ可愛くて、家事が得意そうなBちゃんの方がいいかな、

みたいな。

 

私は、そういう計算が苦手で、

というのが、わりとまじめなので、そういう計算をし始めたら、

ものすごく正確にやりたくなります。

でも無理。

 

Bちゃんが家事が得意かどうかなんて、結婚してみないとわかりません

(得意そうに装っているだけの場合も多い)。

不確定要素が多すぎます。

 

一番欲しいものではなく、二番目、三番目で我慢しようと思う時って

計算がつきもの。

それは、いわゆる妥協ってやつです。

 

再度、基礎固めをして来年を目指そう、というやり方が

本当に合理的だとは思えない。

来年は来年で不確定要素がいっぱいあります。

それなら「今」がんばった方がいい。

 

試験の例でいうと、今年合格するかどうかはわからなかったとしても

「今」に集中して全力を出しきることで確実にステージが上がる。

 

それは基礎固めより大事なこと。

というのは「自分は基礎固めができてないからダメだ」

という認識自体が間違っていることも多いのです。

 

基礎固めができていないからダメなのではなく、

基礎固めができていないと「思っている」からダメ。

っていう。

 

この弱気の虫というのでしょうか、それは誰もがもっているもので、

要は、それに食いつぶされないかどうかです。

弱気に負けてはいけません。

 

なんてことを、書いていると、それはあなただから、とよく言われます。

 

最近は「弱気になってもいいんだよ」「弱気になって当然だよ」

と言わなくてはならない風潮なのです。

「弱気になってしまいそうな時どうするか」

「弱気に負けてしまった自分をどう許すか」

みたいな記事の方がきっと喜ばれる。

 

確かにね、、、

でも、一番を取りにいく人生って楽しい。

それは別に「一番」じゃないの。

一番だと思うのがいけません。

 

欲しいものがあるか、ないか。

合格したいかどうか。

Aちゃんが好きかどうか。

 

そこだけで判断すればいいのに、

いや待てよ、もしかしたらBちゃんくらいで手を打つのが妥当なんじゃないか、

と思うのがいけない。

Aちゃんが好きなら好きでええやないですか。

当たって砕けてから、次を考えればいい。

合格したいならいま狙え。

 

そういう感情のストレートさを支えるために、

最近、瞑想だとかマインドフルネスだとかが流行っているような気がする。

 

欲しいものはなんですか。

一番欲しいものはなんですか。

そこにたどり着くことが、現代人にとっては一番難しい。

諦めず、自分に問い続けるしかないですね。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:05 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
仕事相手、全員のことが好き

ここ数年「もっと稼ぎたい」と言い続けているのですが、成果は今ひとつしょんぼり

どうしたものかな、、、と考えておりました。

 

もうちょっとアグレッシブになった方がいいのかしら、なんてことを思ったりするものの、

やっぱり元がそうアグレッシブではない。無理。

ノリが悪いんです。

真面目な仕事人、的な感じ?

 

いま出版不況と言われていますから、仕事先を少し広げる、

儲かっている業界に潜り込むことも必要なのかな、、、と思ったりもするわけです。

されど、大げさなアクションで場を盛り上げたりとかは、全くできないし、

相手をヨイショしていい気分にさせたりもできない。

そういう、お金の匂いのプンプンするような現場が苦手なんです。

ってことは、稼げないのかな、、、やっぱり。

なんてことをつらつらと考えていました。

 

フリーランスとしてもう20年近くライターをやっていて、

振り返れば、いろいろありました。

私は、ちょっと尽くしすぎるところもあって、

書く以外の雑用をいろいろ言い渡されたりもします。

どう考えても低く見られているな、、、と思うこともあった。

 

仕事の不平不満を愚痴ることも多かった。

理不尽な扱いに泣きたくなったり、

なかなか思う通りにいかないことも。

正直、裏切られたように感じることもありました。

 

でも最近、仕事の愚痴はほとんどありません。

どうやったら相手に自己を主張できるのかと、考えた日もあったんだけど、

最近は一方的に押し切られることはなくなった。

 

そして今、私は仕事をしている相手のこと全員が好きだな、と思って。

そういう状況に20年かけてもってきた。

いつも仕事相手に喜んでもらうために全力を尽くしてる。

意地を張ったり、駆け引きしたりすることは一切ない。

出し惜しみもしないし、値踏みもしない。

無我夢中。

一生懸命。

それって「好き」と思える人だけと仕事ができるようになったからできること。

 

先日、あるレストランで食事会を開催したのですが、

集まってくれた人たちが、見事に自分と同じようなのんびりした人たちでした。

その時ふと、私はそういう人たちと楽しくやっていれば、

仕事は続いていくかな、と思った。

 

今はこれでいいし、未来は今の延長線上にしかないし。

続けながら考えて、考えながら続けて、

少しずつ変化して、気がついたら、目に入る光景が違ってた。

そんな感じの未来。

大ブレークはないだろうけど、それでいい。

 

でもひとつ決めた。

「稼ぎたい」って口に出すのやめる。

「稼ぎたい」って「稼げてません」と同義語。

そんなこと、わざわざ宣言する必要はない。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:57 | 仕事 | comments(0) | trackbacks(0) |
日和ることをおぼえた大学時代

続きは明日、と言いつつずいぶんと時間が経ってしまいました。

 

大学時代、からだを壊した話を書こうとしていますが、

これらは今だからわかることです。

そもそも激しいトレーニングが積めるタイプではなかった、と

はっきりわかったのは、最近です。

 

前の記事にも書いた通り、昨年11月から走り始めて、再開したばかりなのに、

そこそこ走れるようにもなって、やっぱ私って走るの速いんだな!とウキウキしていたら、

突然、がっくり調子を落としました。

走りすぎたのもありますし、過食もあると思います。

会食が続いたこと、個人的ブームとしてお好み焼きを作りすぎたことショック

内臓に疲労が溜まっている。

 

すると、走り始めて早々の頃よりも走れなくなりました。

身体もまったく反応しません。

同じ人物だとは思えないくらいです。

一体、これは何?と思いました。
内臓が弱いんです。
消化力が弱い、デトックス力が弱い。
走ることが負担になる。

 

私は、タイムトライアルなどでいい記録が出せた試しがありません。

練習でもあまり走れない。

高校時代の練習日誌を見ていたら、

一つ上のA先輩、一つ下の後輩Yちゃんによく練習で引っ張ってもらってるんです。

自己タイムでいうと、私が引っ張ってもらうってどうなのか、と思うのですけど、

練習をガツガツやるタイプではなかったんですね。

怠けているわけではないのに。

 

織田さんや瀬渡さんから当時の練習量を聞くと、雲泥の差です。

瀬渡さんは、先日お会いした時に、高一から高二になるときの冬は、敏子先輩と共に日本一練習したと思う、

とおっしゃっていました。

私なんて、、、もうね。

学校でやる最高の練習は、300mのインターバル10本だったと思います。

(武庫川に進学していたら、死んでたと思う、、、)

 

そしたらなぜ走れるかと言いますと、素質がたぶんある。

それと、集中力です。これが半端ない。

能力を出し切れる。

ある意味、過集中ではないかと思います。

 

だからレースが終わったらもう何もできません。

口をきくのもいや。へとへと。

 

だからコンディショニングが全てです。

体への負担を極力減らして(つまり疲れていない状態にして)、

自分をいかに集中できる状態に持っていくか。

 

練習なんてどうでもいいわけではありませんが、

量をこなすことには、ほとんど意味がない。

 

そのあたりの自分の特性を、現役時代、よくわかっていませんでした。

ただし、高校時代で言えば、国体、大学時代で言えば、大学三年の都道府県対抗駅伝あたりは、

コンディショニングがそこそこ上手くいきました。

自分の体とよく対話できていたのだと思います。

疲れを溜めないよう、細心の注意を払っていた。

 

大学時代につらかったのは、周りがみんないい人。本当にいい人だらけ。

そこに、練習信奉というのがありました。

真面目なスポーツマンほどそうだと思うのですが、

「練習は善」なのです。

 

当時、瀬古さんが黙々とトレーニングを積む姿がよく陸マガなどに出ていましたが、

あのイメージ。

増田さんも、あるいは宗兄弟も、とにかく一流ランナーは、真面目で練習熱心ということに

なっていました。特に長距離は。

練習というのが一種の宗教のようになる。

 

大学時代、先輩から言われて衝撃だったのが、「練習しないで勝っても意味がない」でした。

今の私ならば、笑って聞き流せますが、当時はそれを聞き流せませんでした。

 

練習しない私はダメなのか。練習できない私が勝ってはいけないのか。

そんなことを真面目に考えて、で、そういうことを考え出すとハマるのが私です。

延々と考えているうちに、身体がついてこなくなりました。

 

それ以外にも、あれこれありました。

当時を知るみなさまには、「いやいやいや」って言われてしまうかも。

恋愛面でもちょっと不器用なことをしたかもしれません。

なのだけど、私にとっての優先順位は、やっぱり陸上だったと思います。

いかに走るか。

 

当時の練習日誌を見ていて思ったのは、何を今さらですが、

ペースメーカー(というかトレーニングパートナー)に杉本くんを指名して、

自分で練習メニューを考えて走れば、きっとやれただろうな、、、なんて。

杉本というのが私の同級生男子で(浪人生なので生まれは一つ上)、

彼は走りが素晴らしかったのですが、もう競技をやる気はないと言っていて、

ちょっと片手間な感じで走っていました。

 

当時よく一緒に走りましたが、彼と走ると、めちゃくちゃよく走れました。

呼吸のリズム、走るリズムがすごくいいのです。軽い。なめらか。しなやか。

だから、私もものすごく気持ちよく走れる。

あの気持ちよさは、快感でした。
もったいないことをしたな、、、なんて相手の意向を無視して図々しいですが思ったりして。

そういうことにも気づけなかった。

あらゆることに鈍感でした。

 

でもまあ、ざっくり言えば、そんな風にうまくいかないのが人生です。

近すぎて見えないことがたくさんある。

それは私に限らず、ランナーに限らず、

ありとあらゆる人生について言えることですね。

 

大学時代については、泣きたくなるような悔しさはありません。

私のいいところは目標に執着するところなのに、

あの頃は、それを見失っていました。

ちょっとお人好しな感じで振る舞いました

(なんども書きますが、みんなはそう思ってないと思います)。

自分の持っているものに対する自信も失っていたのだと思いますし、

謙虚っぽくしていたかったというのもある。

人間的に、ちょっと丸かった。

やっぱり女子としてとても大事にしてもらったので、

あまり勝負師的なところを出したくなかったのかもしれません。

お年頃だったしね、、、

 

最近、気づいたことに、私は、普段さほど傲慢なタイプではないと思うのですが、

走ることに関してだけは、めちゃくちゃ傲慢です。

高校時代でいうと、サッカー部がボールをトラックに出しただけで、

「私が走っているのに、邪魔するな!!」と、もう怒り狂いそうになるくらい

激しい感情が込み上げますし、

中学時代でいうと、瀬渡さんとのレースにおいてはそうだったと思います。

一個上の先輩なのに、自分より前を走ることが許せないくらいの激しい感情が湧いてくる。

 

大学時代は、そういう激しさを全く発揮しませんでした。

でも、そういう自分のことも、大学時代に関しては許せます。

仕方がなかったなと。

というのは、全部自分で悩みながらやったことなのです。

悩みすぎたとも思います。

自分の「素質」というものにもっと自信を持てばよかったのに、

周囲に対して「申し訳ない」と思ってしまった。

練習しなくても走れるのに、練習するふりをしないと申し訳が立たないと思っていた。

ちょっと弱かったです。

 

高校時代の自分を許せないのは、自分を殺していたから。

自分を明け渡して、先生の指示に従おうとしていた。

自分で考えることを放棄していた。

私の素直さが悪い方に出てしまった。

体調の悪さも、誰かに救ってもらおうとしていました。

何を頼ればいいんだろう、と、常にそんなふうに考えていた気がします。

高校2年の半ばあたりから少しずつ自分らしさを取り戻せたけど、時すでに遅しだった。

 

私は、オリンピックは無理だったのはよくわかりますし、

実業団に行って走るタイプでもなかったと思う。

実力的に、才能的に、運的に、限界はよくわかっています。

トップアスリートの中では凡人。

でも、あと一回くらいは、日本一になってもよかったと思う。

それくらいは、できたんじゃないかって。

 

そんな話を延々と書き続けられる自分の執念深さにうんざりします。

だけど私は、欲しいものを本気で取りに行くのが人生だと思う。

 

大半の人は、欲しいものすらわからない。

私も高校、大学では自分が何を欲しがっているかがわかっていませんでした。

適当に日和った人生。

 

今だって相当、日和ってます。

勝負するのが怖い。

勝つ見込みなんてない。負けるに決まってる。

努力したくない。しんどいことはいや。

現実を直視したくない。

うまく行ってないことに気づきたくない。

本当のことを知りたくない。

不満を適当にあしらって、視界を適当にさえぎって、そこそこの幸せを目指す。

てか、それはすでにずっと達成してる。

 

時々そんなんでええんかいなって思う。

もっと本気出して勝負しろよって思う。

そこそこの幸せをゆるゆると得ることより、

ギリギリの勝負に挑み続けろよ、と。

たとえ不幸になっても。

そういう意味では、大学時代に日和ったまま今まで来てるんだと思います。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:21 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |