忙しさとコロナのためにあまり走れていませんが、昨日はさくっと8kmjog。
5’42から入って、ラスト3kmは4’33、4’29、4’16でした。
これ、たぶんわたしの好きな練習です。
がんがんペースを上げていくジョグ。
兵庫でよくHくんと走るのですが、後半はだいたい私が「あげていい?」「もっとあげていい?」とあおるのがパターン。
Twitterをやっていると、ジョグのペースが時おり話題になります。
どれくらいのペースが適切かと。
ダニエルズのランニングフォーミュラにもあります。
MペースとかEペースとかね。
あの本はわたしも理解しようと努めました。
ゴッキーさんのブログの解説もめちゃわかりやすかったです。
そのときはわかったつもりになった。
でもなんかあれやっぱり難しい。
理論の枠組はきっととても素晴らしいのだと思うのですが、ジョグくらい好きなペースでやればいい。
人によって適切なペースは違うし、日によっても違う。
例えばわたしの昨日のジョグは、不用意に疲労を溜める。
ジョグにしては強度が高すぎて、翌日のポイント練に響く。
みたいなことになりそうですが、理論だけに頼っても仕方がない。
ジョグなのかビルドアップなのか、強度としてはなんなのか、という練習であっても、これが一番好き。
それはそれでいい。
たぶん、この走り方でラスト4分切れるようになる。
それくらいのスピード感で走ったとき、一番気持ちがいいはず。
からだの中央にギュッと力を集めて、前に前にからだを運ぶ感覚です。
そのうちそれはできるようになる。
なんというか、自分を信用できる練習ってあると思います。
わたしは、800mをやるなら、300mが好きなんです。
見ていると、あまり練習ではやらない距離なのかもしれないのですが、わたしは大好き。
で、ちょっと長い距離になってくると、自分の感覚で走る昨日みたいなジョグです。
後半どんどん体が動くようになる。気持ちいい。
でも、まだちょっと足りなかったんです。
調子がいいともっと伸びる。
それが4分切るくらい。
理論的にトレーニングすることは、現代人の憧れだと思います。
人間は、いつ頃からか効率ってのを何より大事にするようになりました。
料理は、手間や時間がかからなくて、おいしい料理がよしとされ、ものの値段は原価計算で決まる。
トレーニングもそう。
時間や労力をかけないで、パフォーマンスを上げるトレーニングは何かが問われます。
それを知っているのがいいコーチ。
一理はあるんですが、そこだけでもなくて。
たぶんブレイクスルーは別のところにある。
理論だけに頼ると、理論線上にしか成長がない。
芸術は爆発だと言ったのは岡本太郎でしたっけ?
ランニングもそうだと思っています。
天才と凡人は違う、という人もいますが、なんでその枠組が必要なの?って思います。
自分は凡人だ、と思うことの何が楽しいんですかね。
それもまた自分に対する物語だと思うんです。
凡人だから、普通だから、成長のためには理論が必要だとか。人一倍努力が必要だとか。
練習は必要だし、理論も必要、努力も必要ですけど、凡人だという枠組は不要です。
なんで自分のことを凡人だと思いたいか。
思い描いた到達点に、いつも少しだけ届かない。
そのがっかり感を「凡人」って言葉で片付けてないですか。
大切なのは、そのがっかり感に負けないことで、自分は凡人だと納得することではないです。
桐生選手がPB更新するのに何年かかったか。
大迫選手は一度でオリンピック代表を勝ち取れなかった。
つまり一流選手だって、結果に恵まれているわけではないことがわかります。
くじけないから強いんです。
自分の弱さを認めるから強くなれる。
理論も大事、計画性も大事、感覚も大事。
わたしの場合、感覚寄りになり過ぎるところが問題といえば問題だと思いますが、そこは適宜調整しつつ。
早く原稿を終わらせて、思い切り走ろう。