続きは明日、と言いつつずいぶんと時間が経ってしまいました。
大学時代、からだを壊した話を書こうとしていますが、
これらは今だからわかることです。
そもそも激しいトレーニングが積めるタイプではなかった、と
はっきりわかったのは、最近です。
前の記事にも書いた通り、昨年11月から走り始めて、再開したばかりなのに、
そこそこ走れるようにもなって、やっぱ私って走るの速いんだな!とウキウキしていたら、
突然、がっくり調子を落としました。
走りすぎたのもありますし、過食もあると思います。
会食が続いたこと、個人的ブームとしてお好み焼きを作りすぎたこと
内臓に疲労が溜まっている。
すると、走り始めて早々の頃よりも走れなくなりました。
身体もまったく反応しません。
同じ人物だとは思えないくらいです。
一体、これは何?と思いました。
内臓が弱いんです。
消化力が弱い、デトックス力が弱い。
走ることが負担になる。
私は、タイムトライアルなどでいい記録が出せた試しがありません。
練習でもあまり走れない。
高校時代の練習日誌を見ていたら、
一つ上のA先輩、一つ下の後輩Yちゃんによく練習で引っ張ってもらってるんです。
自己タイムでいうと、私が引っ張ってもらうってどうなのか、と思うのですけど、
練習をガツガツやるタイプではなかったんですね。
怠けているわけではないのに。
織田さんや瀬渡さんから当時の練習量を聞くと、雲泥の差です。
瀬渡さんは、先日お会いした時に、高一から高二になるときの冬は、敏子先輩と共に日本一練習したと思う、
とおっしゃっていました。
私なんて、、、もうね。
学校でやる最高の練習は、300mのインターバル10本だったと思います。
(武庫川に進学していたら、死んでたと思う、、、)
そしたらなぜ走れるかと言いますと、素質がたぶんある。
それと、集中力です。これが半端ない。
能力を出し切れる。
ある意味、過集中ではないかと思います。
だからレースが終わったらもう何もできません。
口をきくのもいや。へとへと。
だからコンディショニングが全てです。
体への負担を極力減らして(つまり疲れていない状態にして)、
自分をいかに集中できる状態に持っていくか。
練習なんてどうでもいいわけではありませんが、
量をこなすことには、ほとんど意味がない。
そのあたりの自分の特性を、現役時代、よくわかっていませんでした。
ただし、高校時代で言えば、国体、大学時代で言えば、大学三年の都道府県対抗駅伝あたりは、
コンディショニングがそこそこ上手くいきました。
自分の体とよく対話できていたのだと思います。
疲れを溜めないよう、細心の注意を払っていた。
大学時代につらかったのは、周りがみんないい人。本当にいい人だらけ。
そこに、練習信奉というのがありました。
真面目なスポーツマンほどそうだと思うのですが、
「練習は善」なのです。
当時、瀬古さんが黙々とトレーニングを積む姿がよく陸マガなどに出ていましたが、
あのイメージ。
増田さんも、あるいは宗兄弟も、とにかく一流ランナーは、真面目で練習熱心ということに
なっていました。特に長距離は。
練習というのが一種の宗教のようになる。
大学時代、先輩から言われて衝撃だったのが、「練習しないで勝っても意味がない」でした。
今の私ならば、笑って聞き流せますが、当時はそれを聞き流せませんでした。
練習しない私はダメなのか。練習できない私が勝ってはいけないのか。
そんなことを真面目に考えて、で、そういうことを考え出すとハマるのが私です。
延々と考えているうちに、身体がついてこなくなりました。
それ以外にも、あれこれありました。
当時を知るみなさまには、「いやいやいや」って言われてしまうかも。
恋愛面でもちょっと不器用なことをしたかもしれません。
なのだけど、私にとっての優先順位は、やっぱり陸上だったと思います。
いかに走るか。
当時の練習日誌を見ていて思ったのは、何を今さらですが、
ペースメーカー(というかトレーニングパートナー)に杉本くんを指名して、
自分で練習メニューを考えて走れば、きっとやれただろうな、、、なんて。
杉本というのが私の同級生男子で(浪人生なので生まれは一つ上)、
彼は走りが素晴らしかったのですが、もう競技をやる気はないと言っていて、
ちょっと片手間な感じで走っていました。
当時よく一緒に走りましたが、彼と走ると、めちゃくちゃよく走れました。
呼吸のリズム、走るリズムがすごくいいのです。軽い。なめらか。しなやか。
だから、私もものすごく気持ちよく走れる。
あの気持ちよさは、快感でした。
もったいないことをしたな、、、なんて相手の意向を無視して図々しいですが思ったりして。
そういうことにも気づけなかった。
あらゆることに鈍感でした。
でもまあ、ざっくり言えば、そんな風にうまくいかないのが人生です。
近すぎて見えないことがたくさんある。
それは私に限らず、ランナーに限らず、
ありとあらゆる人生について言えることですね。
大学時代については、泣きたくなるような悔しさはありません。
私のいいところは目標に執着するところなのに、
あの頃は、それを見失っていました。
ちょっとお人好しな感じで振る舞いました
(なんども書きますが、みんなはそう思ってないと思います)。
自分の持っているものに対する自信も失っていたのだと思いますし、
謙虚っぽくしていたかったというのもある。
人間的に、ちょっと丸かった。
やっぱり女子としてとても大事にしてもらったので、
あまり勝負師的なところを出したくなかったのかもしれません。
お年頃だったしね、、、
最近、気づいたことに、私は、普段さほど傲慢なタイプではないと思うのですが、
走ることに関してだけは、めちゃくちゃ傲慢です。
高校時代でいうと、サッカー部がボールをトラックに出しただけで、
「私が走っているのに、邪魔するな!!」と、もう怒り狂いそうになるくらい
激しい感情が込み上げますし、
中学時代でいうと、瀬渡さんとのレースにおいてはそうだったと思います。
一個上の先輩なのに、自分より前を走ることが許せないくらいの激しい感情が湧いてくる。
大学時代は、そういう激しさを全く発揮しませんでした。
でも、そういう自分のことも、大学時代に関しては許せます。
仕方がなかったなと。
というのは、全部自分で悩みながらやったことなのです。
悩みすぎたとも思います。
自分の「素質」というものにもっと自信を持てばよかったのに、
周囲に対して「申し訳ない」と思ってしまった。
練習しなくても走れるのに、練習するふりをしないと申し訳が立たないと思っていた。
ちょっと弱かったです。
高校時代の自分を許せないのは、自分を殺していたから。
自分を明け渡して、先生の指示に従おうとしていた。
自分で考えることを放棄していた。
私の素直さが悪い方に出てしまった。
体調の悪さも、誰かに救ってもらおうとしていました。
何を頼ればいいんだろう、と、常にそんなふうに考えていた気がします。
高校2年の半ばあたりから少しずつ自分らしさを取り戻せたけど、時すでに遅しだった。
私は、オリンピックは無理だったのはよくわかりますし、
実業団に行って走るタイプでもなかったと思う。
実力的に、才能的に、運的に、限界はよくわかっています。
トップアスリートの中では凡人。
でも、あと一回くらいは、日本一になってもよかったと思う。
それくらいは、できたんじゃないかって。
そんな話を延々と書き続けられる自分の執念深さにうんざりします。
だけど私は、欲しいものを本気で取りに行くのが人生だと思う。
大半の人は、欲しいものすらわからない。
私も高校、大学では自分が何を欲しがっているかがわかっていませんでした。
適当に日和った人生。
今だって相当、日和ってます。
勝負するのが怖い。
勝つ見込みなんてない。負けるに決まってる。
努力したくない。しんどいことはいや。
現実を直視したくない。
うまく行ってないことに気づきたくない。
本当のことを知りたくない。
不満を適当にあしらって、視界を適当にさえぎって、そこそこの幸せを目指す。
てか、それはすでにずっと達成してる。
時々そんなんでええんかいなって思う。
もっと本気出して勝負しろよって思う。
そこそこの幸せをゆるゆると得ることより、
ギリギリの勝負に挑み続けろよ、と。
たとえ不幸になっても。
そういう意味では、大学時代に日和ったまま今まで来てるんだと思います。