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ライター今泉愛子のブログです
才能との付き合い方 才能は自分とは別人格

11月に、ランニングを再開して半年が経ちました。

ついにレースに出場し、意気軒昂であります。

 

走っていると、やっぱり私って走る才能があるなあ、とウキウキします。

私はそもそも、前世はジャガーとかカモシカとか、あるいはラクダとかダチョウでもいいんですけど、

とにかくなんか野山を、あるいは砂漠を駆け回る動物だったと思います。

だって、だだっ広い大地を見るとたまらなく走りたくなりますからね、、、

「あいちゃん、あんた今、人間やで」と自分で自分にささやいてハッとしたりとか。

 

「才能がある」と感じるのは、どういう状態でしょうか。

私の場合、単純に身体が喜ぶということ。

正しいことをしている感じがする。

身体がのびのびとします。

 

走っていると、ものすごく気持ちいい。

快感といってもいい。

息が上がって苦しいのに、気持ちいい。

どんどん身体が自由になっていく感じがします。

 

走っているときは、力を身体の中心にぎゅっと凝縮して、それを前に押し出します。

すると身体がどんどん前へ前へと進みます。

それが快感なんですね。

ものすごくうまく動いている感じがします。

 

きっと絵を描く人もそうではないでしょうか。

ピアノを弾く人も、将棋を指す人も、どこかにそんな感覚があるんじゃないかと思います。

 

レースで苦しいと、どんどん身体がバラバラになっていきますが、

なんとか耐えて、とにかく身体の中心に力をとどめる。

すると苦しくても走れます。加速できることすらある。

 

この感覚は、他人と比較できません。

だから、才能を他人と比較することもできません。

私の才能の方が、あの人の才能より上だ、なんてことは一切考えない。

レースに出れば勝ち負けはあります。

だけどレースは、才能だけの勝負ではないですからね。

 

わたしは、誰かに勝ちたいという意識はあまり持っていませんでした。

タイムへのこだわりもゼロ。

単純に、自分の前を走る人に頭に来る。ただそれだけでした。

 

わたしにとって集中するというのは、才能と交信する感じ。

この日、このレース、やるよ。いくよ。頑張ってよ。

と語りかける。

「才能」という別人格がいる。

その人になんとか機嫌よくやってもらう。

 

だからコンディショニングはとても大切でした。

わたしは身体という箱の持ち主でそれをうまくメンテして、

才能に差し出す、みたいな。

 

才能に、自分の身体をすべて差し出すことができれば、とても速く走れます。

わたしがバカなことをすれば(例えば暴飲暴食)、才能はそっぽを向きますし、

ヘンな自我を持ち始めると、だったら勝手にすれば、とスネてしまいます。

才能くん、けっこう気難しい。

 

では才能は、一部の人にしかないものなのか。

恵まれた人間の特権なのか。

それは違うと思います。

 

誰もが「とっておき」を持っている、なんて甘っちょろいことを言うつもりはありません。

申し訳ありませんが、人にはやっぱりなんらかの優劣はあります。

勉強や美醜がわかりやすいですよね。

世の中には天才がいるし、美人もいます。

 

才能は「好き」に置き換えていいと思います。

誰でも何か「好き」はありますよね。

オタクのみなさまだけではなく、どんな人にも「好き」はあると思います。

 

映画が好き、お花が好き、食べることが好き。

わたしのも単純に言えば「走ることが好き」ってことです。

才能を「好き」に置き換えれば、それが他人と比較できるものでないとわかると思います。

あいつより、俺の方が、鉄道を愛している、と張り合っても仕方ないです。

 

それよりも大切なのが自分の「好き」と気持ちよく付き合うこと。

上手に付き合えば、どんどん幸せになれます。

だけどそれが難しい。

恋愛と同じで、うまい下手がある。

 

まず第一に「好き」なことだからって、稼げるとは限りません。

たまに「好きを仕事に!」という夢物語を聞きますが、

「好きなこと」が稼げることとは限らない。

 

わたしなどは教員免許を持っていますから、

教員になって、陸上部の顧問などをする道もありました。

でもわたしの場合、あまりにマイワールドがありすぎて、教員には向きません。

ランニング教室だとか、そういうのもムリでしょう。

賞金稼げるほど速くないし。

なので「好き」で稼ごうとしないことが、

「好き」とうまく付き合うコツのひとつです。

稼げる人は稼げばいいのですが、稼ぐことにこだわりすぎない。

 

「才能」と置き換えて話しますが、才能って、ものすごく原始的なものなんです。

花を育てるのがうまい。走るのが速い。料理が上手。絵が上手。

そういう原始的なことは、資本主義下にある現代社会にはそぐわないものも多い。

それはしょうがない。

 

もちろん資本主義にうまく溶け込めば大金がやってきますが、そうそううまくはいきません。

だから、それで稼げなくても文句は言わない。

だけど、幸せは確実にくれます!

だって、それをやってればハッピーですから。

それで十分です。

 

才能との付き合い方をもう少し考えてみたいと思います。

(次回に続く、はず)
posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 19:03 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
「捨てなきゃよかった」あれこれ

整理整頓が好きです。

ものを捨てるのが好き。

この「捨てる」という行為は、取捨選択のトレーニングに向いています。

後悔と向き合う練習にもなります。

 

捨てて後悔するもの、結構あるんです。

3年くらい来ていなかった服を処分したら、

翌年、このスカートと合わせるとよかったかもしれない、と

思いついたりすることはしょっちゅう。

 

スペインの靴ブランド「カンペール」が日本に上陸した時に取材して、

素敵な靴べらをもらったんです。

だけど、使いづらくて捨ててしまった。。。。

最近息子が革靴を履くこともあり、「靴べら!」と言われるのですが、

あれをとっておけばよかったです。オシャレでしたし。

 

学生の頃に愛読していた古い料理本も、いつぞや一気に処分しましたが、

古い料理本の丁寧な解説、そういえば貴重だったかも。

 

「お片づけ」って、捨ててスッキリの側面ばかりが強調されますが、

捨ててスッキリするだけではなくて、やっぱり後悔することだってあります。

 

「3年着ていない服は捨てる」というルールはよく言われますが、

カンペールの靴べらで言えば、10年くらい使っていなくて捨てたのに、

今さら「惜しい」と思い始めていて、一体なんだよと。

 

だけど、こういう後悔にとらわれると、前を向けません。

だいたい捨てたものって、美化してしまうもの。

使いづらさを忘れて、デザインの良さだけを思い出します。

 

次からはもっとよく考えよう。

というのは、前を向いているようで後ろ向きです。

反省しすぎると失敗が怖くなります。

学ぶべきポイントは押さえつつ、前を向く。

 

わたし自身が「賢く生きたい」と思っているところがあって、

もっとよく考えなくちゃ、と思いがち。

が、ここでグッとアクセルを踏む。

振り返りすぎない。後悔しない。失敗はあるもの。

 

そうやってどんどん前を向いていく。

「よく考えたの?」と、これはあらゆるところで問われる言葉ですが、

よく考えなくていい。

 

わたしなんかは、基本的に自信ない系のやわやわのヨワヨワなので、

うかうかしていると、すぐに反省や後悔にとらわれます。

だけど、がんばって全力で前を向く。

そうすることで、何か新しいところにたどり着けるのではないかしら。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:25 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生に必要なのは「後悔しない」という覚悟

もしかしてわたしって、女子から「イラッ」とされるタイプかも、と気づいたのがつい先日のこと。

いやいや、あいちゃん、それ遅すぎやろ。

敏子先輩に何気なく話したら「ぎゃはは!」と大笑いされてしまい、

あれ? 先輩、もしかして気づいてた?? と思ったのでした。

 

なんとなく無頓着に人を傷つけるタイプですよね。ほんますみません。

それでもなんとか生き抜いてこれたのは、心優しい人が世の中には多いからですね。

ありがとうございます。

 

なんというか、女子の文脈というのが苦手なんですね。

「お仕事してていいよね。自分のお金があるし」

「わたしも仕事した〜い」

「でも子供のことはちゃんとやりたいしね」

「うちのダンナ、わたしがいないと不機嫌なんだもん」

「あ、わかる〜」

というような流れがかなり苦手。

上げてんのか下げてんのか。これがいわゆるマウンティングか。

 

その話の時は、それでもとりあえずニコニコ聞いています。

でも何かの拍子に「今年の夏は一人でニューヨークに行くんだ」とか言ってしまう。

そりゃ、イラっときますよね(今夏ニューヨークに行く予定はありません)。

 

でももうこの「イラッ」とされる路線は、ここまで気づかずにきたので治せない気がする。

 

わたしの場合、中学時代に女子の中でうまく生きることを捨てました。

陸上をやろうと思ったら、日本一を目指そうとするなら、それしかない。

ダラダラおしゃべりに付き合うわけにはいかなかった。

その流れがずっとあります。

 

人生はすべてトレードオフです。

一つ得たいなら一つ捨てなくてはならない。

中学生の頃わたしは走ることと引き換えに、

友達と気ままにおしゃべりしたり出かけたりする時間を捨てたんだな、とよく思いました。

 

「子供のことはちゃんとやりたい」

だから仕事をしないという選択をしたとしたら、

「自由に使えるお金がない」のは当然のこと。

それと引き換えにしたのです。

両立なんて無理。それが道理です。

わたしは仕事をしながらでも子供にできる限りのことはしようと思いましたが、

両立する気はありませんでした。

どこかに犠牲は出る。

だけどそれは命取りじゃない。

いいとこ取りはできないのが人生だから、

要は何を選ぶか。

わたしの子育てには、不十分な点は多々あったと思いますが、

だからと言って、後悔はしていません。

 

あなたはいいけど、子供に寂しい想いをさせたのでは、という意見もあるかもしれませんが、

それもトレードオフです。

子供たちは寂しい想いもしたかもしれない。

でも窮屈な想いをしなくてすんだかもしれません。

専業主婦で育てることが100%正しいわけではないと思っています。

どんなやり方にも何がしかの問題点は発生するものです。

 

後悔のない人生って、覚悟の上で成り立つものだと思います。

「後悔しない覚悟」を決める。

仕事をするかしないかで言えば、

どちらに決めても、何かを失うのです。

 

後悔はしていません。

だけど、子育て中はそりゃ大変でした。

最近、子どもが大学生になり、かなりのゆったりライフになってきましたが、

覚悟を決めてがむしゃらに突っ走りました。

 

 

これ、左側が10年前のパスポート。右側が今のパスポート。

左側は2004年に作ったものなので、当時30代なのですが、どうよこれ。

今より老けてますよ。。。

もう毎日クタクタだったわけです。

子育てと家事と仕事と。

夫の協力なんてほとんどありませんでした。

「一人で子育てしてきた」と思う専業主婦のママたちはたくさんいると思うのですが、

わたしとてそうです。

わたしの結婚生活は専業主婦から始まりましたから、

「これまで通り、家事育児はやりますから」と誓った上で仕事を始めました。

夫は保育園のお迎えに行ったことなど一度もありません。

収入と引き換えに、体力と気力を思い切り酷使しました。

そういう時代があっての今であります。

 

同世代の人には「わたしはもう遅すぎる」とか思わないでほしいです。

30代の時にそう決意しなくてはならなかったわけではない。

いま「後悔しない」と決めれば、これから、後悔しない人生になります。

 

ほとんどの人は、自分の人生を選んでいることに無自覚です。

気づいたらそうなっていた。

結婚もそうだし、職業もそうだし、住んでいる場所も、

自分で覚悟して決めたわけじゃない。

ただなんとなく。ずるずると。

 

だけど変える気がないなら、その状態を自分で選んでいるということです。

仕方なくそうしているのではなく、自分から選んでそうしている。

 

後悔したくないなら覚悟するしかありません。

これがわたしの人生。

足りてないものがあってもそれが人生。

 

いいとこ取りはできないとしたら、

自分は何を選ぶのか。

何を捨てるのか。

 

仕事なんてできない。だから我慢する。

離婚できない。だから我慢する。

仕事はやめられない。だから我慢する。

家族を養うしかない。だから我慢する。

と、思っているかもしれないけれど、それは我慢を美徳と思っているだけです。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:05 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
父の日

父のことがとても好きです。

たぶんいわゆるファザコン。

メガネ男子が好きなのは、父がメガネをかけていたからだと思いますし、

喫煙を迷惑に感じないのは、父がヘビースモーカーだったからだと思います。

 

父は、口数が少なく勤勉で、心優しい男性です。

文句や愚痴は聞いたことがありません。

自営業で、それなりにラクな暮らしをさせてもらえたのは、

両親の勤勉さに負うところが大きいと思います。

 

だけど、自営業なので、見た目は今ひとつです。

サラリーマン家庭のように、ネクタイを締めて家を出て行く、という父ではありません。

小学生の頃、学校帰りに軽トラに乗った仕事中の父と会い手を振ったところ、

一緒にいた友人から「愛子ちゃん、恥ずかしくないの?」と聞かれて、びっくりしました。

恥ずかしいはずがない。。。

 

父親との関係は、個人的には恋愛関係にも影響を及ぼすのでは、という気がします。

わたし自身は、男の人全般に対して、かなり信頼感があります。

つらいときに助けてくれる人。協力してくれる人。頼りになる。守ってくれる。優しい。賢い。

怖いとか、自分勝手だとか、強引だとかわがままだとか、というイメージがありません。

それはきっと父のおかげだと思っています。

 

あえていうなら、助けてもらいっぱなしにしているかも、、、

というのは反省すべき点で、父の流れを引きすぎていて男子たちに甘えがち(ごめんなさい)。

 

わたしは、母とはあまりいい関係を築けていませんでした。

わたしの側の問題点は、母に「理想の母」像を求めすぎていることだと思います。

わかってるんだけど、、、女同士は難しい。

 

ところが父に対しては、まったく「理想の父」像を押し付けていません。

子供の頃は、完璧にかっこいい父だと思い込んでいましたが、

次第に、そこまで完璧ではないことに気づきます。

整理整頓がまったくもってできないし、知的でもないし、

娘には甘いけれど、意外と亭主関白です。

それでも好き。

 

漠然と、将来の結婚相手も父を馬鹿にするような男性はイヤだな、

というのがずっとありました。

世間的に見て、すごく立派な人ではないのかもしれない。

でもそんなこと、わたしには関係がない。

わたしの学歴や職業へのこだわりのなさは、きっと父から来ています。

 

父の日のプレゼントには、シルクのパジャマを、と思ったのですが、

母から「そんなしゃれたもん絶対文句言うわ」と言われて、

アディダスのポロシャツに。

内心「わたしが贈ったものに父が文句を言うはずがない」とも思ったのですが、

とりあえず母も立てないと。。。

 

わたしがずっと父のことを好きで入られたのは、

母が、父の悪口をわたしの前ではほとんど口にしなかったからだと思います。

その点は、母にも感謝しています。

 

嫁いびりに耐える母を、一向にかばおうともしなかった父ですが

(昭和の男はそんなものですね)、

それでも父に不満をぶつける姿は見ていません。

とにかくつねに父を立てていました。

 

子供心にうすうすわかってはいたのです。

しっかり者は母だということには。

だけど、それでもつねにエラいのは父。

 

最近母は、父への愚痴をこぼすようになりましたが、

「わたしのお父さんの悪口、言わないでくれる?」とぴしゃりと制してしまいます。

もうちょっと聞いてあげたほうがいいかな。

 

自分がどういう家庭で育ったのか、両親との関係はどうだったのか、

そんなこともようやくこの歳になって気づくこと。

父の実直で勤勉なところを引き継いでいけるといいなと思っています。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:01 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスターズ出場

ようやく「いま」の話です。

今年はマスターズに登録しました。

その第1戦が11日にあり、800mと1500mに出場しました。

 

 

 

 

 

800mは、3分6秒95

1500mは、6分7秒55

でした。

 

目標タイムは考えていませんでしたが、なかなかよく走れたと思っています。

 

もともとは、5000mで考えていました。

セオリー的には、ランニングを再開する場合、

ゆっくり長く走ることから入っていくのが定石かと思ったのです。

だけど、3月下旬から突如絶不調に陥り、長い距離がまったく走れなくなりました。

どうもからだがだるい。

 

そこで、4月からは1日3kmくらいに落として、走るようになったのですが、それでもすっきりしない。

どうしよう。

5000mは無理そうだから3000mにしようと考えましたが、それも自信がない。

そしたら、友人の橋本泰子ちゃんが「800mと1500mでいいんじゃないの?」と言ってくれて。

たしかに! そうだよね!

 

ゆっくり長く走るのなんて、現役の頃から苦手だったんだし、

また800mと1500mで入っていけばいいかな。

と思うと途端に気が楽になりました。

 

だけどそれでも体調は上向きません。

レースに出れるのかと気を揉んで、レース2週間前から1週間前までの1週間は完全休養にあてました。

一歩も走らない。

それでようやく回復の兆しがみえて、1週間前から少しだけ走るようになり、、、と言っても毎日は走りませんでした。

とにかくずっと体と対話している感じ。本気のコンディショニング。

一体、ここまで体力がなくて、走る意味があるのかという話です。

 

そして当日。

ウォーミングアップなんかしたらまた疲れると思い、ほとんどノーアップでまずは1500m。

スタート地点では、スターターの役員に

「うるさいこと言いますけど、僕、好きちゃうんですわ。ユニフォーム、中に入れてください」

と言われ、もぞもぞとシャツを中に。

そもそも短い丈のウェアで、出すこと前提のデザインなんですけど。。。

 

 

スターターに睨まれているわたし、、、でもたしかにひとりだけあまり気合の入っていないウェアですね。

 

800mは、1500mを走ってから出場するかどうかを考えようと思っていましたが、

なんとか走れそうかな。

ということで、800mに向かうと、スタート地点にあの深尾真美さんが!

 

 

恐る恐る声をかけたら、私のことも覚えてくださっていて!

ありがとうございます!

 

深尾さんは、大阪の薫英高校、大阪体育大学、三田工業で活躍した名ランナー。

マラソンのベストは、2時間39分03秒。

神戸で開催されたユニバーシアードのマラソンでも優勝されています。

とにかく中学時代からずっと走り続けておられる方で、しかも練習熱心!

いつでもどこでも黙々と走っておられました。

 

わたしのような三十年もブランクのある人が声をかけていいのかと思ったのですが、

「戻ってきてくれたの? めちゃうれしいわ」と喜んでくださいました。

「わたしは、観戦も指導も向いてないねん。やっぱり自分が走るんが好き」とおっしゃって、

それ、わたしもです!と。

 

さらに「私の原点はやっぱり800mやねん」の言葉にも深くうなずきました。

わたしもやっぱり800mが好き。

1500m走っていて、700m走った時点でまだあと2周もあるとわかって倒れそうになりましたもん。

 

レース後は、気になるタイムのこと、トレーニングのこと聞いてみました。

タイムはある程度は伸びますかね? と聞いたら、

始めは伸びると思うよ。いま私は横ばいかな。とのこと。

2’50”くらいをキープしておられるそうです。

 

トレーニングの内容は、やはり「深尾真美」だけありまして、

そんなメニューを?? というもので、インターバル、ペース走など、現役時代の私よりすごい!

でも800m目指すなら、トラックで走ったほうがよさそう。

考えます。。。

 

私の場合、やはり体調管理がポイントになります。

追い込みすぎると壊れるので、そのバランスを上手に取りながらやっていこうと思います。

 

どこからどう見ても、ただのトロそうなおばはんですが、コツコツ頑張ってみようと思います。

次は、9月の兵庫マスターズです!

 

 

ちなみにシューズは、スケッチャーズのウォーキングシューズ「GO WALK2」

だいたい競技仲間ほぼ全員から「やめとけ」と言われていますが(ええんちゃう?と言ってくれたのは1人だけ)、

これが走りやすくて好き。

ヒモも付いていませんが、私は底の厚いシューズではまず走れません。

マラソンをやるわけではないし、まあいいかな。

(このGO WALK2はすでに廃盤になっており、ネットで3足買い集めました)

 

次は3分切れるようがんばります!

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 13:29 | ランニング | comments(0) | trackbacks(0) |
指導者と女子選手

兵庫の陸上関係者と話しをしていると、たまに高校時代の話になります。

「顧問の先生には感謝している」と話す人も多いんですね。

最初にそういう声を聞いた時、無条件にぶったまげました。

へ??? という感じでした。

そうなんだ。

 

男子が多いです。

うちの高校の後輩男子たちは、感謝は口にしませんが、あっけらかんと不満を口にします。

その姿もまたうらやましい。

 

男子は、けっこう先生にイタズラをしてうさを晴らしたりしますよね。

先生から「メガネなくした。探せ!」と命令されて、

見つけたけど、そのまま返すのはムカつくから、

メガネを踏んづけて

「先生、見つかりましたけど、壊れていました」と言って渡した、

という話、めちゃくちゃ好きです。

 

うちの後輩たちもそんな感じ。

なんだろう陽性なんです。

本気だろうけどどこかピントのずれた先生のお説教を笑う余裕がある。

 

私なんかは、そういう余裕が一切ありませんでした。

私個人の問題もあったかもしれませんが、女子というのは、顧問の先生に絶対服従を強いられている感があります。

疑問を呈することすら許されない。

男と女、師と弟子、そういう儒教的な教えに縛られているのかもしれません。

 

謙虚であること。全てに感謝すること。

それはとても大切なことですが、

私の場合は、謙虚さを取り違えていました。

自分で考えることをやめてしまった。

あまりに次々と疑問が浮かび上がってきて、それらを全てシャットダウンした。

それで自分が死んでしまったのではないかと思います。

 

「先生に感謝しなくてはいけない」という枷が強すぎて、

その枷は、つい最近までありました。

昨年11月、魚住中学の同級生から「高校に行って先生に潰されたんやろ?」と言われて、

え、そんな話になってるの? と心底びっくりしましたし、

先生への申し訳なさでいっぱいになりました。

「ちゃうで。私があかんかっただけ」

そう答えはしたものの。。。

 

だったらなぜ、卒業後、あんなに全力で、高校時代を封印したのかという話です。

きちんと分析もせずに、ただ盲目的に自分がいけなかったんだ、と思い込もうとしていました。

自分の頑張りを一切認めないまま私のせい。私の責任。私がダメだった。

自分を責めるだけ責めて、もういいよ。終わったこと。

そんなふうに片付けていた。

 

でも不振には、いろんな要因があります。

私だけが悪かったわけではなくて、先生にも欠点はあったし(そもそも欠点のない人なんていません)、

スポーツ界には、選手は黙って従え的な風習もあります。

体が変わる時期だったのかもしれない。

 

私がいけなかったのは、そういう状況を客観的に見ることができなかった点です。

ずっと目を閉じて、光の気配を必死に探し求めていました。

私は、私なりに一生懸命だったと思います。

そこまで責めなくてもいい。

 

今さらです。

だけど、ここが本丸かなという気がします。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:10 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
競技人格は、几帳面で計画性がある

いろんなスポーツ選手に聞いてみたいです。

競技人格というのはありますか?

 

私は、競技人格と普段の人格はまるで別物です。

競技をやっていない時の私の辞書には「几帳面」の文字はありませんが、

走ることになると、几帳面です。

レースの日に忘れ物なんて絶対しません。遅刻もなし。コール漏れなし。

(中学時代に試合当日、静岡あたりで新幹線が数時間止まって、

ジュニアオリンピックを棄権したことはあります)

 

夏休みの宿題は、最後の日に猛然とやるタイプですが、

試合に向けてのコンディショニングは計画性がとても高いです。

食事の時間、量、練習時間、量など、かなり計画します。

レース時間、コールの時間、ウォーミングアップの開始時間なども

想定したりします。

来週の今の時間、私は競技場にいる。テントで休んでる。

今くらいの時間にウォーミングアップを始める。

なんてことを、延々とシミュレーションします。日々。

 

その流れで、イメージトレーニング的なことも自分でやっていました。

私にとって一番大事なのは、コールが終了して、スタートラインにつくまでの時間です。

そこでいかに集中力を高めるか。

なので、大事な試合前はいつも、コール地点からスタートラインに向かう自分をイメージしていました。

どういう心理状況でいるのか。

いかに雑音をシャットアウトするか。
どうやって自分を高めていくか。
そんなことをずっと考えていました。

 

普段の私は、何かを想定して行動するなんてことは一切ありません。

全部出たとこ勝負。

 

普段はわりと気が散るタイプなんです(片付けものをしていると、

あちこちの思い出に浸りすぎて進まない)。

だけど競技に対しては、一生懸命、一途です。

一途だからこその強さがりますが、

一途だからこその弱さもありました。

 

高校時代になぜそこまで嫌悪感があるかというと、

例えば、インターハイで開会式に出ることになります。

(決勝を目指す選手は、あんな炎天下での開会式に出ません)

現実問題、疲れます。

そうなると自分は「競技最優先」していない気分になります。

となると、ソワソワしてしまうんです。

落ち着かない。集中力が保てない。

それは、わたしが不器用だからです。

でも、そこが私の特性でもあります。

 

しかも横浜駅でいきなり先生は「ほな、俺、今日は用事があるから」とどこかへ行ってしまう。

勝手に電車乗って、渋谷のホテルに帰って、晩ごはん食べて寝ろ、と言われるわけです。

高校一年生の田舎もんの私が。

高3の木井先輩も一緒でしたが、先輩とほとんど話したことなかったですからね。

私の想定している試合前日の過ごし方ではない、、、

ミーティングくらいやらないのか。。。

「明日頑張れ」とかなんかそんな話をするのではないのか。

動揺してしまうんです。その動揺の仕方が、ちょっとオーバーです。

でも、そこがね、、、私の純なところといいますか。

「おっさん、誰と飲みにいくねん!」と思えるようなふてぶてしさがあったら違ってたかもショック

だけど「きっと先生は大事な用事があるんだ」と思う私だったのでね、、、混乱するわけです。

 

でもわたし、普通の人生の中では、そんな傷つきやすくはありません。

大抵のことは「そんなもんかな」と思っています。いちいちそこまで動揺しないです。

自分が一番大事にしている、陸上競技だからこそ傷つく。

 

実は、今週日曜日にレースがあります。

今ちょっと体調が不十分で、まだ本当に走るかどうかは決めていませんが、

でも一週間前から、試合時間は意識して過ごしています。

13:30になると、「この時間、スタート地点に立つってことね」と思い出します。

朝ごはんの時間や量なども意識しています。

どの時間にどれくらいの量を食べればいいのか、、、考えております。

たかがおばはんのお遊びレースなのですけど、やっぱりそうしてしまう。

普段の生活にはない真面目さです。

 

人それぞれ、競技人格があるんじゃないかと思います。

ありますか? わたしだけ?

そういうのも、いろんな人に一度聞いてみたいです。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:05 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
競技人生のふりかえり完了

4月、5月と体調が思わしくなく、どないしたらええのん?状態でした。

だるい。やる気が起きない。集中力がない。

 

12月、1月、2月、3月とかなり詰めて仕事をしたので、疲れが出たのでしょう。

しかも陸上競技の思い出に浸りながら、毎日膨大に泣きました・・・。

一生ぶんの涙を使い果たしたのでは、というくらいで、

だけどそれは、競技人生がそれくらいつらかった、というよりも

封印し疲れていたのかもしれません。

大学卒業以来、陸上競技と関連のあること一切、すべてを避けていました。

就職活動で競技のことは語らず、バブルOLを謳歌しましたし、

思い出すことも考えることもなかった。

 

小学校の同窓会は「あの人は今」状態で扱われそうなのがイヤで行かなかったですし、

陸上部の同級生の結婚式に招待されても断っていました。

私自身もまったく競技と関係のない相手と結婚しましたし、

自分の結婚式も、中学、高校の恩師は呼びましたが、陸上部の仲間は一人もいません。

あ! 敏子先輩には来てもらいました(ありがとうございました)。

 

新婚時代に夫とロードレースに出場しましたが、あれは海外で暮らしていて、

あまりにヒマだったから。

近所に誰も知り合いがいませんし、夫は私のランナー時代を知りません。

スタート前に「私、けっこう速いんだよね」と言うと「らしいねー」とのんきに答えた夫でしたが、

100mも行かないうちに、はるか後方にショック

子供ができてもランナーは無理だな、と思った瞬間でしたしょんぼり

 

すべてを絶つことで心の平穏を保っていたし、

すべてを絶っていたから、セカンドライフは全くの別物として歩んでこられたのだと思います。

 

昨年の2月くらいからFacebookで、兵庫の陸上関係者とポツポツ繋がりましたが、

同級生長距離男子たちが、声をかけてくれて本当にうれしかったです。

秋にはお会いする機会もあり、私も30年ぶりにランニングを再開。

12月には、織田道子さんと再会して、走ることについて、というよりも

競技人生について、かなりたっぷりお話しできて、

年末には、高校の後輩たちの忘年会に参加して。

そして、競技人生を振り返る作業に本格着手。

 

仕事も相当忙しい時期でしたが、とにかく朝起きて、泣きながらブログを書くことが日課となり、

だけど書いても書いても気持ちが収まらず。

きっと私には必要な作業だったのでしょう。

だけど気力、体力を使い果たしました・・・。

 

今年はマスターズにも登録して、張り切っていましたが、

4月からほとんど走れていません。

今週はレースにもエントリーしていますが、ちょっと無理かも。

だけど、種目は800mと1500mですから、完走はできるだろうし、

タイムや順位を気にせず、走ったらええんちゃうの? と思ったりもしています。

 

先月は、関東インカレで大学関係者ともお会いしました。

有吉先生は、このブログにまったく登場していなくて、すみません。

競技の振り返り作業の中で、大学時代に関しては、あまり深く追求していません。

反省もありますが、おおむね楽しかったのです。

競技を完全封印していたのに、大学時代に合宿で行った車山高原には

結婚後、家族で毎年のように訪れていました。

 

大学時代は、先輩方の期待する、イシハラ像を演じたかな、という気はしています。

もっとがむしゃらで、もっと勝気で、もっと変人なのが私ですが、

まともな子のふりをしようとしていた、、、かも。

でも、それはそれですからね。

自分的に、ミスったのは高校時代です。

 

大学時代の振り返りが不十分だった点は、

先日の関東インカレで補えた気がします。

 

とにかく一周ぐるっと回って元気になった。

競技人生も含めて自分の人生を背負えるようになりました。

というわけで、がんばる。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:42 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |