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ライター今泉愛子のブログです
毎朝、新しい自分と出会う

自分自身の置かれた状況を特別だと思ってしまうと、なかなかその状況から抜け出せません。

仕事でも恋愛でも、あるいは家族の状況、友人との関係においても、

こんなにつらい経験をしているのは自分だけ、と思っていると、その状況に執着してしまう。

抜け出すきっかけを自ら潰すようなもの。

 

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なぜ自分はこんなにひどい目に合わないといけないのか。

気が弱いから? 自信がないから? 美人じゃないから? 性格が暗いから?

そもそも環境が最悪。同僚とも気が合わない。

 

そんなふうに原因を探ったところで解決しない。

不幸な自分に酔うだけ。

 

「なぜ」にこだわるな、というのは、多くの自己啓発本がいうところです。

「なぜ」というのは、過去へのこだわり。変えられないことへの執着。

なぜあの人は私に意地悪をするのか。

なぜ私はブスなのか。

なぜ夫は自分に感謝してくれないのか。

なぜ私は運が悪いのか。

 

そういうことを考えても答えは見つからない。

見つからないものを考えても時間のムダ。

だけど考えてしまうのは、自分に酔っているから。

 

愚痴る人は、解決方法を提示しても喜びません。

でも、だって、と今の自分を肯定することを選びます。

つらい状況に耐えている自分が好き。

 

少しでも状況を変えたいなら、自分にこだわらないこと。

自分の不幸に酔わないこと。

自分が特別な状況に置かれていると思わない。

今の状況をすべて飲み込んだ上で、じゃあどうするかを考える。

 

私もずっとあらゆることにおいて原因探しをし続けて、ドツボにはまっていました。

自己主張がうまくないこと。

それゆえ、人から軽く見られること。

生い立ちだの性格だのあれこれ原因探しをしました。

 

この一年の「自分がランナーとして大成しなかった理由探し」はその最終章みたいな感じですが、

これだけは理由探しをしてよかったと思います。ダメなところから抜け出すきっかけになった。

というのは、徹底的に考え抜いたから。

 

要は、原因なんて何もない。

あるいは原因だらけで特定できない。

もちろん、指導者に恵まれた人の話を聞くと今でもうらやましいし、

練習環境、ライバルの存在、体型、資質、メンタル、運と

あらゆるものを自分と他人を比較して考えました。

 

だけど、いいこともあれば悪いこともあって、そのせめぎあいの中で人生はあって、

偶然とか運に翻弄されて、うまくいくこともあればうまくいかないこともあって、

そこにこだわる意味は、何もない。

 

何もないけど、もし抗うとしたら、それには強さが必要。

私にはその強さが欠けていた。

ただその強さの欠落というのは特別なことではないし、そこにこだわっても仕方ない。

素質があったのに、とかね、思いがちですよ。

思いがちだけど、そんな例はスポーツ界に山ほどあります。

ありがちな失敗例の一つに過ぎない。

それでようやく考えることに意味がないとわかった。

 

つねに「今」がスタート地点だから。

人生はいつだってやり直しがきく。

毎日同じことの繰り返しだったとしても、

今、やり方を変えればいい。

今、心の持ちようを変えるだけでいい。

毎日そうやって、新しい自分と出会う。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:57 | 人生 | comments(6) | trackbacks(0) |
強さの裏側にあるもの

前の記事を読んで、「生きるのがつらくてグダグダ」な人が

フィンランドへひとり旅に行くのかな? と思いました楽しい

 

日本語のできない外国人が初めて日本に来ていきなり恐山を目指すようなもので、

よっぽどの変わり者でもない限りそこに行こうとはしませんよね。

そこがわたしのムダにエネルギーのある部分かもしれません。

 

首都ヘルシンキは、フィンランドの南端

私は夜行列車とバスを乗り継いで北端のノルウェイとの国境付近まで行きました

 

その頃、なぜそこまで落ち込んでいたかというと、

ライターとして一段上のステージに立ちつつあったのですが、

そこはこれまでのやり方が通用しないステージで、

どう振る舞っていいかがわからずおどおどしていました。

だけどそうして丸腰でいると、踏み倒されそうになる。

 

駆け出し時代のわたしは、とても使い勝手のいいライターでした。

与えられた仕事を、文句ひとつ言わず、ガツガツとこなして行く。

つねに謙虚で従順でした。

けっこう重宝されていたと思います。

 

だけど、もう少し高いステージに立とうとすると、

それまで通りニコニコ働くやり方では、通用しない。

力と力のせめぎ合いで、うかうかしていると仕事相手に呑み込まれてしまう。

インタビューなんて、そうです。

 

なんでこんなに、軽く見られるんだろう。

なんでこんなに、ひどい目にあうんだろう。

わたし、何か悪いことした?

そんなことばかり考えては落ち込んでいました。

 

落ち込んで、落ち込んで、もう消えそうになっていたのが2011年だと思います。

どうにもこうにもつらかった。

でもそこで、必死に踏ん張りました。

 

わたしが人から軽んじられるのは、

「わたしのこと軽く扱ってくださって結構です」という顔をしているから。

ランナー人格だけは強気ですが、普段は弱気なんです。

どこへ行ってもニコニコしているだけです。

自分自身に謙虚であることを課してもいました。

 

かなり悩んで、うじうじして、

それで最初にしたのが、自分を軽く扱う人、不快な想いをさせる人とは付き合わないことでした。

簡単なようですが、フリーランスとしては苦渋の決断です。

付き合う相手を選ぶほどのタマなのか、と自問自答しましたが、

でも、ここで踏ん張らないと、と必死でした。

 

仕事が減ってもいい。

このままだと自分が潰される。

そう思って、とにかく懸命に持ちこたえました。

あの頃の踏ん張りがあって、今があります。

 

だけど振り返れば、なぜあそこまでいじいじしていたのかと思います。

それはきっと、わたし自身が自分の弱さを愛していたから。

だから抜け出せない。

 

堂々と自己主張する人より、いじいじする人にシンパシーを感じる。

いじいじする人の方が「人間くさい」「人情味がある」「親しみがわく」と思ってしまう。

栄光をつかんだ勝者より、努力が叶わない敗者が好きだったんです。

 

女性誌によく出てくるインタビュー記事は、たいてい勝者の弁です。

勝った人が、勝つ喜びをとうとうと語る。

「わたしはこうして幸せを手に入れました」

「失敗を糧に頑張ったんです」

 

そういうのを読んでは落ち込んでいました。

自分と違いすぎる。

 

ところが、です。

少しずつ、堂々と自己主張する人の強さに惹かれるようになりました。

勝間和代さん、林真理子さん、ホリエモン。

彼らの強さの裏側もわかるようになってきた。

 

最近でいうなら、小泉今日子さんです。

妻ある人との恋愛宣言なんて、どう考えてもツッコミどころ満載で、

非難されることは容易に想像がつきます。

40年近く芸能界にいる彼女がそれを知らないわけがない。

 

だけどあえて発言する。

芸能人という立場で、自分の意思をあんなにもストレートに表明できる人は少ない。

 

結果的に、豊原さんを守ることにもなりました。

わたしが、彼のことを好きなんです。

わたしが、彼のことを好きになりました。

 

そう宣言することで、豊原さんは、妻がいるのに女に手を出すだらしない男、

という世間の評価から逃れられました。

豊原さんへの非難を、自分への非難に向けた小泉今日子の潔さ。

 

そもそも芸能界では、不倫は女性に不利です。

ベッキーも斉藤由貴もずいぶんと大変な想いをしています。

そういう状況も、すべて知った上での決断。

 

人から意地悪されて、いじいじしていた頃のわたしだったら、

小泉さんの振る舞いを、非難していたかもしれません。

豊原さんの奥さんがかわいそう、と思ったはず。

 

それはわたしが「弱者」の立場にいたから。

強い人に傷つけられる弱者に、いつも同情していました。

 

強い人ってひどい。

弱者を踏みにじってまで成功したいのか。

それで成功してうれしいのか。

そう考えてはイライラしていました。

 

小泉さんは、当然奥さんのことも考えたと思います。

発言にもありました。

 

社会は、弱者に寛容ですから、弱者を味方した方が得です。

ワイドショーのコメンテーターは必ず弱者の味方をします。

 

そんなの百も承知の小泉さんなのに、

しおらしく涙を浮かべて「奥様には申し訳ないと思っています」と発言することを選ばなかった。

無頓着なんじゃない。

選ばなかったということ。

 

それを傲慢と取る人ももちろんいると思いますが、

わたしは、あの強さにしびれます。

もっと強くなりたい。

 

フィンランドのトナカイ

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 10:00 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
欲しいものを全力で取りに行く

なにかの拍子に二年近く前に自分が書いていたブログの記事を読んだら、

自分が書いたものとは思えないほど、理解に苦しみました。

 

文章もわかりにくいのですが、その時の心情が全くもってわからない。

いやいやいや。

人って変わるものですね。

 

振り返れば、東日本大震災のあった2011年。

メンタルが最底辺にありまして、グダグダでした。

生きるのがつらかったショック

どうにもこうにも。

 

それで夏に、フィンランドへひとり旅に行きました。

フィンランド語もスウェーデン語も話せないし、英語も壊滅状態のわたしが、

ヘルシンキから20時間近くかけて、人里離れた北の果てまで行って、

よく言えば、自分と向き合った。

あの時、自分が何をしたかったのかがわかりません。

結婚以来、というより生まれて初めてのひとり旅。

 

そこで、わたしの人生を滅ぼすのは不安だな、と気づきました。

ひとり旅って、不安だらけなんです。

いまこの瞬間、何者かに襲われたらどうしよう?とつねに考えています。

雨が降ったら? 転んだら? パスポートをなくしたら? お財布を盗まれたら? 

ホテルではなくコテージを借りて宿泊したので、基本誰とも接点がない。

わたしが死んでも誰も探してくれないんだと思うと不安でたまらない。

 

不安が不安を呼び込んで、散歩の最中ですら足がすくむ。

寒々しい原野で、いまここで転んだら致命傷だよ!と脳が警報を鳴らすんです。

そんな簡単に転ばないから。

転んだって大したことないから。

必死で自分に言い聞かせても、次から次へと不安が襲ってくる。

だめ。無理。やめとけ。

文字通り、足がすくんで動けなくなる。

どうしたって前に進めない。

 

フィンランドのキルピスヤルビ付近

 

「不安」にとって一番いいのは、部屋で何もしないでゴロゴロしていることです。

不安ってこれほど、行動を邪魔するものなんだ。

そんなことに気づいたのが2011年ですが、

そこからまだずっとトンネルの中でもがいていました。

長い。

ずっとうじうじして、自分に自信が持てなくて。

 

自分が不安につぶされている、と気づいたのに、

それでもうじうじから抜け出せなかったのは、

自分が人生に何を求めているかがわからなかったから。

 

で、その「欲しいもの」はなんですか? と問われれば、

めちゃくちゃしょうもないのですが、

自分らしく生きること。

 

そこにたどり着くのに、こんなに時間がかかったのは、

自分が何者かがわからなかったから。

 

それじゃあ、自分が何者かと問われれば、

何者でもない、ということ。

 

禅問答みたいですけど、

自分の小ささを自覚しつつ、それでも精一杯、今を生きるってことが大事なのでしょう。

 

フィンランド旅行から帰ってきて、

何かを得たような気がしたのに、人生は全然好転しませんでした。

相変わらず自分に自信がなくて、うじうじしていた。

 

でもここにきてようやく「あれが転機だった」と思えるようになりました。

転機ってそんなもんです。

転機の最中に「これが転機だ」とは思えない。

人生を変えるのには、時間がかかります。

それでも諦めずに、自分が欲しいものを全力で取りに行く。

 

そういう長いスパンで人生をとらえられるようになったのは、年の功でしょうか。

よっしゃ、あと50年生きたる楽しい

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:14 | 人生 | comments(0) | trackbacks(0) |
人間関係に上下を持ちこまない

「下に見る」という表現は、ここ数年よく使われるようになった言葉でしょうか。

わたしは、人を上に見たり下に見たりするのがあまり得意ではなくて、

というのは、たいてい自分が好きな人に対しては、敬意があります。

 

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敬意って、相手の方が自分より立派だという比較で成り立つのではなく、

その人を全体として愛することとイコールです。

いいとか悪いとか、上とか下とか関係がない。

 

どんなにダメンズでも好きだと思えばそこには敬意があります。

この人はこの人なりに、他人に愛されたい気持ちでいっぱいなんだな、と思うと、

愛しくなるし、それはそれですごいことだな、と思うと敬意が芽生えます。

 

わたしはある種のがんばり教で、がんばるのが大好きですが、

がんばり方に基準があるわけではありません。

全中で決勝に残った人だけががんばった人で、

その人たちとだけ仲良くしましょうね、ということでもない。

 

以前「中学時代にバレーボールをやっていて、強豪校に進学したのだけど、

高校ではレギュラーに入れませんでした。だけど、ブログを読んでいるとあの時代がすごく懐かしいです」

とメールをいただいたことがあって、すごくうれしかったです。

お互い頑張ってましたよねって。

そういう感覚を共有できることがうれしいし、相手への敬意が芽生えます。

そこに上も下もありません。

 

そんなわたしが嫌われるのは、上か下かを気にする人。

相手は、常に自分が上か下かを気にするので、わたしの態度は無頓着すぎる。

俺様をもっと尊重しろと。

わたしをもっと褒めろと。

時に意地悪されることもあります。

 

気持ちはわかる。

わかるけど、たいていそういう人は、自分のすごさを勘違いしています。

あなたのすごさは、肩書きじゃないですよ。

テレビに出ていることや本を出したことではなくて、

栄光を手にしたことや並々ならぬ苦労したことではなくて、

そうやって、わたしに意地悪せずにはいられないくらい自己主張の強いところですよ、と

言いたくなるのですが、そこまで言えない。さすがのわたしも楽しい

 

ちやほやするのが、よいしょするのが、苦手ですが、

それではライター業は務まらないので、必要に応じてやっているつもりではあります。

 

社会では適当にちやほやしとけばいい、よいしょしとけば喜ぶから、とよく言われます。

生き残るためには、重要なスキルです。

体育会系人材が重宝されるのは、そういうことを嫌味なくできるから、

という部分もあると思う。

だけど、そこに敬意はあるんかいなと。

 

体育会の先輩後輩関係で、この部分がわたしは一番なじめなかったです。

先輩というだけで、尊敬しなくてはならなくて、

だけど、人間的には「下」に思えることもあって、

だけど、とりあえず「上」として扱いましょうって。

そのためのちやほややよいしょは、ある意味生き残るための処世術。

そのねじれ方がどうも居心地が悪い。

 

「下に見る」って、必ずしも上の人が下の人を「下に見る」わけではありません。

むしろ下の人が、上の人を「下に見たい」欲望で「下に見る」ことが多い。

 

「東大生って使えないよね」ってのもそれ。

「あの女優、絶対整形してる!」ってのもそれ。

明らかに自分より上の相手をなんとか貶めたい。

「下に見る」ことで、自分のコンプレックスをごまかしたい。

 

わたしは、そういう上や下が存在する世界で生きるつもりはなくて、

年齢も肩書きも年収も学歴も住んでいる場所も、

競技でいうなら実績も、何も関係なく、

ただ、好きな人と、愛と敬意を分かちあいたい。

 

 

※昨日の記事で、全中800m決勝メンバー6人だけを上げていて、

いやでも決勝は8人で走ったよね、、、と思い、調べました。

抜けていたお2人、失礼しました。書き足しました。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:28 | 人生 | comments(2) | trackbacks(0) |
懐かしい仲間からのメール

先日、同級生ランナー山口県の中村朋恵ちゃんがメールをくれました!

全日本中学選手権の決勝で一緒に走りましたよね。

 

大國美喜子ちゃん、横須賀久乃ちゃんに加え、朋恵ちゃんとも繋がりましたので、

小島和恵ちゃん、鈴木久美ちゃんもどうしているだろうか、というところ。

兵庫の後輩、布村直子ちゃんもいましたね。

あと一人決勝に残っていたのは、山菅篤子ちゃん。

ほっそりとした美人さんでしたよね。

もし見たらメールくださいね。

 

朋恵ちゃんからは、当時はちょっと怖かったと言われたんですが、

たしかにあの頃、同級生とは「わたしは違うのよ」的なスタンスがあったかもしれませんね。

許して。

 

そういう時代を乗り越えて、今さら繋がったからなんなんだ、という話でもあるのですが、

まあ、おばはんの道楽ってことで楽しい

 

だけど、なんでしょうね。

道子先輩もそうですけど、敏子先輩や泰子ちゃんも、

話をするととても楽しくて、どこか何か価値観が共有できるんですよね。

 

みんな視点が高かったり広かったり、

人を上に見たり下に見たりしないし、

お付き合いしていてとても楽しいです。

 

朋恵ちゃんにとって道子先輩は「神」だそうで、それはまさしくそうです。

だけど一緒に食事をしていて、ふと気づくとわたしが上座に座っていたりして、

数日後に「はっ」とするのですが、でもわたし自身、道子先輩には尊敬と愛があります。

 

道子先輩に限らず、敏子先輩も泰子ちゃんも、

お互いのやってきたことや、考えてきたこと、迷ったり悩んだりしたこと、

栄光と挫折、運と不運、努力と希望、そういう話をいつもするわけではないけれど、

感覚をなんとなく共有できて、だから落ち着く。

 

深尾真美さんともLINEで繋がっていてたまにご連絡するのですが、

やっぱりそこにも尊敬と愛があるんです。

 

かつておしゃべりしたこともないのに、

ただ一緒に走ったことがあるというだけで、なぜここまで心地いい関係になれるのか。

ほんと不思議です。

 

そういう中でわたしはやっぱり、競技的にはちょっと変人なのかな、と思ったりします。

だけど、だからと言って距離を置かれたりしないから、うれしい。

 

美喜ちゃん、久乃ちゃんとはまだゆっくり話せていませんが、また今度ゆっくりと。

 

朋恵ちゃんは「妻鹿久美子」で検索してたどり着いてくれたとか。

どこかでまたどなたかと繋がれたらうれしいです。

繋がることに深い意味はないので、気楽にメールをいただければと思っております!

 

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すごく古い教科書の表紙。

307は、わたし。

フォームがめちゃくちゃ。

1は、鈴木久美ちゃんですね。

 

直木賞作家の桜木紫乃さんをインタビューした時、

久美ちゃんと中学の同級生とわかり、お聞きしたら「いつも走っていましたよ!」とおっしゃっていました。

釧路の大地を黙々と走る久美ちゃんを想像して「頑張ってたんだなあ」としみじみしました。

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 09:52 | ランナー時代 | comments(4) | trackbacks(0) |
ルネサンス 3時間リレーマラソン

昨日は、大学時代の後輩に誘われて、ルネサンス3時間リレーマラソンを走ってきました。

1人900mほどでチームは9人編成。わたしは6回走りました。

最後まで走りきれるのかと不安になりましたが、無事終了。

 

先日ラン友のNさんから6時間のリレーマラソンに誘われたのですが、

それはもうどう考えてもムリっぽい。

6時間という長さにビビる。

 

しかし昨日ご一緒した方たちとも話をしていて気づいたのは、

長く走ることは、苦痛でないとおっしゃる方が多い。

そうなの??

 

わたしは、パーっと走ってパーっと終わりたい。

とにかく長いと飽きる。

ゆっくり走っていると、何を考えていればいいかがわからない。

我慢強くない。飽きっぽい。

心拍数をガツっとあげないと走った気がしない。

でもこの心境、あまりわかってもらえませんでした。

 

とりあえず、3時間で900m5本というのは

なかなか良いトレーニングになりました。

 

25日のレースが近づいていますが、

なんとはなしに、12月の子午線マラソン前よりも調子が良くありません。

あの頃、1000mのインターバルを、4’15”切って5本やれたんですよね。

今はできるかな、、、

だけど、その程度で足踏みしていいのだろうか、という葛藤もあります。

やっぱり20分は切らないと一人前とは言えない(自分的に)。

とは言いつつトシも取っていくわけで、あまり焦っても仕方がない(と自分に言い聞かせる)。

 

この辺りのバランスの取り方が今後のポイントでしょうか。

でもまだもうちょっといけるかな?

 

誘ってくれたUくんとは、夏の練習会でもご一緒しましたが、

女子の後輩Kちゃんとは、昨日20年ぶりくらいに再会。

相変わらずのKちゃん節で笑わせてくれました。

なんであんなに面白いんだろう。

 

ルネサンスには大学の卒業生も就職して頑張っているようです。

今回はクラブ対抗で、うちの近所のルネサンスチームも参加していました。

けっこう速かった!

ランニング、いろんなところにご縁がありそうですね!

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 03:59 | ランニング | comments(0) | trackbacks(0) |
運の流れを変えるには?

蔵王に行ってきました。

木曜の昼前に出発して、夕方到着。

この日は「ナイトクルーザー号で行く蔵王樹氷幻想回廊ツアー」に参加して

夜の山に繰り出したのですが、後で気づいたことに、山頂には行っていませんでした。

樹氷はライトアップされていましたが、全てお膳立てされていてなんとなく物足りない。

 

というわけで金曜日は、スキー道具を借りてロープウェイ2台を乗り継ぎ山頂へ。

ところが、視界ゼロに近い猛吹雪で、何も見えない。

スキーも困難なほどで、立っていると自分が樹氷になりそうでした。

午後、少し晴れ間が出てきたので、もしや、と思い、再び山頂を目指しましたが、

やっぱり猛吹雪しょんぼり

 

今回はムリかなーと思っていたら、

土曜日、快晴です!

 

 

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やったー!

思えば、年初からツイてませんでしたが、ようやく運が巡ってきた感じがします楽しい

よっしゃー!

 

スポーツ選手だった頃、わたしは、運は一切気にしませんでした。

というか、わたし中心に運が回ってる、くらいの感覚で、

試合に向けて身体のコンディショニングだけじゃなく、運もコンディショニングする感じでした。

ゲンなんて何もかつぎません。

そういうことをやりだすと面倒くさくなりそうで、それなら最初から何も考えない方がラク。

 

ところがライターになって、運というより運気というものが何となくあって、

落ちたり上がったりしているような感じを覚えました。

仕事が順調な時、不調な時があって波のようなものを肌で感じる。

 

若い頃は、占いに行ったりもしたんです。

わたしの業界は、みんな占いが好きなので「占い師情報」はすぐ手に入ります。

だけどわたしは、単に占い師に励ましてもらいたかっただけだった。

 

ある先生に「白磁の器を用意して」とアドバイスされて、

近くの器屋に入ったら、ぴったりの白磁の器があって、即買ったんですけど、

あれ、先生と器屋はグルだったんじゃなかろうか?

 

別の先生からはひどいことを言われて、

「あなたにわたしの人生の良し悪しをいう権限はない!」と怒り心頭。

結局、自分の人生は自分で考えるしかないという当たり前のことに気づきました。

 

運気はあっても巡るものだし、いい時もあれば悪い時もあって、

悪い時はジタバタしても仕方ない。

 

先日、自宅でスマホが見当たらなくて、その時とっさに「なくした!」と思いました。

最近ツイてないからスマホもなくしたんだ、と思い込んでしまったんです。

家中探しましたが、「なくした」と頭が思い込んでしまって身が入りません。

結局、うちにあったんですけど楽しい

運の悪さを自分で呼び込もうとしていたみたい。

 

自分の人生の主役って自分なんです。

主演。

だからどう演じるかは自分で決めていい。

悲劇にするも喜劇にするも自分次第。

 

運の流れは、自然と変わることが多いです。

のんびり待てばいい。

だけどもし自分でなんとかしたいと思うなら、

まずは、自分で変えられると自覚すること。

 

運気はきっとあります。

台本は選べない。

だけど意見することはできるし、どう演じるかは自分で考えればいい。

喜びの表現だって、いくつものパターンがあります。

 

つらいとき、愚痴りまくってしまうことがあります。

でもそれは、自分が愚痴ることを選んでいるから。

こんなにつらいんだから愚痴って当然、ではない。

そこの踏ん張りが、主演女優としての意地だと思います。

ここは、わたしの舞台なのよ。

わたしが支配するわ、という。

 

支配できないってわかってる。

わかっているけど、支配できる瞬間がたまにあることを知っている。
その瞬間のために、踏ん張る。

 

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posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 04:39 | | comments(0) | trackbacks(0) |
トレーニング日記 ラン以外のトレーニングメニュー

ウェイトトレーニング、体幹トレーニング、プライオメトリクストレーニングという

3本立てのメニューを考えました。

 

ウェイトトレーニングは週2回、体幹トレーニングとプライオメトリクスは

残りの週5回でやろうと思っています。

 

ウェイトトレーニングは、

マシンを使って、ラットプルダウンとチェストプレス

ダンベルを使って、スクワットとフロントランジ

チューブを使って、足上げ

 

ウェイトトレーニングでは、広背筋や大胸筋など大きな筋肉を鍛えようとしています。

 

体幹トレーニングは、

片足ヒップリフト、サイドプランク、ダイアゴナルプランク、バックブリッジ

 

プライオメトリクストレーニングは、

ジャンプ系ですね。

 

参考にしたのは、こちらの4冊。

筋トレぴろっきーさんのブログもわかりやすいです。

 

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今はもう、調べようと思えばどれくらいでも調べられますし、

メニューだって多種多様。

 

わたしはもともと筋トレをやったことがなく、

筋力も果てしなく弱くて(ダンベルを持っていると、持つこと自体に疲れます。握力がないので)、

あまり欲張らないでやっていくのが良いかと思っています。

 

チューブは、ラン友のSさんが負荷が弱くてご自身が使わないチューブをくださいました。

これ、腸腰筋に良いのでは、と思ったので使っています。

 

もともとわたしは、トレーナーの泰子ちゃんからトレーニングメニューの指導を受けていました。

だからどの筋肉を大事にすればいいかがなんとなくわかっていたのは大きいです。

今回も、ちょこちょこと相談に乗ってもらいました。

 

今後は週2回を目安に、近所にある区のトレセンに通うつもりです。

どんどん痩せて、そしてこれからはどんどんマッチョな女になっていくのですが、いいんでしょうか。

という、女子っぽい悩みをそこはかとなく抱えていますが、

ええねん。とりあえず日本記録を出すまでは!

 

先日、息子に「800mで日本記録目指してるんだけど、あと17秒縮めなくちゃならないんだよね〜」

と言ったら「無理でしょ」と即答されました。

「無理って、ど素人でもわかるレベルか」とつぶやいたら怒られましたが、

たしかに、ちょっと難しいしょんぼり

 

でも、わたし、中学1年で初めて走った時、2’48”8で、

その年、2’15”7まで行ったんですよね。

17秒くらい軽いもんやろ、と思ってるんですけど、違うかな楽しい

翌年は、4秒くらいしか縮まりませんでしたが悲しい

 

まあ、なんでもええねん。

ちょっとがんばってみたいだけやねん。

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 06:20 | ランニング | comments(0) | trackbacks(0) |
トレーニング日記 Wingleどんだけ〜ぐーるぐる

5km 2本、走ってきました!

 

朝から、というより前日から、というより数日前から緊張して、

走れるかな? 走れるかな? 走れるかな?

と不安で仕方がなくて、スタート前なんてもう緊張の極みだったのですが、

なんとか完走しました。

 

レースより練習で緊張するってどうなんだろう。

練習のために調整までしてしまうってなんなんだろう。

仲良しのNさんから「この前からずっとブツブツ言ってましたね」と笑われてしまいました。

バレてるショック

「できない」「わたしには無理」「どうしよう」の無限ループにハマるんですよね。

 

Wingleの練習では、ペーサーがつきます。

わたしは4’30”チームに入りました。

ところが。

 

1本目

4’47

4’39

4’42
4’42
4’14

5km:23’06

 

2本目
4’43
4’37
4’40
4’34
4’30

5km:23’05

 

ペースがね、4’30じゃなかったんです。
でもペーサーをぶっちぎって自分でペースを作るほどの度胸はないし、
1本目も2本目もラスト1kmは前に出ましたが、

全体としては、若干残念だったかもしれません。

 

※追記

一緒に走ったSさんの時計とは、1kmで5秒から10秒くらいの違いがありまして、

わたしの時計のGPSが狂っていたのでしょうか。

 

この日は代々木公園がランナーたちで混んでいたため、二列縦隊で走りました。
わたしは、5kmで中断する予定でしたから、後方につけていたのですが、
わたしの前を走っていた方から
「レース走ってるみたいでしたよ。なんか鬼気迫るものを感じて。
隙あらば抜かしてやろう、みたいな」
と言われてしまいました。

あら、わたしとしたことがundefined

 

練習後、打越コーチに「ペース遅かったです」というと、
「前半は抑え気味にって言ってたから」とのことで、

えー! わたしもうこの日の4’30”に賭けてたのにーみたいな。

 

でもこのペースだから2本走れたのでしょうし、

1本目、2本目ともタイムがほぼ同じなのもいい感じです。

2本目は、4’30イーブンだとついていけてなかったでしょうね。

 

そして何より、このメニューをこなせたことは、自信になりました。
まさかわたしが5km2本をこなす日が来るとは!
これはもう仲間あってのこと。
本当にありがとうございます!

 

ところで昨年12月のレースは、直前の1000mのインターバルなどの様子から、
最初の1kmを4’10で行くと決めたわけですが、
25日のレースはどうでしょうか。

できれば自己新を狙いたいのですけども予断を許しませんね。。。

 

しかも今週は、家族旅行を控えておりまして。
Wingleの平日練もお休み。

でもなんとか走り続けたいと思っています。

 

練習後は、飲み会、それに続き仲良しグループでのカラオケ!
少年隊ならぬ中年隊(ジャニーズ・シニアともいう)の熱唱を楽しんできました。

わたくしは、リンドバーグを唄って心はればれ。

 

今週も頑張っていきましょう!
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村山由佳『嘘 Love Lies』 〜 正解のない世界で生きるということ

最近かなり本を読んでいます。

 

『嘘 Love Lies』

村山由佳

新潮社

 

仲良し四人組の中学生たちの人生は、ある夏の悲惨な事件をきっかけに、大きく揺らぐ。

平凡な人生と別れを告げ、大きな渦の中に巻き込まれていく。

恋愛も友情も親子関係も、正解なんてない。

そういう正解のない世界を描くのに、小説はもっとも適していると思いました。

 

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村山さんが上手いと思うのは、そもそも事件が起こる前から、

「仲良し四人組」は、ただ無邪気にじゃれあっていただけではないところ。

互いを嫉妬したり、疑ったりもしていたんですよね。

それが普通だし、それをしっかり書けるのが上手い作家さんですよね。

 

最近なんでもわかりやすさを求めます。

小説だって、ある事件をきっかけに、関係が突然変わったと書いた方がわかりやすい。

 

だけど現実はそうじゃない。

あらゆる感情と理性がせめぎ合って、そこに偶然が加わって、ドロドロのぐちゃぐちゃ。

そこで、自分はなにを信じて、なにをするのか。

必死で模索しながら、自分を確立していく。

14歳だった中学生は、34歳になってどう変わったのか。なにが変わらなかったのか。

 

先日、小泉今日子さんが豊原功補さんとの恋愛を宣言して、

この人は、本当に覚悟の決まった人だと感動しました。

 

タイミングもまたすごい。

大手事務所バーニングから独立すると、もうマスコミから守ってもらえない。

もともと小泉さんはそんなに頼ってはいなかったでしょうけど、それにしても。

 

批判はすべて受けて立ちますよ、というあの強さ。あの孤独。

自分が本当に守りたいものは、なんなのか。

誰と、なにを、わかりあいたいのか。

 

この小説に登場する4人は、まだ小泉さんほどの強さはないけれど、

それでも揺らいで揺らいで揺らぎながら、なんとか生きていこうとしている。

事件をきっかけに、正解なんてどこにもない世界に放り込まれて、
もう「理想」を追うことも許されない。

だけど溺れそうになりながら、ただひたむきに生きている。

人はそうやって少しずつ覚悟を決めていく。

あるいは、何かを諦めていく。

 

人となるべく触れ合わず、おとなしくひっそりと生きていこうとする人もいるし、

何かを恨んだり、憎んだり、あるいはずっと迷い続けている人もいるし、

「なぜ」にとらわれたまま老いていく人だって多い。

登場人物では亮平がそうかもしれない。

人生に優劣なんてないし、それぞれの人生には期待と不安と諦めとが詰まっていて、

そこでなににフォーカスするか。

いつ、どのタイミングで、どんな感情が沸いてくるかはわからない。

わからないなりに、なんとか生きていくことの面白さを感じさせてくれた小説でした。

 

わたし自身は、このブログで、自意識過剰ぶりをあまりに発揮しすぎていて、

恥ずかしいことこの上ないのですが、

だけどそこを通らないと、先に進めない気がしていてせっせと書いています。

 

だけどたぶん、この自意識過剰ぶりもそろそろ終わり。

競技のこと、母のこと、わたしの葛藤。

そういうのを全部飲み込める日が、なんとなく近づいているような気がします。

 

 

 

posted by 今泉愛子(詳細はクリック) | 05:19 | 書評 | comments(2) | trackbacks(0) |