Search this site
ライター今泉愛子のブログです
人生100年時代 これから何する?

100歳まで生きようと思っています。

死ぬ時期を選べないことは知っています。

死期がいつやってくるのかは、死ぬまでわかりません。

だけど、とりあえずわたしは、100歳まで生きることを前提に人生を考えています。

 

20代、30代の頃は、70歳で死ぬのも90歳で死ぬのも変わらないと思っていました。

70歳を過ぎたら、ただダラダラ生きているだけ。

失礼な話ですが、それくらいの感覚でした。

 

でも、その年齢が近づいた50代の今「全然違うでしょ」ってことに気づきました。

だって20年も長く生きるんですから。

 

100歳まで生きるとしたら、

52歳になったばかりのわたしは、まだ折り返し地点を過ぎたところ。

なんとなく、まだまだいろんな可能性があるような気がします。

 

これまでわたしが抱いていた人生後半のイメージは、悠々自適。

夫婦でこぢんまりと暮らして、たまに旅行して、お正月には子どもたちが家族を連れて会いにきてくれて、という

家族をベースにしたのんびりとした暮らしです。

 

でもちょっと待て。

100歳まで生きるとしたら、それではあまりに退屈です。

そんなちまちまとした、人生でええんかと。

 

もともとわたしは70歳くらいまで仕事をしたいと思っていました。

年金はあまりもらえそうにないし、夫からお小遣いをもらうような生活は息苦しい。

というか、くれないかもしれないショック

 

そもそも働くことが大好きなんだから、働き続ければいい。

もちろん働き方は、今と変わるでしょう。

バリバリ働くことはムリかも。

だとしても、働き続ける方法を考えた方がいい。

 

いま世の中は、ストックよりフローの時代に入っていると感じます。

モノを所有するよりも情報を回していく。

 

音楽がそうですよね。

レコードを所有するのではなく、Google play でどんどん流しながら聴く。

 

本だって、きっとそうなります。

紙の本はなくならないとしても、主流は電子書籍になることが確実。

さらにAmazon unlimited のように一定料金を支払えば

自由にいろんな本が読めるというのが主流になるかもしれません。

 

これはお金もそうだと思うんです。

貯金に励んで老後に備えるよりも、稼ぎ続けることを考えた方が、わたしは確実だと思います。

ビットコインだなんだ、インフレだのデフレだの、あるいは米国のデフォルトだの、、、

よくわかりませんけど、とにかくお金の価値がずっと変わらないとは限りません。

「老後破産」なんて言葉に騙されて、溜め込んでちゃダメで、

お金はどんどん使いながら回していく。

そして未来につなぐ。

 

わたしでいうと、今けっこう走ることにお金を使っています。

純粋に走ることだけでなく、交通費が大きいのですが、枠としては走ること。

収入を上回る使い方はしていませんが、貯めようとはしていません。

でもきっと、今のこの楽しさが、わたしの老後の健康を支えてくれると思うんです。

そうやってお金を使いながら、心と体をゆたかにして、

これから長く働き続けるための土台を作っておく。

それは、お金を貯めるよりもずっと大事なことだと思っています。

 

家族についても永続性を前提にしなくていい気がします。

たとえば、60代で離婚して再婚してもそこから30年以上一緒にいられるんです。

 

わたし自身、これまでずっと、結婚や家族については人並みの幸せしか想定していませんでした。

自分自身の結婚生活についてもそうですし、息子たちにも普通に結婚してほしい。

子どもができたらちょくちょく私たちのところに顔を出してほしい。

なんてことをぼんやりと考えていました。

 

だけど、そんな幸せを想定していると、そこから外れることが怖くなります。

ふつうの道から外れる不安です。

もし、結婚生活が何らかの理由でダメになったらどうしようという不安、

老後は、子どもや孫たちに囲まれて暮らしたいという願望。

人生に枠を作ってしまうと、ある種の重荷を背負ってしまいます。

 

でも100歳まで生きるとしたら、まだこれからいろんなことが起こるはず。

息子に「わたし、100歳まで生きることにした!」と言ったら、

「俺70じゃん。老老介護じゃん」と言われましたが、

ちゃうねん、介護なんかいらんねん。

わたしは自由に生きるから、あなたも自由に生きなさい、という話です。

 

もしいま39歳で「結婚したいけど相手がいない。自分の老後はどうなるんだろう」

なんてことを思って不安になる人がいたら、

まだあと60年もあるんだから、大丈夫よ、と伝えたい。

 

もしいま56歳で「夫と離婚したいけど、暮らしていけるかしら」

と迷っている人がいたら、

まだあと40年以上あるんだから、我慢するには長すぎますよ、と伝えたい。

 

もっと自由でいいの。

先が長い、と考えることの方が不安、と思う人もいるかもしれません。

そもそも生きることがつらい、と考えている人もいますよね。

でも100年もあれば、つらくなくなる日もきっときます。

 

いま『定年後』という本が売れているそうです。

定年後、何をしようか、と考えている皆様には、

ぜひ100歳想定でプランニングすることをお勧めします。

かなり設定が変わってきます。

 

なぜ唐突に100歳なのか。

この10年、20年で医療が確実に進歩すると思うからです。

ITがさらに進めば、耳が聞こえにくい、目が見えにくい、体がよく動かない、という

老人の現実もかなり改善されると思います。

未来の100歳は、ヨボヨボではないのです。

サイボーグかもしれないけれど。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:00 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
「運がいい」のはなぜ? 万が一に備えると、万が一の運を逃す

「運がいい」とよく言われます。

そうなの?

 

じつはうちの息子たちまでわたしのことを、運がいいと思っています。

次男の中学受験の時「ママの運、今日一日よっちゃんに全部あげるから絶対大丈夫」と言ったら、

かなりうれしそうにしていました。

どんなお守りよりも効果がありそうでした。

 

なんで運がいいと言われるのでしょう。

きっとそう見えるんですよね?

 

わたしなりに考えてみたところ、これかな、と思ったのは、

自分の中に「曖昧さ」があまりないことです。

感情的な揺らぎを作らないようにしています。

 

いいか悪いか。

好きか嫌いか。

やりたいかやりたくないか。

欲しいか欲しくないか。

いつも2つに1つ。

 

何かを買う時は、ほとんど妥協をしません。

本当はこれが欲しいけど、お金がないから、こっちで我慢しよう。

というのがない。

お金が足りないなら、買いません。

んなもん、いらんがな、と思う。

「欲しかったのにな」といじいじしない。

 

逆に何かを買って「失敗したな」と思っても、わたしが決めたんだし、と押し切ります。

後悔という感情をのさばらせない。

次の参考にするのはいいのですが、「失敗」という事実に感情を引っ張られない。

 

わたしはいつも荷物が少なめです。

あまり多くを用意しない。

 

レース会場で「あれを持って来ればよかった」と思うこともあります。

先日で言えば、ウェットティッシュです。

ジメジメした日だったので、スタート前に手をさっぱりしたくなりました。

 

だけど、後悔に足元をすくわれるようなことにはしません。

なくてもやれますからね。

「もってくればよかった」という感情を無防備に泳がせない。

「次からは用意しよう」と思うより、「なくてもできるよね」という方向に気持ちをもっていく。

 

レースに必要なのは、シューズとユニフォームとゼッケン。

日傘だのウェットティッシュだのうちわだの、そんなものなくても戦える。

 

子どもたちと出かける時も、折りたたみ傘だの虫ガードだのバンドエイドだの

「あれば便利」というものをあまり用意しませんでした。

もちろん自分だけの時よりは、荷物が増えましたが、

あれもこれも、ではありませんでした。

「ママ、○○はある?」と聞かれても「ない」で終わり。

 

多くのママたちはそういわれると動揺してしまうのだと思います。

それで荷物が増える。

でもその「動揺」は、不要です。

そういう感情に自分を委ねてはダメ。

 

だから転ばぬ先の杖というのも嫌いです。

別に、転んでもいいのです。

先回りしてあれこれ考えるより、今に力を注いだ方がいい。

 

物事を決める時は、直感。

「なんとなくいいと感じるもの」を選ぶのではなく、

「いい」ものを選びます。

感じる、だとちょっと弱い。

 

条件を並べ立てて検討するのは、

きっと、後悔したくないからすることだと思うのです。

結婚もそうですし、家を買う時もそう。

 

でも、選択の時点で「後悔」を想像するのが間違い。

そんなの後ですることです。

事前にわからないから「後悔」なんです。

 

後悔を恐れない。

目先の賢さを取りに行かない。

 

女性はとかく「気がきく」ことを求められます。

これが上手な女子はモテます。

 

中学の修学旅行で、男子からいきなり「ティッシュ!」といわれて、びっくりしました。

そういう時にさっとティッシュが出てくる女子が、男子は好き。

だけど、自分でティッシュを用意する男子だっています。

気にしないこと。

 

OLになってからは「気がきく」の代表例が宴会で「ビールを注ぐ」ことでしたが、

これもまたわたしには難しい。

もちろん会社員としては、頑張りましたけど、

もし普通の飲み会であなたのグラスが空だと気づいたとしたら、

それは退屈しているからです的な。

 

「モテ」を必要以上に意識しない。

たった一人の大好きな男子と結ばれればそれで幸せ。

世の中には、自分でビールを注ぐのが好きな男性だっています(味にこだわる人はそうですよね)。

 

体育会系の人間関係でも、気が利くことを求められますが、

気が利くスキルを磨きすぎると、一生下働きですよ!

 

「気が利かないより、利くほうがいい」と思いがちですが、

気が利くために費やす労力を他に回した方が、いい運がくる気がします。

モテなんていう曖昧な現象を求めてちゃダメ。

 

もしわたしが「運が良さそう」に見えるのだとしたら、

たぶんそういうきっぱり感だと思います。

モヤモヤしない。

曖昧さを排除する。

 

それは、イコール荷物を少なくすることではありません。

多くてもいいの。

でも多いなら多いことを全面的に引き受ける。

あれはどうしよう、これはどうしよう、と迷わない。

 

備えあれば憂いなしといいます。

でも、備えていると運を逃してしまう。

 

万が一に備えているうちに、万が一の運は逃げてしまうのです。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:13 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスターズ3戦目 自己記録大幅更新!

埼玉マスターズ、走ってきました!

 

400m 1’13”08 2位

800m 2’50”41 1位

 

でした。

先月の千葉マスターズよりもかなり記録が伸びました。

うれしいな!!

なんだかもううれしくてうれしくて、ずっとニコニコしています。

 

400m

 

ずいぶんと綺麗に撮れていますが、一瞬だからです。

ビデオで見ると、悲惨なものですショック

 

 

800m

40”、83”(43”)、2’06”(43”)、2’50”(44”)

ペースとしては理想的ですね。

 

なぜ、こんなにしっかりラップが取れていて、写真まであるかというと、

同行したマネージャーが二人もいたからです楽しい

一流選手かよ! 

 

二人とも高校時代に兵庫県でご一緒していた、同級生の友人で、

実業団でもマネージャーとして活躍しました。

 

一人はシューズを買うのにも付き合ってくれたかっぺですが、

この日わたしは、ピンク色のシューズはまだ履いていなくて、

スケッチャーズだったんで、かなり怒られました・・・。

 

でも2足同時に新しいシューズを履き始めるのに抵抗があったのです。

黄色いシューズ、ソーティマジックは、なかなか走りやすかったです

(かっぺからは「記録更新は、シューズのおかげやで!」と凄まれました)。

 

400mと800mの間に何か食べるかどうか、迷ったのですが、

わたしは、本当に消化能力が低いし、そもそもあまりお腹が空かないし、

いいや、と思って、食料を何ももっていきませんでした。

 

しかしかっぺから「あかん! 食べ!」「そんなんで800mは走られへんで!」ということで、

無理矢理に近い感じでコンビニに連れて行かれてウィダーインゼリーを購入。

かなり渋々、食べたのでした・・・。

でもたぶんそれで良かったんだと思います。

 

しかし、シューズもウェアも食べ物も、わたしの現役時代と比べれば、全て進化しているんですね。

少しは取り入れていかないと、ダメかなあ。

 

 

大学時代、卒業記念で、同級生の中長男子たちと勝田マラソンを走った時のことです。

スタート前、加藤くんが、ととと、とわたしのところに来て、こう言いました。

「石原、あのさ、ユニフォームじゃなくて、もうちょっとあったかい格好で走った方がいいよ」

「そうなの? ジャージはいた方がいい? 寒いかな」

「うん、トレーナーも着といた方がいいんじゃないかな」

「そう? じゃあゼッケン付け替えなきゃ!」

 

次に麦くんが、ととと、とわたしのところに来て、こう言いました。

「石原、あのさ、お金、もっといた方がいいんじゃないかな」

「お金? あ、電話かけたりとか? じゃ30円もっとくね」

「いや、、、もうちょっともってた方がいいよ。電車やタクシーに乗ったりできるくらい」

「そうなの? そしたら千円札ももっとくね」

 

今度は福ちゃんが、ととと、とわたしのところに来て、こう言いました。

「石原、あのさ、棄権するときって20kmまで行っちゃうと大変なんだよね。帰ってくるの」

「たしかにそうだよね。そのぶん歩くってことだもんね」

「10kmくらいの方がたぶんいいと思うんだよね」

 

・・・誰もわたしが完走すると思ってない。

レースは10kmで棄権しました。

お金は使いませんでした。

歩いて戻るのに寒くなくて良かったです。

 

こういうマメな同級生に支えられて生きてきました。

そもそも陸上競技の中でも、中長距離関係者というのはみなさん段取りがいいんですよね。

一緒にいると、次はこれ、ここでこうして、あそこでこう、というのをすごくよく考えていることがわかります。

わたしも中長距離ランナーのはずですが、今ひとつ頭がよろしくありません。

 

今日も同級生マネージャーのお二人に支えてもらいました。

どうもありがとうございました!

 

次は、9月18日の兵庫マスターズです。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 03:56 | ランニング | comments(0) | trackbacks(0) |
苦しさと戦う時に必要なのは、自分の世界をもつこと

ランナーだった頃、苦しい練習をしている時はいつも

「ここで諦めたらもう先はないんだ」と思ってがんばりました。

ここでとどまるのか、それとももっと先を目指すのか。

つねに二者択一。

曖昧な部分を残さないで、がっつり自分を追い込む。

どうするの? がんばるの? がんばらないの? 

やめるの? やめてしまっていいの? 

そうやってキリキリと自分を絞りあげる。

ある種のマゾだと思うのですけども、

中途半端にただこなすだけ、適当に手を抜いて、ということはしませんでした。

いつだって崖っぷち。

 

ライターとして原稿を書いていても、すごく苦しい時があります。

「書けない!」と投げ出したくなることがたまにある。

インタビューでうまく話を聞き出せていなかったり、

テーマに対して今ひとつ深くのめりこめていなかったり、

単純に筆力不足であったり。

 

そういう時も「ここで諦めたら先はないんだ」と思って踏ん張ります。

いい加減にまとめてしまいそうになっても、そこでキリキリと自分を追い込む。

 

ライターになって、最初は短い原稿しか書いていませんでした。

レストランを取材に行って、200字くらいの簡単な紹介文を書く。

 

それが一店だけなら、楽勝ですが、

パスタの美味しい店10店になってくると、書き分けないとなりません。

でも美味しいパスタの表現方法なんて限られているので、

油断すると、10店の違いが感じられない文章になってきます。

そこでどこまで粘れるか。

 

それができるようになると、今度は500字の文章の依頼が来るようになります。

500字という間をどう持たせるか。

1000字になるとどうか。

一冊だとどうなるか。

 

そうやって、とにかく必死に粘って、自分を追い込んで、それで、少しずつ進歩してきました。

ライターとしては、ランナーとしてよりもへっぽこですけど、それでもそれなりに頑張ったかな。

だから、今がある。

 

人間関係の苦労も少しはありました。

この業界は、いろんな人がいますし、アクの強い人も多いです。

いい顔だけをしていたら、乗り越えられない。

自分が潰される。

だから少しずつ少しずつパワーアップして。

 

いつも懸命に未来を見てきたと思います。

今の苦しさが未来の自分を支えるということを明確に意識していました。

自分がどうありたいかをつねに考えて、ここで負けたら終わりなんだな、と思って粘った。

 

わたしは、自分の世界をはっきりと持っていて、

そこの世界では、わたしは女王です。

誰にも口出しはさせないし、自分の思う通りに物事を進める。

自分の好きなものだけと接して、好きな音楽を聴いて、お気に入りの香りを漂わせる。

快適で居心地がいい空間。

そういう世界を、どれだけ自分で構築できるかだと思います。

 

ランナーの世界でいうと、男子選手は、女性のサポートを求める人もいると思います。

生活を全面的にサポートしてもらって、優しく、時に厳しく励ましてもらって。

女子選手は、指導者とそういう関係になることも多いですよね。

 

ただそういう関係は、時にいびつになってしまうこともあるのかな、と思います。

支配・被支配の関係になってしまう。

 

わたしの場合は、ずっとひとりでした。

頼れる人がいれば頼ったと思うのですが、いなかった。

だからこそ自分の世界を確立できました。

 

日常は、ゆるゆると暮らしています。

家では、いつもご機嫌な奥さんです。

 

でもそういう世界をもっているから、苦しさと戦える。

いつも笑っていられる。

 

走るようになってまた、自分の世界、というものを意識できるようになりました。

心からくつろげる自分の世界をもっているから、わたしはいつもハッピーでいられるんだと思います。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 02:51 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分を責めてばかりいても成長しない

だまされる、というほど大げさなことではないにしても、

生きていると「あれ?」と思うことがちょくちょくあります。

 

「いい人だ」と思っていた人の違う面を見てしまったり、

信じていたことがまったくのでまかせであったり、

「君のため」と見せかけて実は自分のためであったり。

そういうことは仕事でもありますし、友人関係でも、あるいはきっと恋愛関係でもありますよね。

 

わたしはいつも自分で罪をかぶるタイプです。

相手を責めたり、恨んだり、憎んだりできない。

 

わたしの態度がいけなかったんだ。

信じたわたしが悪いんだ。

わたしがアホすぎる。純粋すぎる。

もっと考えろよ。

 

そうやって自分を責めてしまいます。

わたしは、そこそこ根が丈夫なので、そういうことを繰り返しても、ダメにはなりません。

 

でも、どこかで自分を信頼できないんです。

自分は人を見る目がないのかもしれない。

なんでもかんでも信じすぎるのかもしれない。

もっと大人にならないと、これからもずっと同じ失敗を繰り返すのかもしれない。

 

そういう不安を抱えています。

だからなんとなく臆病なんです。

 

でもなんだろう。

ふと思いました。

人って失敗するもの。

愚か。あほ。学ばない。

100%いい人なんていないし、何かで魔がさすことだってあるし、

いけないとわかっていてもやめられないこともあるし、

嫉妬に狂ってバカなことをしてしまうことだってある。

 

わたしもバカだけど、相手もバカ。

わたしだけが悪いんじゃないけど、相手だけが悪いのでもない。

 

何かがあるたびに、自分を責めていると、学ばない。

そういう解決の仕方が間違っている。

 

人って愚かだから、立派と思える人だって過ちは犯すし、

それは自分もそう。

お互いさま。

 

相手のことをムリに肯定的に見ようと頑張らなくていい。

「きっと何か理由があったんだ」「たまたまそういうことが起きただけ」

「そもそもわたしが勝手に信じたんだもん」

そうやって、全力で相手を肯定して、悪いのはわたし、と自分を否定しなくていい。

 

人って愚かなんだなーとにっこりして、わたしもそうだもんなーって、朗らかにしていればいい。

他人の愚かさを受け入れると、自分の愚かさも受け入れられるようになる。

そしたら、きっともっとラクになる。

 

乙女座生まれの潔癖症が、誕生日に思ったことでした。

(誕生日は、今日ではなくて8月24日です楽しい

 

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:15 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
ランニングシューズ購入

ついにランニングシューズを購入しました。

 

左のピンクのシューズが練習用

アシックス LADY GELFEATHER  GLIDE4 23.5cm

 

右のイエローのシューズがレース用

アシックス LADY SORTIEMAGIC LT 23.0cm

 

通常わたしは22.5cmのシューズを履いていますが、

どちらもやや大きめのサイズとなりました。

 

 

しかし、いまだスケッチャーズも愛しています。

現役時代、陸上選手がよく履いていた底の厚い「アップシューズ」というのがどうしても好きになれず、

月星(ムーンスター)や世界長の運動靴の方がよっぽど走りやすい、と思っていました。

 

なので、初めてスケッチャーズを履いた時、あの軽さ、しなやかさに感動したんです。

その頃、わたしはまだ走り始めてはおらず、街歩き用として愛用していました。

走るようになっても、スケッチャーズで十分やん、と思い、11月からずっとそれ。

わたしが好きなのは、GOWALK2 なのですが、これが3になり4になるにつれ、

踵部分が厚くなってきていて気に食わない。

ということで、もう廃盤になっているGOWALK2をネットで探し、3足買いためました。

軽さ、しなやかさだけでなく、紐がついておらず、さっと履ける手軽さも好きなんですよね。

 

特に不満もありませんでしたが、わたしはスケッチャーズ以外にも走りやすいシューズがある、という

事実に無頓着でした。

気に入ったものがあるのだから、それで十分。
そこらへんはあまり欲深くないのです。

しかし周囲から「それでいいの?」的な視線も多く、

それならいっちょ最新のシューズも見てみるか、と思いました。

そこで最も強く買い替えを提案してくれていた兵庫の陸上仲間かっぺに同行をお願いして、彼女の地元大宮のSTEPへ。

 

だんなさんも息子さんもエリートランナーで、

うちの家に遊びにきた時、玄関にあるスケッチャーズを見て、のけぞった彼女。

口を酸っぱくして「買い替えなさい」と言い続けてくれました。

でも彼女にお願いした時「もしかして買わないかもしれないけど、その時はごめんね」とも

言ってありました。

 

かっぺから教えられたのは

「だんなも息子も、硬いシューズ履いてるで」

「速く走ろうと思ったら、反発があった方がいいねん」

「レース用のシューズが必要やで」

ということで、購入したのがSOLTIEMAGIC。

足裏に樹脂でできたトゲトゲがあり、しっかり反発するみたいです。

が、耐久性は弱いらしく、マラソンの場合は一回でアウト。

わたしのようなトラックランナーも試合用として使うと良いみたいです。

昔でいうスパイクですかね。レース前に履き替える感じ。

年内あと4レースありますが、これは行けると思います。

 

ただ、履いてみて「ものすごくいい!」と思ったわけではないのです。

だけど色々履いているうちにソーティマジックだけは「これで走ってみたい」と感じました。

そして昨日、早速トラックを走りました。

試合前の調整ということで、300m1本。56秒でした。

シューズでタイムが縮まるかというと、どうかな、、、そういうものでもないですよね。

 

要は、それを履いて気持ちよく走れるかどうか。

スケッチャーズは最近、若干弱すぎる、頼りない気がしていたのです。

多少、走力がついてきたのでしょうか。

確かに、ソーティマジックの底の硬い感じも悪くありません。

 

もう一足は、練習用シューズ。

もうそれはスケッチャーズでもいいかな、と思っていたら、

「あかん、買うとき」とかっぺに凄まれ(ひどい言い方をしてごめんね)、買うことに。

ゲルフェザーは、まだ履いておりませんが、きっといいはず。

 

原始人ランナーのわたしも少しずつ進歩しています。

しかしスケッチャーズもまだ3足あることですし、ご近所のお気軽ランは、スケッチャーズを履き続けるかも。

 

さあ、やったるで。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:28 | ランニング | comments(0) | trackbacks(0) |
プロフィール写真 今昔物語

ここ半年で、TwitterとFacebookのプロフィール写真を変更しました。

Facebookというのがお節介で、数年以上変更していないと「そろそろ変えや」と言ってくるんです。

確かに、使っていた写真は5年くらい前(もっと前かも?)のもの。

本人との乖離も気になるところです。

でもこれ以上のクオリティのものを撮れるような気がしない。。。

 

 

 

 

 

これは、プロのカメラマン、プロのヘアメークさんの手によるものなんです。

本人より2割増し、いや5割増しかも。

 

カメラは、伊田淑乃さん

ヘアメークは、川北善徳さん(Van Council)

 

二人ともファッション誌の仕事仲間で、いつもは美しい女優さん、モデルさん相手に仕事をしておられるのに、

わたしなんぞをやってもらっていいのか、、、という話なのですが、

伊田さんの「お年玉企画 プロフィール写真撮影をプレゼント」というのに当選したわたし。

なんと無料で撮ってくれるというんです!

 

それならば、と自費で川北さんにヘアメークをお願いして、

美しく仕上げてもらい、撮影に臨んだのでした。

 

写真室で正規料金をお支払いしても、

あまりたくさんは撮ってくれないし、候補写真もたくさんくれません。

決めの一枚を撮る感じですよね。

 

でもこの時、伊田さんは大量に撮ってくれて、

コンタクトシートもこんなにもたくさんくれました。

 

 

それを、編集者やライター仲間に見せて、どれがいいかな?と相談して。

女優さんの写真を選ぶときもそうですが、ご本人がいいと思う写真と、

編集側が選ぶ写真とが違うこともも多いんです。

わたしもそうでした。

自分的には、ちょっとすましたような写真を選んでしまうんですよね。

でもみんな「今泉さんぽい」写真を選ぶ。

一番上の写真が、一番得票数が多かった写真で、

TwitterもFacebookもそれにしました。

 

この頃、わたしには目論見もありました。

媒体から「プロフィール写真」を求められるような仕事を増やしていければ、と

思っていたんです。

自分の名前で発言したり、原稿を書いたりする仕事ですね。

二人にもそんな話をしましたっけ。

 

でも、全然そっちは広がらなかったショック

伊田さんも川北さんも力を入れてくれたのになあ。。。

こんなに大量にいい写真があるのに、1カットをTwitterとFacebookで使用しただけ。

いやん、あんなに張り切ってくれたのにごめんね。

なんなら遺影にも使う、と言っていましたが、生き延びております。

 

このまま、この素晴らしいクオリティのプロフィール写真を闇に葬るのは申し訳ないので、

ここに残しておこうと思います。

伊田さん、川北さん、どうもありがとうございました。

 

そして今、TwitterとFacebookで使っているのは、走っている時の写真。

 

Twitter

 

もちろん男子たちには許可をもらっています。

 

Facebook

 

どちらもメークはほぼしていないに近く、さらっとファンデーションを塗っているだけ。

カメラはスマホ。

自然な感じの写真が最近の流れかもしれませんね。

 

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:45 | 仕事 | comments(4) | trackbacks(0) |
陸上競技の兵庫県人会

兵庫県の陸上競技関係者の集まりに参加してきました。

兵庫で同時代に陸上競技をやっていたというだけで

なんとなく親近感が湧きすぐに打ち解けられます。


特に兵庫は、県合宿なども多かったからか仲がいいみたいです。

道子先輩によると、「静岡はここまで結束が固くない」とか。

駅伝が強かったのも一因かも。

報徳や西脇工業の方がいるとたいがい当時の駅伝の話になります。


男性はオタク的に陸上競技を愛している人も多く、

折りを見ては当時の記録集のページを繰ると誰かがいうと、

俺も俺もと声が上がりました。

なるほど!


敏子先輩の写真集を作っていた、という方には、

石原さんの写真もついでに撮ってました、と言われたりとか。


フォームの話になると、穴に入りたくなる私ですが、

Sくんから「愛ちゃんは左足が強い。それって速い人の特徴やねん」と言われ目を白黒。


たしかにわたしは左足が強いです。そんなことまで知ってたの?

というか、左足になんの意味が?

「それは、トラックが左回りだから?」と聞いたら、

いや、ランニング的にそうなの。その方が速く走れる。

との返事。

さらに聞きたかったのですが時間がありませんでした。


2月にランをご一緒したKさんからは、

「石原さんは気力で引っ張るタイプだね」と言われました。

たしかにそういうところがあるかもしれません。

だけど、一緒に走っていてそんなふうに感じるというのは、ランナーはランニングで対話しているのですね。

面白い。

 

そしてわたしが一番興奮したのは、

兵庫マスターズに深尾真美さんがエントリーされているという情報‼

ホームページで公開されていました。

また一緒に走らせていただけるなんて光栄です。

頑張ろう!


懐かしい先輩、懐かしい後輩とも会えて、とても楽しいひと時でした。




皆から痩せたと言われたのですが、

ヘアサロンで勧められるがままにかけたストレートパーマのせいだと思います。

体重も減ってはいるんですけども。

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 08:38 | ランニング | comments(0) | trackbacks(0) |
人生は儚いもの 反省なんて活かさなくていい。

レースが終わったらきちんとコースに向かってお辞儀しろ、

という指導を間違っている、というわけではありません。

鉢巻を忘れるのは、気合が足りないからだ! と怒るのもいいんです。

 

指導って、たぶんそういうものだと思います。

感謝とか規律とか、大事です。

わたしの例でいうと、指導を受ける側、つまり自分が注意すればいいことなんです。

「わたしは、ちょっと特殊なんだな」と。

とはいえ、皆さんがおっしゃる通り、わたしに東女体大はムリでしたよねしょんぼり

 

集中について語っていますが、それではどのレースもすべて集中していたのかというと、

そんなことはありません。

集中の度合いはレースによって異なりますし、

たいていのレースはそこまで消耗していないので、

お辞儀もちゃんとやっていました。

 

中三の時は、一年で一本もそこまで集中して走ったレースはなかったかも

(自己記録も更新できませんでした)。

原因は、ライバルの不在ですよね。

さほど集中しなくても勝てる状況だったのです。

ドーパミンが出ない。

 

中二の時は、頑張りました。

瀬渡加奈子先輩がいてくれたことが大きかったです。

たしか、勝つ時は僅差、負ける時は大差だったと思います。

つまり負ける時はもうはなから走れていません。

ちゃんと集中してないんです。

やはり、そこまで集中して毎回毎回走れるものでもない。

かなり体力を消耗しますし。。。

要するに、単純な走力ではまったくもって瀬渡さんに追いついてなかったと思います。

 

これもね、よく注意されたんです。

走れる時と、走れない時の差がありすぎると。

だけど「一本一本ていねいに走れ」とか言われても、それはムリってもんよ。

 

合宿などでも全然走れなくて、不思議がられましたが、

だって、それは「練習」やねんもん。

レースちゃうやん。

 

と、こう書いていくと、ほとほと指導者にとっては難しい選手だったんだな、

ということがよくわかります。

しかもシューズはスケッチャーズでご機嫌ですし(これは今の話ですが)。

そんなんで、熱心な指導者がムッとしないわけがないし、

大学時代、あんなに温厚な部で「やりにくかった」というのは、

わたしがいけませんね。

なんやねん、こいつ、って感じですよね。

 

わたしは、自分のランナーとしての特性を、これまでまったく理解していませんでした。

イヤらしい言い方をしますが、自分を「すごい」とも思ってなかったです。

速いという自覚すらなかった。

 

だから、自分と人を同列に語ることがあって、その態度は、きっと不興を買っていたのかも。

イラっとされるのはそういう時です。

「そんなにいっぱい練習するの?」と単純に尋ねてしまったりするので、ムッとされますショック

今もちょっとその傾向がありますよね(ごめんなさい)。

 

競技場で、自分が知らない人がわたしのことを知っていると、すごく戸惑いました。

なんでこの人、わたしのこと知ってるのかな?って感じです。

手紙をもらうと単純にうれしくて、電話番号を聞かれてもひょいひょい答えていました。

 

試合会場では基本テントから出ませんから、外の世界を知らなかった。

そりゃ、わたしだって水口東の田原さんがかっこいいことくらいは知ってましたが、

せいぜいその程度。

 

純粋培養の弱さというんでしょうか。品種改良していない古代小麦ですよね。

天候不順で簡単にやられてしまう。

 

道子先輩がわたしのことを「猛禽類のヒナ」と評したのはまさしくその通り、と思います。

 

これまでずっと、もうちょっとなんとかできなかったのかな、という思いに苛まれてきました。

ずっと辛かった。辛すぎて蓋をしていました。

栄光よりも挫折にとらわれていました。

 

多くの人の競技人生は、後半になるほど苦しい。

それをどう清算するか。

 

わたしはもうがっつり振り返ってしまいました。

ある人から言われたんですが、

わたしの場合「首だけ曲げるんじゃなくて、体ごと後ろに向き直るから、そこはもう後ろじゃない」らしい。

この振り返りが、人生の役に立つのか。

 

あのね、それは役に立ちません。

なんだろう。

そういうふうに考えることが嫌い(やっぱりヒナですね)。

この振り返りを今後の人生に役立てよう、とか思わない。

 

でも、そうですね。

陸上競技関係者と話ができるようになったのは、大きな財産です。

中学や高校、大学の同窓生たちと普通に話ができるようになったのも、

わたしが競技人生を振り返ったことが大きいです。

これまでずっと頑なに拒否していました。

 

だけど、反省が何かを生むとは思わない。

人生ってもっと儚いもの。

どれだけ失敗の原因を探ったところで、またおんなじ失敗をするのが人間です。

そういうところにいとしさを感じる。

どれだけ賢くなったって、試練はいつも形を変えてやってきます。

過去に意味があったとか、未来に役に立つとか、

そんなことより、今を楽しく生きることが大事。

 

高校時代のこと、2つ下の後輩も1つ下の後輩も同級生も、

みんな口を揃えて「楽しそうにしていた」と言います。

あんなにどん底だったのに。

でもきっと今を楽しく生きていたんでしょうね。

これからもそうしよう。

 

最近、マスターズで走り始めましたが、

まだ、集中できる状況ではありません。

それができるほど体が仕上がっていません。

 

そもそもおばはんが、そこまで集中できるのかどうか。

どうなんでしょうか。

それはもはやどうでもいいですね。

楽しく走れればいい。

 

ちなみに、集中力云々の話は競技人格です。

仕事や家事は、普通にこなしていますし、

まあまあ普通のお母さんで、ライターとしては普通に真っ当な仕事人です。

 

でも、なんとなく、わたしは今後、競技人格優位になっていく気がする。

それが何を意味するかはわかりませんが。。。

人生が破綻しないといいのですが、たぶんそれは大丈夫でしょう。

 

というわけで、本日は神戸で兵庫県人会。その前に、ちょっとランも。

楽しみ楽しい

 

 

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 07:18 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |
才能を出しきるために必要なこと

私たちの時代、レースが終わった後、コースに向かってお辞儀をするのが一般的でした。

今もそうなのかな?

駅伝なんかはわりと今もやっていますね。

 

その姿を見ていると、そんな余裕があるんだな、とよく思います。

わたしの場合、全力を出し切ってしまうと、レース後にそういう余裕はありません。

頭の中がからっぽなんです。

 

マラソンのレース後に選手がインタビューで「沿道の応援がうれしかった」と答えているのも

なんとなくピンとこない。

マラソンは走ったことがないので、ピンとこないのは当たり前なのですが、

沿道の応援が耳に入るんだな、、、というところが、なんとなくわからない部分です。

わたしはたぶん聞こえないし、見えない。

 

わたしは、ちょっと過集中の傾向があって、たぶん「力を出し切る」力が強いのだと思います。

だから、根本的な走る能力が高いかというと、、、どうかな。さほど高くない気がします。

練習などではまるで走れませんし。

 

でも集中するためには、井戸に潜る必要があって。

そして出しきるためにはライバルも必要で。

 

高校一年のインターハイの時、先生から開会式に出る、と言われたのですが、

一般的には、上位を目指している選手は、開会式には出ません。

炎天下に立ちっぱなしですし、体力を消耗しますからね。

朝から明石を出て、新横浜で新幹線を降りて、横浜駅から三ツ沢の競技場まで30分以上坂を延々と上って、

開会式では夏空の下、立ちっぱなし。

終わったら、先生がいろんな知り合いに挨拶に行くのに付き合って。

そして再び30分歩いて横浜駅へ。

そこから宿舎のある渋谷へ。

 

当時は「先生についていこう!」「言いつけを守ろう!」と本気で思っていましたし、

練習日誌を見ていても、不満は一言も書いていません。

無我夢中。一所懸命。

だけど、井戸に蓋をしていた感は否めません。

そんなことをしていたら、集中できない。

 

よく受験の悩み相談などで「集中できません」というのがありますが、

わたしの場合は、シャットダウン機能が標準装備、みたいな。

雑音を聞こえなくできる。

だけど、開会式に出たりしているとやっぱり気持ちがとっちらかってしまいます。

 

基本、試合会場では、ほとんど人と話をしないですし、人のレースも見ません。

ひたすらボーッとしています。

 

この前、陸上関係者の兵庫県人会に出て、同級生男子の話を聞いていると、

当時、兵庫の5000mは激戦だったんですね。

みんな速かったもんね。

今ごろ知りました。。。きっとわたし、あまりちゃんと見てなかったのだな(ごめんね)。

 

中村敏子先輩に「先輩も、人のレースとか見てなかったですよね?」と聞いたら

「たしかに人のレースは見てなかったけど、わたしはチャラチャラしてたよ〜」と朗らかに笑ってらして、

織田道子先輩にも聞いてみたら、

「わたしは、最後のマイルリレーを見るのが好きだったなー」と目がハート型です。

かわいすぎ。

わたしは純粋培養すぎますね。そこがあかん。

 

インターハイの開会式の話は一例で、あの場合、体力の消耗もそうですが、気力もかなり削がれてしまった。

例えば、指導者から「今日のレースで、最後コースを出る時、お辞儀を忘れてただろ!」と

怒られたりしたら、たちまち混乱するでしょう。

指導者のいうことは正しいと思っていますから、次のレースでは「お辞儀、お辞儀、お辞儀」と

きっと心したと思うんですけど、そしたらあんまり走れません。

 

兵庫の同級生男子が、レース前に鉢巻を忘れたのに気づいて、

スタート前にテントまでダッシュで取りに行った(先生に怒られるから)話をしてくれたのですが、

そういうのもかなり厳しい。わたしには。

 

鉢巻を忘れてはいけなくて、レース後はお辞儀もしなくてはいけなくて、

それで集中するのは難しい。

もちろん人によるでしょうけどね。
というか、本気で集中するレースは、年に何本かです。
すべてのレースで本気で集中するわけではありません。
余力がある時は、しっかりとレース後お辞儀はしていました。

 

だけどわたしは、才能をどうコントロールするかについて、自覚がありませんでした。

自身の集中力についての自覚もなかった。

他人の常識とうまく渡り合う大人ぽさにも欠けていましたね。

高校時代の先生は、まあ普通に、一般的な指導だったのかもしれません。

 

相手を否定せずに、自分のやり方を通す。

「わたしは、こうしたい」と丁寧に伝えるやり方。

難しいけれど、そこが一番大切なポイントだったと思います。

高校生のわたしには、できませんでした。

 

大ヒットした書籍『GRIT やり抜く力』には、

成功者の共通点は、才能ではなく「GRIT」だったとあります。

才能はあったけど、やり抜く力がなかったのね。わたしは。

 

だけど、当てはまるところもありました。

成功する人の条件は、当然、成功するジャンルによっても違うそうです。

ビジネスなのか、芸術なのか、はたまたスポーツなのか。

 

アスリートは「勝利のスリル」が最高の刺激になる、と思うタイプがいいとか。

わたしは、これですね。

勝ち負けが大好き。最高にワクワクします。

 

以前、バドミントン選手が賭け事にはまって問題になりましたが、

アスリートは、そういう場面でドーパミンが最高潮になる傾向はきっとありますね。

わたしは、賭け事にはまったく興味がありませんが、競争は大好きです。

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:10 | ランナー時代 | comments(0) | trackbacks(0) |