走ることが、やっぱり好きですね。
走っているとウキウキしますし、走っていない時も、走ることを考えるとウキウキします。
この「好き」にたどり着くまで、紆余曲折がありました。
そもそもわたしは大学卒業時に、きっぱり走ることと縁を切りました。
容赦なく。
自分は競技のない世界で生きていこうと思ったのです。
普通に楽しく生きていました。
その「楽しく」の内容は、
料理教室に通ったり、興味のあるイベントに足を運んだり(阿佐ヶ谷のloft Aにもよく行きました)、
美術館に行ったり、映画を見たり、英会話を習ったり、妖精研究に精を出したり、おいしいレストランを食べ歩いたり、でした。
ベリーダンスや太極拳もやりました。
どれも楽しかった。
でもちょっとさまよっている感がありました。
「暇つぶし」の域を出なかったのです。
日々を楽しく過ごしたい、という欲望に答えるために、あれこれやりたいことを探していた感じ。
悪いことではないのです。それでも十分楽しかったし、友達も増えました。
だけど、なんとなく物足りなさがありました。
もっとのめり込みたい。
競技から離れて以来ずっと、わたしは「あれもこれも」人生だったんです。
楽しいことは全部やってみたい。
気になるイベントには足を運びたいし、世間で評判の絵画展を見逃したくない。
そんな時に『松平家のおかたづけ』という本をお手伝いしました。
この本を書いていて、ものの整理整頓は、心の整理整頓と繋がっていることを強く感じました。
ものが捨てられないのは執着があるから。
としたら、自分は何に執着しているのかを考える。
いろいろ見えてくるんですよね。
わたしの場合は、たいてい「思い出」でした。
その本を読んだ時の心の動き、その服を買った時のシチュエーション、
プレゼントされた時の幸せな気持ち。
そういう思い出を大切にしたい性分なんです。
人によっては「もったいない」という気持ちだったりもするでしょう。
何に執着しているかといえば、お金だったり、
親から受け継いできた「もったいない精神」だったり、
未来への可能性だったり、捨てて後悔したくないという意地だったり。
未来への可能性というのは、何かに使えるのでは? という期待。
捨てられないのは物というより「期待」なんです。
そういう期待を、ムダなものというつもりはありません。
あってもいいんです。というかまあ、人間にありがちな心理です。
なんだけど、わたしは単純に、それを捨てると気持ちいいだろうなと思いました。
ベリーダンス関係の衣装もたくさん溜まっていたのですが、思い切って処分しました。
もう踊らなくなって長いのに、それでも「またやりたくなるかもしれない」という気持ちが捨てられなくて、
ずっとタンスにしまってあったんです。
楽しい思い出もいっぱいありました。
でもふと「もうやらないよ」と思ったんです。
踊ることは楽しいけれど、なかなかうまくならないからストレスも多い。
うまくならなくても、何か心に引っかかるものがあれば続けていいのです。
上手じゃないけど、楽しいと思えればいい。
だけどわたしは、そこまで夢中になれない。
縁がないってことなんですよね。
それなのに、きっぱり断ち切れない。
いつか上手に踊れるようになるかも。
何かきっかけがあれば、もっと楽しくなるかもと期待する。
可能性にすがってしまうんです。
でもそんな日は来ない。
それできっぱりものを処分しました。
その頃から、生活がシンプルになりました。
それまでは、楽しいイベントを見逃したくなくて、いつもあれこれチェックしていましたし、
展覧会の案内やコンサートの予告チラシなどもとってありました。
だけど、すぐに捨てられるようになった。
行く可能性がないとその場で判断できるようになったんです。
可能性はいつだってどんなことにだってあります。
あると思えばあるんです。
東大に入学できる可能性はゼロではありませんし、
冷たい彼が自分に振り向いてくれる可能性もゼロじゃない。
いつかヤセてまたこのスカートがはけるようになる可能性もあるし、
いつかベリーダンスが飛躍的にうまくなる可能性だってないわけじゃない。
友人の展覧会に足を運ぶ可能性を捨てることは、友人に冷たくすることとイコールじゃない。
そこをうまく切り離せられるかどうか。
そんな可能性にすがるより現実を見ることができるか。
可能性にすがってしまうのは、現実から逃げているからだと思います。
そういう心の整理整頓があって、ランニングと再会できました。
走り始めた時に「これだ!」と思えたのです。
「あれもこれも」から抜け出せた。
そうなると止まりません
夢中になっています。
最近は若い人たちもよく「好き」が見つからないと言っています。
わたしもそうだったんです。
わたしの「好き」ってなんだろう?と真剣に悩んでいました。
だから、あらゆることに手を出した。
ライターとしてもなかなか専門分野が見つからなくて右往左往していましたよね。
でもまずは、心から「可能性」という名の期待を追い出してみる。
すると、何かがポンと飛び込んできます。
迷いなく「好き」をキャッチできるんです。
あれもこれもと可能性にすがってばかりだと、「ポン」と何かが飛び込む隙がない。
あれもこれもと欲張って手放せずにいる「可能性」の中には、本当の可能性はないってことです。