仕事をしていていつも心がけているのは、自分は「平均的なライターだ」と思うことです。
私より上手い人はいくらでもいるけれど、私より下手な人もいる。
だから、威張れるわけではないけれど、卑下するほどでもない。
こう思っておくと、わりと精神的に健全でいられます。
褒められて舞い上がることもないし、けなされて落ち込むこともありません。
褒められるとうれしいです。もちろん。
でも冷静です。
けなされると気分が悪いけれど、自己否定にはつながりません。
たぶんもっと下手な人も世の中にはいるだろうし、と適当にはぐらかします。心を。
よい仕事をするためには、自分の心を健全に保つことが大事。
必要以上に反省しなくていいし、必要以上に「俺ってすごい!」とイケイケ状態にならなくてもいい。
私とて、自分の力のなさに落ち込みそうになることはしょっちゅうあります。
もっと上手くできたのでは、と後悔に押しつぶされそうになることも。
でも「もっと上手くできたはず」だとしてもできなかったことは事実だし、それは次に活かすしかありません。
なので最近は、後悔したり反省したりしそうになると「おかげで勉強したな」と思うようにしています。
次、行こう。
後悔って、要するに自分の力のなさを認められないからだと思います。
自分の力が足りなくてできなかったことを、
いじいじと考えて「こうすればよかった」「ああすればよかった」と悔やむ。
もう勝負はそこでついたの。その事実を受け入れよう。
受け入れて次に活かす。
もちろん勝負に運はつきものだし、運がなかったという状況もあります。
実力では勝ってたのに、運が足りなかった、と思いたくなる気持ちもわかる。
だとしても、次に運が回って来たタイミングで実力を発揮するしかないわけで。
「自分は運がなかった」と嘆いていても仕方がない。
そういう時も自分は平均なんだと思うとわりと納得できます。
私ってもしかすると運が悪いの? と落ち込みそうになっても「いや平均だな」って。
強運の持ち主ではないけれど、悪運だけに支配されているというほどでもないはず。
だからコツコツやっていれば、いつか運は巡ってくる。
安室ちゃんと同時代に生まれたシンガーは、どうやったって太刀打ちできなかったかもしれない。
安室ちゃんの人気に陰りが見えたと思ったら、今度は宇多田ヒカルがやって来て、ああもうまったく!っていう世界で、
自分はどう生き残っていくか。
まともに勝負したって勝てる相手でないのは明白です。
そこで「私も実力は同じくらいだ!」「宇多田ヒカルは親が立派だし、運がいいだけだ!」とかね、
そんなふうに思ってしまう人もいます。
いやいやいや。明らかに実力が違うから。
あなたは平均ですよ。まずはそこからスタートしてみたら? という話です。
そうすると、妙な自己顕示欲から自由になれます。心が楽になる。
ちなみに、安室ちゃんが「わたしは天才」と自覚しているかというとそんなことはないと思います。
宇多田ヒカルしかり。
世界を見ればもっとすごい人はいますから。
みんな自分の力のなさと闘っています。
宇多田ヒカルは自分の素質に感謝すべきだと凡人は思いますが、
それは凡人だから思うわけで、ご本人はそこまで満足してはいないと思う。
ある程度の自尊心はあっても、100%満足してはいないでしょう。
だからがんばれるわけで。
満足してたら、とっくに終わってます。
これは仕事に限らなくて、たとえば母親としての自分に落ち込みそうになったら、
「いや、自分は平均的なお母さんだ」と思えばいいの。
特別なお母さんになりたいと思うから落ち込むのです。
「平均的だ」と思うのは、ダメな自分を認めるのとは違います。
平均的なお母さんとして、精一杯がんばる。
それは、ダメな自分を愛して開き直ることとは全然違います。
あなたは「今のままでいい」とは思いません。わたしは。
どんどん変化していこう!
ちっぽけでもなんでもいいから、どんどん前を向いて歩こう。
平均的な人生を愛していこう。